2022年5月27日

愛媛を走る「井の頭線」 第2の人生を歩む車両たち

<鉄道写真家 坪内政美さん・松田利仁亜アナウンサー・山下記者の対談が音声で楽しめます>

鉄道車両にも、生まれ育った地で人生を終えるものがあれば、別の地で第2の人生を歩むものもある。
取材のきっかけは「京王電鉄の井の頭線の車両を愛媛で見た」という視聴者からの投稿だった。
井の頭線といえば、愛媛で生まれ愛媛で育った私にはテレビドラマでしか聞いたことのない路線だ。
都会からはるばる愛媛にやってきた鉄道車両の謎に迫ってみた。

(NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)

まずは、投稿してくれた視聴者が住む伊予市に向かった。出迎えてくれたのは、2年前に東京から愛媛に引っ越してきた中村敦子さんだ。
中村さんは京王電鉄、井の頭線の沿線で生まれ育った。

中村敦子さん

「ちょうど井の頭線の神泉駅近くに家があって、電車が通るたびに木造の家がカタカタ音を立てるんです。父は井の頭線で通勤していたので、夏休みは必ず駅に見送りに行って電車賃をもらっては渋谷と吉祥寺を往復していました。運転席のそばにへばりついていましたよ。子どもの頃からこの電車が大好きだったんです」

京王電鉄の井の頭線は、東京の渋谷駅と武蔵野市の吉祥寺駅を結ぶ全長12.7キロの路線だ。
1962年(昭和37年)から1991年(平成3年)まで導入されたのが中村さんが見たという車両、3000系電車である。

大きな四角い窓が特徴のステンレス車両で、正面からはどことなく顔に見える。
この車両を移住先の愛媛で見た時の衝撃を中村さんはこう振り返る。

「ある日、出会ってしまったんです。渋谷から引っ越してきた伊予市で偶然目にしたのは、まごうことなき井の頭線のあの車両でした。もう本当にびっくりして涙が出るほどうれしかったんです。一瞬どこにいるかわからなくなって、タイムスリップしたような感じでした」

井の頭線の車両がどういう経緯で愛媛に来たのか知りたいという疑問に答えるべく、伊予鉄道に取材を申し込んだ。

案内されたのは松山市の古町駅にある伊予鉄道の車庫。
そこにはででーんと3000系が並んでおり、私を待ち構えていた。
そばにはヘルメット姿の三好学車両部長がいて、私はあいさつもそこそこに、中村さんの疑問をぶつけてみた。

三好学車両部長

「実は、伊予鉄道と京王電鉄井の頭線は、線路の幅と車両の規格が同じなんです」

それが答えであった。
鉄道の線路の幅は一見同じように見えても微妙に異なる。
同じ京王電鉄の中でも、井の頭線はほかの路線と違い線路幅が1067㎜のいわゆる狭軌で、伊予鉄道と同じである。
線路幅が同一なら車両の台車を変えることなくそのまま利用できる。さらに車両のサイズも同じとくれば、願ったり叶ったりではないか。

3000系は京王電鉄初のステンレス車両として登場して以来、多いときには145両が在籍する井の頭線の顔とも言える存在だったが、2011年に引退した。

伊予鉄道には2009年から12年にかけて30両が譲渡された。現在、郊外電車として全線で運用されている。
このほかにも700系と呼ばれる車両も譲渡され、伊予鉄道の郊外電車53両のうち、実に49両が京王電鉄から譲り受けたものだそうだ。

第2の人生としてやってきた愛媛では、「人と環境に優しい車両」を目指して改造が施された。

車内には、車椅子スペースが設けられ、新たに弱冷房車も設定された。

さらに省エネ装置として車両の下部に「VVVF装置」を取り付けた。
これは、車両の減速時のエネルギーを電気に変換してパンタグラフを通して再利用するものだ。そして、直流式のモーターを交流式に置き換えた。

「京王電鉄は車両を大切に扱っていて、非常に良い状態で譲り受けました。これからも点検整備を確実に行い、末永くこの車両を使っていきたいです」

ことでんで使用されている京浜急行電鉄(左)と京王電鉄(右)の車両

条件さえ合えばほかの土地でも利用できるため、鉄道車両が会社間で譲渡されることはよくあることだという。
通称「ことでん」で知られる香川県の高松琴平電気鉄道は、京浜急行電鉄や京王電鉄、名古屋市交通局から譲渡された車両を使用している。

さらに第3の人生を歩むものもある。

銚子電鉄

伊予鉄道が京王電鉄から譲り受けた800系電車のなかには、さらに千葉県の銚子電鉄へ譲渡されたものもある。

国鉄時代の車両がタイやミャンマーに譲渡され、現役で活躍しているものもあり、日本の鉄道車両のその寿命たるや、おそるべし!

話は戻って伊予鉄道。
井の頭線を走っていた3000系は今は全車両がかんきつ色で統一されたが、あの特徴的な顔は健在だ

中村さんはこの車両を見かけると思わず笑顔になってしまうという。自身の人生とともに過ごした3000系電車が移住した先でも、見守ってくれているかのような安心感すら抱いているようだった。

「こないだ乗ったときに窓を開けてみたんです。するとまたデジャブですよ。子どもの頃に一生懸命重たい窓を開けようとしていたときのことを思い出してまた泣きそうになってしまいました。よくぞ井の頭線を愛媛に連れてきてくれました、ありがとう」

山下の感想

懐かしさで胸がいっぱいになったという中村さんは終始、興奮気味で話を聞かせてくれた。
たかが車両とはいえ、改めて鉄道車両は場所や時代を超えて人々に寄り添う存在なのだと感じた。目に見えない縁のようなもので結ばれた中村さんと3000系電車の話に、鉄道ファンではなくても共感する人が少なくないのではないだろうか。

【音声ファイル】
鉄道車両よ、どこへ行く!?の対談

この記事を書いた人

山下文子(やました・あやこ)

山下文子(やました・あやこ)

2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。
鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。
実は覆面レスラーをこよなく愛す。