2021年1月29日

「坂の上の雲」外伝(1) 瀬戸内海に浮かぶ要塞

「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」。

この書き出しで始まる小説といえば、司馬遼太郎の代表作の1つ「坂の上の雲」です。日本という小さな島国が先進国に追いつこうとした明治の群像を描く長編小説です。小説の主人公は「伊予の首邑(しゅゆう)は松山」出身の3人。俳句や短歌の中興の祖になった正岡子規。日露戦争で世界最強のロシア・コサック騎兵を破った秋山好古。日本海海戦で連合艦隊参謀としてバルチック艦隊を撃破した好古の弟、真之です。この作品は、2009年から3年間かけてスペシャルドラマとしてNHKで放送されました。3人の出身地の松山市には「坂の上の雲ミュージアム」があり、作品にちなんだまちづくりも行われています。

小島

小島

瀬戸内海の小さな島に日露戦争時代の遺産があります。その島の名前は小島(おしま)、愛媛県今治市沖の来島海峡に浮かぶ周囲4キロという小さな島です。今治方面からは波止浜観光港から定期船が出ていて、10分ほどで到着します。

なんと!大砲が…

28cm榴弾砲

28cm榴弾砲

到着するとなんと!大砲が出迎えてくれます。当然ながら、本物の大砲ではありません。解説にはスペシャルドラマの撮影のため当時の資料をもとに忠実に製作された「28cm榴弾砲」とあります。この28cm榴弾砲は日露戦争当時、小島にもあったのですが、2門が中国に運ばれ乃木希典や児玉源太郎らが戦ったことでも有名な旅順攻防戦で使われたとされています。

案内板

案内板

この島では日露開戦の5年前の明治32年から工事が始まりました。ロシア艦隊に備えるためのもので、当時では巨額と言えるおよそ30万円を投じて、砲台や赤煉瓦の兵舎、火薬庫が作られ、要塞へと生まれ変わります。遺跡をまわる遊歩道は1.8キロあります。要塞跡歴史散歩コースの案内にそって、島内を散策してみます。

探照灯跡

探照灯跡

まずは島の南の部分にある探照灯跡です。探照灯とはサーチライトのことで、夜間に海峡を往来する船舶を確認するための照明です。石の階段と赤れんがで築かれていて、探照灯自体は撤去されています。階段を上ってみると、かつて瀬戸内海を支配した「村上海賊」の一派、来島村上氏が拠点を構えた来島を見渡すことができます。

発電所跡

発電所跡

来た道を戻って北西に向かっていくと発電所跡があります。れんが造りの平屋建てで、屋根には「菊間瓦」が使われています。今治市の菊間町窯業協同組合によると、この瓦の歴史はおよそ750年。ここでは伊予・愛媛の歴史も感じることができるのです。

南部砲台跡

南部砲台跡

次は南部砲台跡です。この砲台の設計図を作成したのは当時陸軍大佐だった上原勇作とあります。上原は父親が鹿児島藩士で宮崎県都城生まれ。のちに陸軍大将、元帥までになります。上原は「坂の上の雲」にも登場します。

弾薬庫跡

弾薬庫跡

再び北上して島の中央部に行くと弾薬庫跡にたどりつきます。訪れてみるとわかりますが、周囲は山に囲まれているようなところです。弾薬庫が攻撃されるようなことはあってはならないため、こうした配置となったのでしょう。現在は赤れんがの壁が残るだけですが、歴史を感じさせてくれます。

指令塔跡へ向かう階段

指令塔跡へ向かう階段

小島の山頂には最重要拠点とされた中部砲台跡があります。ここには旅順の戦いでも使われた28cm榴弾砲が6門ありました。さらに進んだ北部砲台跡の周辺では地下室跡や兵舎跡があり、軍事要塞だったことが色濃く感じられます。

同じ瀬戸内海に浮かぶ広島県の大久野島とともに築かれたこの「芸予要塞」は実際の戦争で使われることなく大正13年に廃止が決まります。ただ、こうした当時の施設が多く残っているのはとても貴重です。現在は新型コロナウイルスの感染拡大で地元の観光協会によるガイドは休止していますが、感染が収まればぜひとも訪れて、その歴史を味わってもらいたいものです。

(つづく)。

この記事を書いた人

正亀 賢司

正亀 賢司

2019年より松山局。これまでは北海道、東京、熊本で取材。好きなことは歴史と野球を探求すること。