2022年8月31日

水の事故から命を守る?「命札」の謎に迫る

愛媛県大洲市に住む視聴者の方から松山放送局に投稿がありました。

「大洲市の小学生は夏休みに学校のプールを利用するときに、命札というものをかまぼこ板で作ります。いつの時代からできたのか、大洲市だけなのか調べてほしいです」

栃木県出身の私は、命札が何なのか全く知りませんでしたが、調べてみるとまさに子どもの命を守る大事な役割がありました。

(NHK松山放送局 八幡浜支局 勅使河原 佳野)

命札はこう使われている

命札が使われている現場を見ようと、夏休み中の大洲市の小学校のプールを訪れました。
この日は地元のスポーツ少年団の練習が行われていました。

子どもたちはプールに来るとまず、机の上にある自分の札をかごに入れています。
これが「命札」です。
かまぼこ板で作られた札には、名前や学年、連絡先などが書かれています。なかには血液型を書く学校もあるようです。

筆者が作成した命札

子どもたちが練習している間、当番の保護者は札を確認して再び机に並べます。
そして、帰るときに再び自分の札をかごに戻していました。
すべての札が戻ったら、全員が無事にプールを出たことになり、安全を確認する目的で使われていました。

視聴者に聞いてみた

命札はどこで、いつごろから使われ始めたのか。
松山放送局は番組とTwitterで視聴者のみなさんから投稿を募集したところ、およそ200件の情報が寄せられました。

命札の情報はこちらから!

どこで使われているの?

18の市と町に住む方から回答がありました。県内全域で使われていたことが分かります。

いつから使われているの?

命札を知っていると答えた方の年代別です。

最も年配だったのは70歳代です。小学校で使っていたことを考えると今からおよそ60年前。昭和30年代には県内で使われていたことがわかります。

どこで使っていたの?

回答の中にはプール以外で使っていたという人もいました。

命札を海で使っていた

投稿してくれた四国中央市の高橋猛さん(60歳)に話を聞きました。

高橋さんが使っていたという命札は、薄い板を三角形に切り取ったものでした。
今回の取材のためにわざわざ再現してくれました。

自分の名前を書いた命札は大人が用意した板にそれぞれ架けていたといいます。
通っていた小学校にはプールがなく、海で行われた水泳の行事で命札を使っていました。

当時、この地区には子どもが多く、高橋さんにとっては友達と遊んだ楽しい思い出の海です。
ところが学校の先輩が流されて亡くなるという悲しい事故も経験しました。

高橋猛さん
「この海は浅瀬なのですが深いところもあります。先輩の事故で海や水は怖いことを身近に感じていました。僕にとっては命札は海で命を肩代わりしてくれるという重い意味があります」

集まった”命札あるある”

ほかにも視聴者の方からは命札にまつわる様々なエピソードが寄せられました。

(西条市 60代)
夏休み前になると、命札を作るためにかまぼこを母が買ってきました。木を洗って乾燥させた後に父がきりで穴を開けてひもを通してくれて、首から掛けられるようにしてくれました。

(松山市 40代)
持って帰るの忘れた男の子がいて、大騒ぎになったことがありました。友達の家でファミコンをしていたらしく、自宅にも連絡がつかなかったそうです。無事でよかったのですが、それからはかなり厳しくなりました。

(今治市 50代)
夕方になって海にはもう誰もいなくなったのに、命札が掛け板にまだ残っていると、監視当番のお母さんがオロオロしていたのを覚えています。実際は子供が持ち帰るのを忘れており、携帯電話もまだなかった時代なので、当番の保護者は大変だったと思います。

(松山市 40代)
自分が作る立場になって、カマボコの板で作るのにカマボコがなかなか綺麗に取り除けなくて悩んだ。

(松山市 40代)
当時夏休み前に持ち帰るプリントに命札の作り方が書いてありました。母親にかまぼこ板で作ってもらっていました。

(伊予市 30代)
毎年、学年が変わるので新しく学年を書き直さないといけないので夏が来る前にかまぼこ板を洗って乾かしていました。マジックの文字がにじむので今年こそはきれいに書こうと思っていました。そして、大人になり、子どもが小学生になり、買い物に行った先で、かまぼこを見るとついつい買わなきゃと思ってしまうほど夏のプールの定番でした。

いただいた投稿から、愛媛県民にとって、命札には数々の思い出が詰まったものであることが分かりました。皆様、投稿ありがとうございました。

命札は愛媛県外でも使われていた

命札は愛媛県以外でも使われていたのでしょうか。

愛媛県歴史文化博物館の学芸員の大本敬久さんです。
民俗学が専門で、命札についても調べています。

大本さんによると、命札は昭和30年代以降、特に40年代以降に命札を使ったことがあるという話を聞くことが多いといいます。

ピンクが命札を使っていた地域

さらに、インターネット上の情報などを分析した結果、愛媛県のほか、徳島県や香川県、そして兵庫県、岡山県、広島県、山口県で使われていることが確認できたそうです。
また、「命札」という呼び方ではありませんが、大分県、福岡県、佐賀県でもかまぼこ板を「名札」として持って行くという風習があるとのことでした。

命札の普及にはかまぼこが関係?

大本さんは、命札の風習が西日本に残っているのは「かまぼこ」の産地と関係があるのではないかと指摘します。
大本さんによると、かまぼこが全国に普及したのは「冷凍すり身」が発明されたあとの昭和40年代以降です。
冷凍技術がなかった昔は、原料となる魚の長期保存ができなかったため、かまぼこは中国地方や愛媛県の南予地方など、限られた地域でのみ生産されてました。
かまぼこ板が身近にあった地域で命札が始まり、その後、かまぼこが全国的に広まったことで、周辺で命札が普及したのではないかと考えています。

なぜ命札と呼ばれるのか

さらに、気になるのは「命札」という名前です。
この名前がついた由来の仮説として大本さんがあげたのが、昭和30年に高松市沖で発生した「紫雲丸」の事故です。

この事故では、旧国鉄の連絡船「紫雲丸」が別の船と衝突して沈没し、修学旅行中の小中学生を含む168人が犠牲となりました。
この事故をきっかけに全国で学校のプールが整備され、水泳の授業が広まったといわれています。

大本敬久さん
「仮説のレベルですが、紫雲丸の事故は中国・四国地方の人たちによって身近なものだったため、「子どもの命を守る」という多くの人の切実なる願いが「命札」という名前になって、命札の文化が定着した可能性があるのではないかと考えています」

取材後記

命札については研究論文がある訳でもないので、手探りで取材が始まりました。そんな中で、視聴者のみなさんからいただいた投稿の数、そしてひとつひとつのエピソードに、関心の高さを感じ「愛媛県民の夏休みの一風景なのだな」と思いました。

取材を進める中で、現在は少子化で、監視当番に命札を預けて、大勢の子どもたちを見守る必要がなくなったり、コロナ禍で学校のプールで泳ぐ機会がなくなってしまったりと、命札を使う機会は減っていることも分かりました。
この夏も各地で水の事故が相次ぎましたが、時代が変わっても一枚の板に込められた「子どもたちの命を守る」という思いは、これからもずっと大切にしていきたいものだと感じます。

今回の取材ではたくさんの方々に情報をいただきましたが、命札がいつ、どこで使われ始めたのかという「起源」にはたどりつけませんでした。
それを調べるため、これからも取材を続けたいと思います。

この記事を書いた人

勅使河原 佳野

勅使河原 佳野 (てしがわら よしの)

2019年入局の記者。2021年5月から八幡浜支局で、南予地域の取材を担当。
海のない栃木県で育ったので、海水浴のために茨城県や新潟県まで遠征していたのが夏休みの思い出です。