2021年9月21日

愛媛プロレスのエース、ライジングHAYATO~
「自分はいつだってプロレスラー」~

愛媛を拠点に活動するプロレス団体「愛媛プロレス」で、若きエースとして活躍しているライジングHAYATO選手(22)。心身ともに充実し、幅広い年齢層のファンを獲得している。全日本プロレスにも出場し、今やその名を全国にとどろかせつつあるHAYATO選手の熱い思いを聞いた。

 (NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)

愛媛プロレスのエース

身長177センチ、体重85キロ。鍛え上げた筋肉美とさわやかな笑顔。リングの上ではダイナミックな飛翔技を繰り広げる愛媛プロレスのエースレスラーだ。団体には立ち上げ当初から在籍している。まず、プロレスとの出会いを聞いた。

「僕が中学2年生だった時ですかね、同級生にプロレスがすごく好きなやつがいて、そいつが僕に『スゲーの見せてやるよ』って言ってきたんです。
その時にYouTubeで見せられたのが、高さ6メートル近くある後楽園ホールのバルコニーから下にいる人に向かってダイブ(飛び込み)する葛西純選手だったんです。なんてことだ!と。人間離れした衝撃的な映像を見て『これは超人だ、リアルスーパーマンだ。これはもうプロレスラーになるっきゃない』と強く思ったんです」

1日8食、筋トレの日々

高校生時代

高校生時代

高校生時代は、運動部に在籍してはいたものの、特に打ち込んでいるわけではなかった。体重は60キロほどで細身だったが、葛西選手の映像を見て以来、急に体づくりに目覚め、1日に8食を食べては筋トレの日々に明け暮れた。そんな急変ぶりに家族も驚いたという。

「母親は、とにかく心配していましたね。普通の3食に加えて、カロリーの高いコーンフレークとかをどんぶりで食べました。さらにおにぎりも食べてプロテインも飲んでいたので『あんた病気になるよ』なんて言われました。
でも逆に父親は、やれやれーという感じで背中を押してくれました。高校を卒業したら、東京でプロレスラーになりたいと言っていた僕に『愛媛でもプロレス団体が旗揚げされるらしいよ』と教えてくれたのも父親でした」

入門から半年で夢のリングに

デビューしたての頃

デビューしたての頃

そして、高校2年生で設立まもない愛媛プロレスの門を叩いた。デビュー戦は、2016年10月15日。入門からわずか半年で夢のリングへ上がった。

「もう心臓が飛び出るくらいバックンバックン、相手にも音が聞こえてるんじゃないかっていうくらい緊張していました。
入場ゲートの隙間からのぞくと、同級生ら150人もの客がいたので興奮しすぎて何が何だかわからなかったです。初戦の相手は三富政行選手(現在は他団体所属)でしたが、惨敗でした。数日は燃え尽き症候群みたいになって、自分がプロレスデビューした実感もありませんでした」

それからは、体をマットに叩きつけられ、先輩レスラーに鍛えられる日々が続いた。
しかし、HAYATO選手はリングというおもちゃを与えられた子どものように、厳しい練習も楽しくて仕方がなかったという。
私生活も充実し始めた。

やんちゃだった頃

やんちゃだった頃

「高校生のころは、どちらかというとやんちゃな感じだったんですけど、プロレスを始めてからは『あいつはプロレスはできるけど、私生活はだらしないな』と見られたらダメだなと思って、授業もちゃんと受けるようになったんです。するとホームルームで『みんな久保(HAYATO選手の実名)を見習うように』とみんなの前で褒められたんです。今まで小中高と一度も褒められたことがなかったのに」

いつだってプロレスラーなんだ

後楽園ホールでデビュー

後楽園ホールでデビュー

プロレスは、体一つで相手に立ち向かう。
『自分はいつだってプロレスラーなんだ』と心に強く思うことが、人生そのものを前向きにさせるのだ。自分の姿を見て、プロレスラーになりたいという誰かがいるかもしれないと思ってリングに立っている。

その翌年の2017年4月には、初代四国ヘビー級王者を勝ち取り、その後3度も防衛した。さらにデビュー2年目にして、プロレスの聖地である後楽園ホールでもデビューを果たした。敗退はしたものの『ライジングHAYATO』の名を全国にとどろかせた。

「うちの団体は、練習後にみんなでとべ動物園に行ったりしてすごく仲が良いんです。ライバル心もあるんですけど選手みんなが同じ方向を見てるんですよね。
『お客さんに楽しんでもらえる、見てくれた人が笑顔になるようなプロレスを目指す』。本当に入団して良かったなと思います。他団体の試合に参戦する時は愛媛プロレスの選手として呼ばれているので、そこで与える印象は僕の責任です。愛媛プロレスの良さを見せつけてやるぞって思ってます」

実は緊張しい

愛媛プロレスの仲間と

実は、緊張しやすいというHAYATO選手。毎試合、リングに入場する前には吐き気を催すほど緊張しているという。
しかし、音楽が鳴り始めると、急にスイッチが入る。『この試合で負けたら終わりだ』と自分を追いこむようにプレッシャーをかけて一瞬たりとも気を抜くことはない。試合のチケットを買ってくれた客もまた、血のにじむような思いで稼いだお金で見に来てくれているのでその期待を裏切ってはいけない。そう、プロレスラーはいつだってプロレスラーでなければいけないんだ。

西日本豪雨で被災地でボランティア

西日本豪雨で被災地でボランティア

HAYATO選手は、3年前の西日本豪雨の被災地にボランティアとして駆けつけた。
私(山下)も災害現場を取材をしながら、その姿を何度も見かけた。金髪の青年の背中はとてもたくましく、その笑顔は被災した人たちを励ましていた。「いつだってプロレスラーなんだ」という思いは、暑い夏の日差しの中で1日中泥をかき出したり、岩を運んだりする原動力そのものになっていた。

夢は大きく

愛媛県の観光大使にも任命されているHAYATO選手は、松山生まれの松山育ちだ。特に地域の行事が大好きで、地元のおじいちゃんやおばあちゃん、ちびっこたちとの関係をとても大事にしている。これからの夢を聞いた。

「大きな目標は、愛媛のプロレスをもっと盛り上げることです。そのためには、自分自身がプロレス界の上を目指して愛媛に帰ってくることが大事だと思います。僕は本当に愛媛が好きなので、どこへ行っても愛媛に帰りたいと思うのです。国内だけではなく、アメリカでも試合をして凱旋すると愛媛プロレスの底上げになるんじゃないかなと思っています」

山下の感想

HAYATO選手の瞳には、まぶしいほどの郷土愛とプロレスへの熱い思いがこもっていた。インタビューする間中、そのキラキラした輝きに私まで胸が熱くなった。
体一つでリングに上がるレスラーから放たれる光は、温かく会場を包み込み、人びとに夢を与えている。HAYATO選手は、愛媛のちびっこたちには身近なスーパーヒーローなんだ。彼がプロレスラーであるかぎり、きっとだれかの夢や希望になり続けるのだろう。

この記事を書いた人

山下文子(やました・あやこ)

山下文子(やました・あやこ)

2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。
鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。
実は覆面レスラーをこよなく愛す。