2022年4月6日

ウクライナの写真が問いかけるもの 「思う」ではなく「考える」

「みんな思うことはあっても考えない。それじゃいけないんです」
取材の中で聞いた言葉にどきっとさせられました。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、いまだに停戦への糸口が見いだせません。
遠く離れた地に住む私たちにいったい何ができるのか。
愛媛出身の研究者が今、それを問いかけています。

(NHK松山放送局 清水瑶平)

東京で開かれた小さな写真展

3月19日、私は東京・江東区の小さなギャラリーで開かれていた写真展を訪れていました。
そこにはウクライナのチョルノービリ(チェルノブイリ)で暮らす人たちの姿が並んでいました。
撮影したのは愛媛県鬼北町出身で獨協医科大学准教授の木村真三さんです。

木村真三さん

「これがオリガばあさん、これがマリアばあさん」

木村さんは愛媛から訪れた私のために1枚1枚の写真を丁寧に説明してくれました。
「自分の若いころの写真を見せて、昔はこんなにきれいだったのよって言っていたときの表情」
「彼女は数年前は元気だったんだけれど、転んで寝たきりになってしまった」

熱意を持った話しぶりからは、いかに現地に住む人たちへ深い愛情を持っているかが伝わってきました。
軍事侵攻が続く今こそ、この写真を見てほしい。
それが木村さんの思いでした。

木村さん
「戦争によって消えてしまうものは人の歴史であったり人の生活なんです。そのことを今、日本人に感じてもらいたい」

ウクライナの“兄弟”たち

木村さんは高校までを愛媛で過ごしたあと、1999年、32歳のときに茨城県東海村で起こった臨界事故をきっかけに、放射線の影響の研究を志しました。
そして2000年から調査を始めたのが「史上最悪の被害」と言われたチョルノービリ原発事故でした。

木村さんが大切にしたのは、「とにかく人に会って話を聞く」ということでした。
現地に住んでいる人、1人1人に話を聞き、どのような影響が出ているかをみずからの手で調べなければ実態は見えてこないと考えたからです。

渡航した回数はおよそ70回。関わったウクライナの人たちは数千人に上ります。
何度も何度も顔をつきあわせ、酒を酌み交わし、手料理を一緒に味わって関係を育んできました。

「彼らと一緒に聖教のクリスマスを一緒に祝うのは毎年の恒例でした。大晦日とお正月を一緒に過ごしたこともあるし、僕の実家まで訪ねてきたウクライナ人もいます。彼らは家族であり兄弟である。それが自然に言葉になるんです」

“生きろ”ただそれだけを

木村さんは新型コロナの影響もあって、この2年は現地を訪れていませんでした。
そうした中で2月、突如としてロシアによる軍事侵攻が始まったのです。
研究を続けていたチョルノービリ原発はロシア軍に占拠され、親しかった人たちの多くが安否がわからない状態になりました。

その中で、かつて鬼北町の実家に訪ねてきたことのあるアントンさんという男性と連絡が取れたといいます。

「いつ従軍させられるかわからない。もう心の中がぐちゃぐちゃになっている」と嘆くアントンさんに、木村さんはただ、「生きろ」と伝えました。

「生きて。生きろ。生きておけと。戦争する必要はない。逃げてもいい。命があればなんとかできる。だからそんな軍人とかそういうことを考える必要はないっていう風にいったんです」

“形の見える支援”考え抜いてほしい

事態が悪化を続ける中で、自分に何ができるのか。
木村さんは軍事侵攻の開始直後から支援のために動き始めました。

休校となっている学校の校舎(福島県)

ウクライナから避難してきた人を受け入れられる場所を作ろうと福島県郡山市で休校となっている学校の校舎を借り受けたのです。
この場所は寝泊まりや調理もできる場所がそろっていて、最大40世帯が生活できます。

さらに木村さんは福島県二本松市の別の場所で4月から避難してきた人の1人を受け入れを始める予定です。

「彼らを思うと、張り裂けるような気持ちになる。でもそれを思ってもどうしようもないじゃないですか。だから、僕はできることをしようと思ったんです。『形として見える支援』として僕が見てきた人たちを受け入れようと考えたんです」

では、ウクライナとはこれまで交流がなかった私たちにはどんなことができるのでしょうか。
「ウクライナ支援のための募金」といった呼びかけは、各地で行われていますが、木村さんは「何も考えずに募金をするような形だけの支援はやめた方がいい」と話します。

「募金をしてもそれが弾丸や銃に変わってはいけないんですよ。難民を支援している団体や医療支援をしている団体に寄付をするとか。だから『目に見える支援』ということを考えなくてはならない」

NPO法人のホームページ

1つの窓口として、木村さんが発起人となって募金を呼びかけているNPO法人、「チェルノブイリ医療支援ネットワーク」があります。
これまで原発事故で被災した現地の人たちのために、医療機器や放射能測定などの物資の支援を行っていて、今回の募金は、ウクライナから避難した人たちのために活用されるといいます。

説明のない写真が問いかけるもの

東京で写真展を開いたのも自身ができる支援の1つだと考えたからでした。
写真の中の人々の表情は深い悲しみを感じさせるもの、家族との食事を心から楽しんでいるものなどさまざまで、息づかいが聞こえてくるようです。
ただ、説明書きはひとつもありません。そこに込めたメッセージとは。

「この人たちの表情を見て、みんな考えてくれと。皆さん、多くの人たちが考えない。思うことはあっても考えない。そうじゃいけないんです。自分にできる身の丈の支援は何であるかと考えていただく。このことが一番大事なんじゃないかなと僕は思うんです」

私たちの身の丈の支援を

木村さんは取材の中で繰り返し訴えました。

「“身の丈の支援”でいいんです。大それたことをする必要はないし、知ることの支援の1つです。でも、知った上で何をするかは自分で考えてほしいというのが私の願いです」

私もそのことばをみずからに問い直しました。
そして思いを強くしたのは「1つでも多くウクライナに関するニュースを愛媛から出していこう」ということです。
愛媛で取材し、ニュースを出して愛媛の人とともにウクライナについて考えていくことが、記者として私にできる支援のあり方の1つだと考えました。

木村さんはいずれ、ふるさと愛媛でも写真展を開きたいと話していました。
実現すれば私は改めて取材を行うつもりです。
ウクライナの人たちの写真を見て、「自分たちにできること」を一緒に考えてみませんか。

この記事を書いた人

清水 瑶平

清水 瑶平

2008年入局、初任地は熊本。その後社会部で災害報道、スポーツニュースで相撲・格闘技を中心に取材。2021年10月から松山局。学生時代はボクサーでした。