2022年4月14日

復活!キハ205~「国鉄色」の魅力にせまる~

<鉄道写真家 坪内政美さんと山下記者の対談が音声で楽しめます>

四国にもゆかりのある国鉄時代の鉄道車両「キハ20系」。その車両を当時の色に塗り替えて復活させ、鉄路の活性化を目指すのは水島臨海鉄道(岡山県倉敷市)だ。クラウドファンディングにはのべ1300人から2300万円が集まった。鉄道ファンをときめかせるキーワードは「国鉄色」。なぜこの色に心を奪われてしまうのだろうか。

(NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)

望む、国鉄色の復活

春の訪れとともに1本の電話がかかってきた。
「キハ205、無事、国鉄色の塗装が完了いたしました。ぜひ見に来てください」。
その電話の主は、岡山県倉敷市に本社を置く水島臨海鉄道の女性であった。
去年9月のWEB記事でも紹介したが、この会社は複数の国鉄車両を保有し、国鉄時代を懐かしむ全国の鉄道ファンの間で有名だ。
製造から半世紀近くたち、色あせてきた車両を当時の国鉄色に塗り替えようというプロジェクトは去年夏に始まった。

クラウドファンディングのページ(2021年9月9日現在)

「水島国鉄化計画」と題して費用はクラウドファンディングで募ることにした。
開始からわずか1週間で目標金額の1300万円を集め、最終的には2か月で2300万円を越えた。
国鉄色復活を望む声は予想以上に大きかったのだ。

外装も内装も美しく

来る3月30日、大安吉日。
倉敷貨物ターミナル駅には、ピッカピッカに輝く3両の車両があった。
ああ、懐かしいこの色だ。真っ先に目に入ったのが主役である「キハ205」、「国鉄キハ20系」だ。
クリーム色と朱色のあの車両である。
去年の取材で見た、くたびれた感はなくなり見違えるほど美しくなっている。

式典の前に、キハ205のエンジン始動音を聞かせてもらった。

「ガルルルル」

昭和35年製の車両は軽やかなエンジン音を立てて見事によみがえった。
2017年3月に引退運転をして以来、実に4年ぶりとなる快音だ。
この日運転士を務めたのは、前回も熱く語ってくれた社員の武田正信さんだ。

武田正信さん

「車両が現役の時も運転していましたが、久しぶりにこの重いハンドルやブレーキの感じを一気に思い出しました。資金を集める中で、日本各地の皆さんが応援してくれていたことを実感しました。恩返しができるようこの車両を楽しんでもらいたいです」

まるで新車のよう

クラウドファンディングで集まった資金で、外装だけでなく座席シートのモケットやバネも新しく取り替えられ、内装も美しくなっている。

そして座席の窓の下には備え付けの栓抜きがあるではないか。瓶ジュースの蓋を開けるためのアレである。

このあと、キハ205に、こちらも再塗装されたキハ38形とキハ37形が連結され、「旧国鉄ドリーム編成」で試乗会が行われた。

先頭からキハ38 + キハ37 + キハ205

国鉄色とは

国鉄車両関係色見本帳+車両色図鑑(グラフィック社)

ここで少し、「国鉄色」について説明しよう。
「国鉄車両関係色見本帳」なる色の見本を集めたものがある。
1950年代に作成された古いものは、オークションサイトでかなり高額で取引されているようだ。

特急「やくも」(JR西日本)

旧国鉄の車両を見本帳の色で説明すると、特急「やくも」は「赤2号」と「クリーム色4号」だ。登場から50年となることし、一部の車両がこの「特急色」に再塗装された。
この組み合わせは、もとは1958年に東京~大阪・神戸間を結ぶ「特急こだま」としてデビューした色なのだという。

特急「しおかぜ」(JR四国)

そういえば、四国初の特急車両、キハ181系の「しおかぜ」や「南風」もこの色であった。
全体のクリーム色に窓枠の赤はなんともハイセンスである。
この見本帳があることで、日本各地で同じ色の塗装が可能だったようだ。
いわゆる「国鉄色」とは、1987年に民営化されるまでの車両の色を示していることから、まさにその時代そのものを彩っているといっても過言ではない。

キハ205

キハ205は「朱色4号」と「クリーム色4号」を再塗装している。
遠くから見て目立つこの色は1959年に登場し、それ以前に製造された気動車も次々とこの色になったようだ。
しかし、1978年のダイヤ改正でこの色は廃止となり、塗装工程を簡素化するために『首都圏色』と呼ばれる1色に変わっていった。

キハ47系

これが『首都圏色』だ。「朱色5号」。鉄道ファンから「タラコ色」として愛され続けるこの色は、JR四国がキハ47形に復刻塗装し今は徳島で見ることができる。

なぜ愛されるのか

どうして「国鉄色」はここまで愛されるのか。
新型導入に伴い引退が決まった特急「やくも」(JR西日本)は、3月に国鉄色へ復刻塗装をしたとたんに乗車率が上がったという。
内装は同じでも国鉄色と聞くだけで乗ってみたくなるのは、古き良き昭和の思い出に浸れるからではないだろうか。

寝台特急「瀬戸」

ブルートレインこと寝台列車のあの色もそうだ。
夜汽車の代名詞ともいえるあの色は、青春の淡い思い出とともにある。
鉄路で北から南へ、南から北へ、誰かを思って揺られた人のなんと多いことか。

現在も引き継がれる国鉄色といえば、東海道新幹線もそのひとつだ。

0系新幹線

私は初代新幹線0系がたまらなく好きだ。
アイボリーホワイトとブライトブルー。見本帳で言うと『新幹線0系色』の「クリーム色10号」「青20号」である。
1964年から1986年までの22年間で3216両が製造された。
後継の100系からはクリーム色が白になったものの、開業から60年が過ぎてもその伝統を引継ぎ、今も日本を代表する色と言えるだろう。

話は戻って水島臨海鉄道。キハ205の復活を穏やかな微笑みで見つめる1人の男性がいた。

小西和雄さん

JR貨物で機関車を運転し、水島臨海鉄道では車両部長として10年あまり勤務する小西和雄さん(69歳)だ。お披露目の日の翌日、定年退職を迎えた。

「エンジンの音もいいし、とてもきれいに塗装されています。明日の退職を前にお披露目ができて本当にうれしいです。高校時代に乗った思い出のある車両なだけに懐かしさで胸が一杯になります。色は本当に大事ですね。今度は、お客さんとしてこの車両に会いに来るのが楽しみです」

山下の感想

年々その数を減らしてゆく国鉄の車両たちは、国鉄色でよみがえることで懐かしさを呼び起こす。それが地域の色になり、人々の記憶に再び刻まれていく。色を見れば誰と乗り、どんな時間を過ごしたかまで鮮明に思い出すのは私だけではないはずだ。
国鉄の計算され尽くした色は、里山から都会のビルの合間まで日本の風景の一部となって、これからも人々に愛され続けていくのだろう。

(写真はすべて坪内政美さん撮影)

【音声ファイル】
鉄道写真家 坪内政美さんと山下記者の対談

この記事を書いた人

山下文子(やました・あやこ)

山下文子(やました・あやこ)

2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。
鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。
実は覆面レスラーをこよなく愛す。