2022年8月25日

なぜいつも笑顔なの?ウクライナのアスリートが教えてくれたこと

「なぜ、いつも笑顔でいられるんでしょうか」
取材の終わりに私は尋ねました。

ウクライナから訪れた、聴覚障害のある2人の金メダリスト。
故郷を追われ、家族と離れ、想像を絶するつらさを経験してきたはずです。

それでも取材の中で彼女たちに感じていたのは、いつも他人を思いやる温かさでした。
愛媛で過ごした8日間、2人が教えてくれたこととは。

(NHK松山放送局 清水瑶平)

ウクライナから訪れた聴覚障害アスリート

7月22日、新居浜市。
私はウクライナから訪れた2人のアスリートに会いに行きました。

リマ・フィリモシキナ選手

そして、ナタリア・ウルスレンコ選手。

2人とも聴覚障害のある、陸上の「投てき種目」の選手です。
心から楽しそうにトレーニングする姿が印象的でした。

フィリモシキナ選手

フィリモシキナさん
「日本に招待してもらい、うれしいです」

ウルスレンコ選手

ウルスレンコさん
「ウクライナでは練習場が破壊され、練習も何もできない状態でした。こうして日本で練習できて幸せです」

※取材は「国際手話」による通訳を通じて行いました

2人は聴覚障害者による競技団体、日本デフ陸上競技協会に招待され、日本国内各地で開かれる強化合宿に参加しました。
愛媛はその最初の合宿地となったのです。

心の支えはスポーツだった

2人の日常はことし2月、突如として奪われます。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻によって暮らしていた家や練習していたグラウンドは破壊されました。

ロシア兵に銃を突きつけられたこともあったといいます。
家族や友人とも離ればなれになり、2人はルーマニアへと避難しました。
私が当時の気持ちについて聞くと、フィリモシキナ選手は少し考えこんだあと、短い手話で答えました。

フィリモシキナ選手

フィリモシキナさん
「気持ちが張り裂けそうです」

しかし、2人はトレーニングを再開します。
心を支えていたのはスポーツでした。

フィリモシキナ選手

フィリモシキナさん
「避難した2週間の間、私は自分を見失っていました。でも、前向きにならないといけないと考え、トレーニングを再開したんです」

ウルスレンコ選手

ウルスレンコさん
「心が痛みます。(離ればなれになった)両親のことを考えると、夜眠れないときもあります。しかしトレーニングのことを考えることで、前向きになれるよう頑張りました」

5月にブラジルで行われたデフリンピックに2人は出場。
フィリモシキナ選手は女子ハンマー投げ、ウルスレンコ選手は女子砲丸投げで金メダルを獲得します。厳しい環境の中にあっても、2人そろって大きな成果を挙げたのです。

練習中はずっと笑顔

新居浜での練習も2人ともずっと笑顔でした。
トレーニング中も休憩中も、本当に楽しそうでした。

以前から知り合いだった日本の選手たちと会えたことも大きかったかもしれません。
「国際手話」を通じた会話は途切れることがありませんでした。

女子やり投げ 高橋渚選手

「2人とも元気に会うことができてすごくうれしかったです。たくさん話してできるだけ楽しくリラックスする環境を整えてあげられたらいいなと思います」


2人は取材する私たちに対しても優しい笑顔を向けてくれ、たとえ手話が分からなくても、気持ちは十分に伝わってきました。

「もっと砲丸投げの様子を撮影する?」
「すごく暑いね、大丈夫?」

そんな風に心配してくれていたようです。

地元高校生との出会いも

そうした中、とても印象的だった出来事があります。
この日、同じ競技場で地元の高校生がハンマー投げの練習をしていました。
ことし県大会で3位に入った、伊藤梓さんです。

すると突然、フィリモシキナ選手が近づいて指導を始めました。
伊藤さんは始めはびっくりした様子でしたが、すぐに彼女が指導をしてくれていることに気づきます。

身振り手振りだけの指導。
しかし、こつが伝わったのか、伊藤さんはどんどん教えを吸収していきます。

ことばの違いも、障害のあるなしも関係ありません。
2人はスポーツという共通項の中で、心を通い合わせていました。

「自分の課題がどんどん消化された」と学びの成果に感激していた伊藤さん。
しかしそれ以上に感じていたのは、フィリモシキナ選手の心の強さでした。

新居浜西高校2年生・伊藤梓さん

「自分だったら、自分の国から避難しないといけない状況はすごく不安で恐怖を感じると思います。それを感じさせないぐらい笑顔で話しかけてくださって、それがすごくかっこよかった。大変な状況の中で、それでも競技を続けたり、異国の自分にも優しくしてくださったりっていうのが 人間力や競技力にも結びついているのかなと思いました」

優しい笑顔の理由は

練習が休みだった7月28日、2人は松山市にある県立松山聾学校に招かれ、聴覚障害のある子どもたちと交流しました。

「デフリンピックに出るのが僕の夢です、400メートルに参加したいです」

ウルスレンコ選手

ウルスレンコさん
「ぜひトレーニングをしにウクライナに来てください」

2人の優しい笑顔は誰に対しても変わりません。
初めてハンマーや砲丸を触る子どもたちにも丁寧に指導します。

2時間余りの交流で、子どもたちも同じように、2人の強さを感じていました。

県立松山聾学校 中学部3年・芝野聡汰さん

「ウクライナとロシアが戦争している中でも明るくいられるのが本当にすごい。とても努力してきたんだなと感じました」


この日は愛媛での滞在、最後の日でした。
私は取材を通して、最も聞きたかったことを尋ねました。

「2人はつらい状況の中でどうして、いつも笑顔でいられるんですか?」

ウルスレンコ選手

ウルスレンコさん
「いつも笑顔でいますが、心の中ではいつもロシアとウクライナの戦争が終わることを祈っています。でも、たくさんの人が私を助けてくれます。日本でも多くの人と交流をすることができて、前向きになることができました」

「人とのつながり」こそが笑顔であり、周りの人の支えがあるから強くなれる。
家族や友人と離れて避難生活を送る彼女だからこそ、よりそれを実感していたのかもしれません。

一方、高校生を指導したフィリモシキナ選手。
彼女の答えはもっとシンプルでした。

フィリモシキナ選手

フィリモシキナさん
「スポーツが私を笑顔にしてくれるんです」

スポーツに打ち込むこと、人と支え合うこと、出会った人と心を通わせること。
2人の笑顔は、苦しいときにこそ本当に大切にすべきことは何なのかを教えてくれたように思います。

この記事を書いた人

清水 瑶平

清水 瑶平

2008年入局、初任地は熊本。その後社会部で災害報道、スポーツニュースで相撲・格闘技を中心に取材。2021年10月から松山局。学生時代はボクサーでした。