2022年2月9日

冬、鬼ヶ城山系をゆく

愛媛県の南に位置しながらも、冬になれば宇和島市には雪が積もる。
シベリアからの寒気が1000メートル級の「鬼ヶ城山系」にぶつかるからだという。
四季折々の景色を見せる鬼ヶ城山系のそばで暮らしている私は冬が最も好きだ。
キーンと冷え込んだ1月のある朝、ふと山を見上げると、山頂が白い。
霧氷が見えるかもしれないと、胸を弾ませて山へ向かった。

(NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)

冬だけの絶景

冬の鬼ヶ城山系の最大の魅力は、霧氷だ。
氷点下になると樹木に付着した空気中の水分が凍りつき、結晶状になる。
風が吹いたり、雨が降ったりして急激に冷え込むと、山には霧氷ができる。
冷え込みが厳しい日の朝、山を見上げると、まるで、かき氷のみぞれシロップをかけたように山頂だけ真っ白になっていた。

宇和島市内から50分ほど車を走らせて、標高1000メートル近くある登山口に到着した。
駐車場となっている「鹿のコル」は雪原だったが、お目当てだった霧氷はすでに溶けてしまっていた。
日が差し込み、少しでも気温が上がればすぐに消えてしまう。
短期決戦で挑まねばならない絶景なのだ。

2017年頃まで、このあたりは毎年、年末年始には必ず大雪が降っていた。
鬼ヶ城山系に雪が残っている期間も長く、霧氷も数日間は残っていたが、近年はやはり温暖化の影響だろうか、雪が降ってもすぐに溶けてしまう。
今回は霧氷には出会えなかったが、山頂付近の雪景色を一目見ようと、鬼ヶ城山を登ってみることにした。

同行した家族とともに歩き始めると、雪はさらさらのパウダー状で、上り坂は滑りやすい。
アイゼンを必要とするほどでもないが、しっかりした登山靴を履き、丁寧に歩みを進める。
鹿のコルから鬼ヶ城山の山頂までは、わずかに30分程度。
足元からはサクサクと雪を踏む小気味よい音が聞こえ、頭上の木々からは時折雪が舞い降りる。
春になればピンク色の花を咲かせるシャクナゲも寒そうに縮こまっている。
野鳥のさえずりも聞こえる。コゲラだろうか。
目に耳に楽しみながら短い山頂までの道を歩く。

山頂は、標高1151メートル。
眼下に宇和島市内を望むことができるが、木に覆われているため視界はあまり開けていない。
それでも、雪のおかげで静まりかえった山の空気は引き締まり、気持ちが良かった。
同行した私のおいやめいも「別世界やねえ」と雪の山歩きを楽しんでいた。
私たちは、そこでキャラメルとコーヒーを取り出して一服し、山を下りることにした。

帰り道、私がちょっと油断をしたところ、ずるっと足を滑らせて尻もちをついてしまった。
あれよあれよとそのまま、お尻で坂道を下り、大きな木の根っこのあるところでようやく止まった。
いわゆるお尻スキーである。
立ち上がったものの、また滑って尻もちをついてしまう。
ええい、ままよ。もうこのままお尻で滑って帰ろうか。
曲がりくねった下り坂を私はうまく体を傾けながら、天然の滑り台のように滑って降りた。
上りは30分、下りはわずか10分ほどだった。
家族みんなでケラケラと笑って下山したものの、翌日お尻が痛くなったことは言うまでもない。

子どもたちを見つめてきた山小屋

鹿のコルからわずかに林道を下ったあたりで、同行していた父が、昔はこのあたりに山小屋があったことを教えてくれた。
せっかくだからとみんなで探したところ、毛山への登山道のスタート地点に近い森の中にそれはあった。
ブロックを積み上げた小さな小屋で「毛山ヒュッテ」と書かれている。

看板には「親元を離れた子どもたちを自然の中でたくましく、そして心豊かに育てようとの思いを込めてこの地にヒュッテを建設する」とあった。

どうやらこの小屋は、林道が完成する前に地元有志の青年団が中心となって建てられたようだ。

宇和島市の青年団に参加していた私の父も、当時ブロックを担いで市街地から登った。
1個10キロほどあるブロックを606個、砂利2トン、セメント13袋を山のふもとから運び、完成までの延べ人員は1200人を要したという。
小屋の周辺は、木が伐採され小さな広場になっている。
ここでお湯を沸かして、カップめんを食べるだけでも気持ちが良さそうだ。

宇都宮孝さん

山小屋に興味を持った私は、建設の経緯を知りたいと当時を知る人物を探して、鬼北町の宇都宮孝さん(84歳)にたどり着いた。
宇都宮さんによると、山小屋は鬼北町(旧:広見町)の児童養護施設で暮らす子どもたちのため、昭和33年に建てられたそうだ。

「当時の児童養護施設の施設長が山好きだったので、小屋を作ってはどうかと提案したのが始まりです。施設を出た子どもたちは就職して全国各地に巣立っていきました。頼るものがなく、社会の中で孤独を感じることもあったでしょう。そんな時に、楽しかった思い出として山小屋を懐かしんでくれたらいいなと思っていました。私自身も、子どもたちと雪をかき分けて山を登った経験が忘れられません。ここで見る雪景色は別世界でしたから」

かつては木造だった小屋は、一般の登山者にも親しまれていたが、一部の心ない人たちに荒らされ、寝袋などの備品も持ち出されたという。
傷みも激しかったため昭和40年ごろ木造からブロック製に改築することになったということだ。

宇都宮さんも児童養護施設の職員として長く勤務し300人あまりの子どもたちと関わってきた。
山小屋には数え切れない思い出があると、当時撮影した写真を見せてくれた。

「身寄りのない子どもたちに心に残る思い出を作ってあげようと、当時は自然に触れる活動を多くしていました。鬼ヶ城山系への登山のほかにも、松山まで徒歩で行ったり、足摺岬までサイクリングしたりと子どもたちにとっては大冒険ですよ」

宇都宮さんは、今でも山を見上げると当時のことを思い出し、あの頃の子どもたちに思いを寄せているという。

そして、去年、老朽化した山小屋を改修する話が持ち上がった。
当時建設に関わった人たちが集まり、9月には完成お披露目会として児童養護施設の子どもたちを招待して日帰りキャンプが企画された。
毛山ヒュッテは半世紀以上過ぎた今も子どもたちを見つめ、大自然の中で過ごす貴重なひとときを共有している。

かけがえのない大切な山

毛山ヒュッテからわずか200メートル下った場所に、市内を一望できるビュースポットがある。
尻割山だ。標高は980メートルで、正確には山頂ではなく尾根の肩になるが、ここから宇和島市内が一望できる。
遠くは佐田岬まで望むことができ、肉眼で九州と四国を結ぶフェリーが行く姿まではっきりと見えた。

ふと、足下を見ると、ウサギやテンの足跡があった。
木々の間からシジュウカラの鳴き声も聞こえる。
姿は見えないながらも、山に生きる生き物たちの気配を感じた。
自然は、言葉で語らなくても雄弁にその豊かさを語ってくれる。
冬の山の静けさを味わうだけでも、喧噪な日常とは別の空気がそこにある。
私にとって山は、まだ幼いおいやめいと一緒に歩いて笑う大切な時間になっている。
私もまた山を見上げると、美しい景色とともに楽しいひとときを思い出しているのだ。

この記事を書いた人

山下文子(やました・あやこ)

山下文子(やました・あやこ)

2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。
鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。
実は覆面レスラーをこよなく愛す。