2022年4月7日

鉄道旅に駅弁はいかが? ~4月10日【駅弁の日】に寄せて~

かつて新幹線にも食堂があり、今は温かい食事やすしまで楽しめる観光列車がある。鉄道と食は切り離せない深い縁があるようだ。中でも、最も鉄道に身近な食といえば「駅弁」ではないだろうか。ちょっと冷えた白いご飯がおいしく感じられるのは、きっとあの旅情のためだろう。

(NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)

4月10日は「駅弁の日」

日本に鉄道が誕生した明治より、旅のお供となっていたのが駅弁だ。日本初の駅弁は、栃木県の宇都宮駅で販売されたおにぎり2個とたくあんを竹の皮に包んだものだったと言われている。

それから時は流れ、全国各地の駅ではご当地の特色を生かした駅弁が次々に誕生した。鉄道旅に欠かせない楽しみの一つとなっていった。大手デパートなどで全国の駅弁を集めた「駅弁大会」も人気を博し、集客力のある催しになっている。

平成5年、JR6社管内の業者からなる日本鉄道構内営業中央会は、4月10日を「駅弁の日」と定めた。その理由は、弁当の「弁」の文字を分けると「4」と「十」の2文字になり、さらに「当」の文字は「とう」と読むからだという。

コロナ禍の現在において、駅弁業界はかつてない打撃を受けているものの、業界はあの手この手で生き残りをかけ、冷凍での通信販売を行うなど、その販売方法は駅だけにとどまらず、多様化している。

かつて宇和島駅にもあった駅弁

JR宇和島駅(1993年撮影)

それでも全国の駅に行けば、そこには名物駅弁がある。どんなに忙しい旅でも、その土地の特産品を手軽に味わえる。私にとってはむしろ旅の目的の一つとも言えるほど、駅弁があれば必ず買ってしまうのだ。ご当地の食をPRする手段としての役割は大きい。

そう、宇和島駅にもかつて駅弁があった。
四角く平たい木の折箱に俵型の白いご飯が半分を占め、その真ん中にカリカリの小さな梅干しと黒ごま、そしてじゃこ天と赤いウインナーなどおかずが入っていた。高校生の時、宇和島駅で買い、飛び乗った特急で食べた思い出がある。インターネットで検索すると、懐かしい駅弁の写真が見つかった。あのときの駅弁だ。気に留めていなかったけれど、弁当の掛け紙は宇和島周辺の観光スポットが描かれていて、なんとも旅情をかき立てるデザインではないか。

四国では失われつつある駅弁文化

宇和島駅にはもう一つ知る人ぞ知る「闘牛弁当」があった。駅弁ファンによると牛肉たっぷりの評判のよい駅弁だったという。私は食べたことがないが、その弁当の掛け紙には、頭を突き合わせる闘牛の姿が描かれていたそうだ。これらの弁当を作っていた店はもうすでになく、その味を再現できる業者もいないようで、今となってはまさに幻の駅弁となってしまった。愛媛県内で言えば、今治駅では大正13年創業から駅弁を販売している「二葉」が有名だ。瀬戸の押しずしや鯛めし弁当など地元自慢の食材を生かした駅弁は、全国の鉄道ファンにも根強い人気だが、その店を除くと昔ながらの駅弁販売店はすっかり姿を消してしまった。

復活を遂げた伝説の駅弁

失われつつある名物駅弁だが、奇跡の復活を遂げたものがある。

松山駅の「醤油めし」である。松山駅の1番ホームにちょこんと小さな屋台を置き、そこで販売されていた。女性が1人座っていて、駅弁を買うと「ありがとう、気をつけてね」と声をかけてくれていた。いろいろな種類の駅弁を販売していたが、私はこれが好きだった。ところが4年前、その姿は突然、消えた。販売元が閉業したのだ。あまりに突然のことだったので、一部のファンは驚きを隠せず、SNS上では落胆の声が多く上がっていた。

しかし、案ずることなかれ、それからわずか4か月後。なんと復活したのだ。そっくりそのままの味を引き継いだのは、岡山県の「三好野本店」。明治24年創業の店は、同業者として販売元の鈴木弁当店の店主と交流があり、閉業前にそのレシピを託されたのだという。訪ねると、若林昭吾社長が手書きのレシピを見せてくれた。

若林昭吾社長

「手紙とともにこのレシピが同封されていました。本当に細かく何グラムって、これが何グラム、こうやって作るって。丁寧に書いて下さっていて、60年あまり地元に愛されたその味を引き継いでほしいというその熱い思いがひしひしと伝わってきました」

味も思いも引き受けて

味の決め手となる秘伝のしょうゆの配合まで書かれていたレシピを元に、この会社では毎日岡山から松山へ駅弁を配達しているのだ。販売場所は、松山駅の構内ではなく、駅のキオスクになったが、なるほど味は前と同じだ。レシピ通りに炊き上げたしょうゆ味のご飯の上に、柔らかいぷっくりとした鶏肉やしいたけ、山菜など見た目もそのまま。

「一番のこだわりは、このチェリー。昭和35年に誕生して以来、店主のこだわりだと聞きました。鈴木さんは元々絵を描いていたそうで、見た目の彩りにと、この真っ赤なチェリーを置いたこと。最初に作ったときの思い入れを大切にしたいと思って、それも変えていません」

掛け紙のデザインも変わっていない。「よもだ」や「やねこい」など、伊予弁が相撲の番付のように書かれている。とことん、変えない。思いをまるまる引き受けた。

「駅弁はその土地の文化だと思うんです。松山の玄関口でずっと昭和35年から売られてきて、みんなああ、子どもの時食べたなとか、あのときいっしょに食べたねっていう人々のいろいろな思いこそ、私たちが大切にしたい思いなんです」

山下の感想

時代を超えて続く駅弁の文化を守りたいと若林社長は笑顔で話していた。その笑顔を見ていると食べる人の笑顔まで見えてくる。旅やビジネス、手に取った人々の笑顔を思い浮かべるからこそ、地域や世代をこえ、駅弁は愛され続けるのかもしれない。

去年10月に販売した駅弁

新たに誕生した駅弁もある。去年の秋、宇和島駅に駅弁が登場した。期間限定ではあったものの、予土線ににぎわいをと道の駅が企画した。掛け紙には、黄色いトロッコ列車がデザインされ、裏には予土線沿線の魅力を案内するイラストも描かれていた。昔懐かしいプラスチック容器のお茶もあった。1日40個のみではあったものの、販売を聞きつけた鉄道ファンや地元の人たちが連日列をなし、わずか15分で売り切れる日もあったほどの人気ぶりだった。

好評を博した駅弁は、再び4月と5月の土日限定で販売されるという。真っ白なおにぎりを片手に、また鉄道の旅に出てみようか。ぽかぽかした春の陽気が私をそんな気にさせている。

※この記事で当初掲載していた画像に一部誤りがありました。

この記事を書いた人

山下文子(やました・あやこ)

山下文子(やました・あやこ)

2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。
鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。
実は覆面レスラーをこよなく愛す。