2021年12月2日

世界記録に挑戦!「愛媛プロレス」

ご当地プロレス団体「愛媛プロレス」。個性的なレスラーや団体の活動はこれまでにもこのページで紹介してきた。その「愛媛プロレス」が今度はギネス世界記録に挑戦するという。目指したのは丸一日リングで戦い続ける「24時間ワンマッチ」。私は前代未聞の挑戦を追った。

(NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)

コロナ禍 プロレスで愛媛を元気に!

11月20日午後1時、松山市内のデパートに設置された特設リングで「24時間ワンマッチ」のゴングが鳴った。リングに上がったのは10人のレスラー。赤コーナーと青コーナーに5人ずつ分かれて3カウントを多くとった方が勝ち。24時間、入れ替わりながら戦い続ける。これまでの記録はアメリカの団体が達成したという12時間。成功すればギネス世界記録として認定されるという突拍子もない挑戦が始まった。

この無謀とも思える挑戦の根底にあるのは、「プロレスで愛媛を元気にしたい!」という団体の熱い思いだ。2016年の旗揚げ以来、地元密着の「子どもからお年寄りまで楽しめるエンターテイメント」を繰り広げてきた。しかし、コロナ禍で団体のイベント数、売り上げはともに9割減。こんなときだからこそ「笑顔になってもらえるプロレスラーらしい挑戦はないか」
思いついたのが「24時間プロレス」だった。

キューティエリー・ザ・エヒメ代表

キューティエリー・ザ・エヒメ代表

「プロレスラーがプロレスラーだからこそできる、みんなを元気づけられることをしたい、何かいっしょに共有したいと強く思ったとき、前人未踏の『24時間プロレス』をやってみようと思いつきました」

若きエースことライジングHAYATO選手

若きエースことライジングHAYATO選手

「愛媛プロレスは、見ている人に元気と笑顔を届ける団体なんです。24時間という時間はこれまで体験したことがない未知の世界ですが、一番は一緒に楽しんでもらいたい。もしかしたら死んでしまうかもしれない・・・。でも自分の選手生命をかけた一世一代のビッグチャレンジだと思って全力でやります」

始まったギネス世界記録への挑戦

始まったギネス世界記録への挑戦「24時間ワンマッチ」。ライジングHAYATO選手は得意のトップロープからの豪快なダイビングをお見舞い。同じ赤コーナーには、四国中央市出身で紙を愛する凡人パルプ選手。千のタオルを持ち空中殺法を得意とするイマバリタオル・マスカラス選手。鬼北町の真っ赤な鬼こと鬼王丸選手。カナダ出身のメイプル・グリズリー選手が控える。

対する青コーナーは、四国チャンピオンを争うほどの実力の持ち主で頭脳プレーを得意とするKURUSHIMA選手に。古紙の怨念から生まれたというKOSHI選手。副代表でもあり女性にはめっぽう弱い石鎚山太郎選手。長い手足で強力なキックを繰り出す八幡浜のハリケーンキッカーことジャコ天☆KID選手。ことし夏にデビューしたばかりの女子レスラーしゃあ選手が立ち向かう。

「愛媛愛」の「愛媛プロレス」

ギネス世界記録を達成するには、「レスラー全員が最後まで戦い続けること」が必須条件だ。誰1人脱落することは許されない。試合の様子はインターネットで配信。「みんな頑張れ」「画面の向こうから応援しています」。リアルタイムでメッセージが寄せられた。

会場にはさまざまな差し入れも届けられた。みかんジュースに今が旬のブリの刺身・・・。日頃から「愛媛愛」にあふれる「愛媛プロレス」への応援だ。差し入れのブリを食べたライジングHAYATO選手は思わず叫んだ。

「うまーい」

激しい試合の途中にはみかんゼリーの早飲み対決やじゃこ天の早食い競争、ティッシュ積み上げ大会など地域色を生かしたコミカルなエンターテインメントも盛り込まれた。プロレスに詳しくない人たちでも楽しめるような展開を見せた。

ブリを差し入れた県職員

ブリを差し入れた県職員

「すごい挑戦だと思います。ドキドキしながら見たい」

手を抜かぬ戦い

そして、深夜。12時間が経過。レスラーの疲労は濃くなり始める。睡魔も襲ってくる。目をつむりながらも技を仕掛けるように見せかけるなど笑いを誘う。一瞬たりとも手を抜くことなく、リングの上では戦いが続いた。

出場選手の最年長、凡人パルプ選手はことし45歳。ふだんはサラリーマンとして働く勤労戦士だ。しかしながら、20代の若手選手にも負けない動きを見せつつマイクパフォーマンスでもリングを盛り上げる。

凡人パルプ選手

凡人パルプ選手

「自分はプロレスが好きで好きで、プロレスラーになったんです。やりきりますよ、もう体力はとうの昔に限界に来てますけど、でもなんでしょうね、やれてますね(笑)。もう半分、まだ半分。長いですよ、この戦いは」

そして24時間

夜が明けてもレスラーたちは戦い続けた。残り1時間。実況アナウンサーも眠らずにリングのようすを伝え続ける。ここへ来てレスラーの動きはますます激しくなった。試合開始と見まごうほどの大技が次々に繰り広げられたのだ。何度もラリアットを食らわせては立ち上がり、何度もバックドロップを食らいながらも3カウントはとらせない。10人が10人、満身創いでありながら必死で戦い続けた。

そして、ライジングHAYATO選手がKURUSHIMA選手を高く持ち上げてブレーンバスターをかけ、リングにたたきつけたあとレフェリーがワンカウントを数え瞬間、たかだかとゴングが鳴り響き、24時間の長い戦いは終わった。

石鎚山太郎選手

石鎚山太郎選手

「一人じゃ絶対にできなかったと思います。達成できたのは仲間のおかげです」

果たして記録は・・・

リング下のギネス記録認定員が席を立った。そのままリングに上がる。果たして世界記録に認定されるのか・・。その場にいた全員がその結果を待った。

リングに誰もいない状態を捉えた映像

リングに誰もいない状態を捉えた映像

実は、試合開始からおよそ2時間半が経過したころ、差し入れされたブリの刺身を全員で試食。うっかり全員がリングを降りてしまっていたのだ。くしくもその様子は、インターネットで配信され、言い逃れようのない映像が残っていたのだ。確認するとなるほど、リングの上に誰もいないではないか。

正式な記録は21時間44分34秒であった。世界記録ではあるが目指した24時間には届かなかった。
この結果にライジングHAYATO選手は「24時間全員でがんばったけど、こういう結果になってしまったのは愛媛プロレスらしいというか、まぬけなかっこいい奴らということで、全然後悔はありません」とリング上で叫んだ。そして「死ぬまでにもう一回24時間に挑戦したいです」と続けた。

即座に、ほかのレスラーたちには「もういい、もういい」と突っ込まれる場面もあったが、もしかしたらそれは実現するかもしれない。彼らならやりかねない。愛媛を世界に発信したいという夢はかなったのだ。愛媛の小さなご当地プロレスが、世界一の記録を塗り替えたのだ。そんな歴史的瞬間に立ち会えて、私もどんなに心を震わされたことか。胸がいっぱいになった。どんなときも全力でだれかの笑顔のために何度も何度も立ち上がるレスラーたち。「あきらめるなんて選択肢はない。自分たちの姿を見てくれ、そして一緒にまだ見ぬ境地へ行ってみようぜ」とさらなる挑戦すら見据えている明るいレスラーたちにますます陶酔した。

この記事を書いた人

山下文子(やました・あやこ)

山下文子(やました・あやこ)

2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。
鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。
実は覆面レスラーをこよなく愛す。