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NHK松山放送局 アナウンサー・キャスターページ
<小学生の頃>

子どもの頃はどんな性格でしたか?

小学生の頃の通信簿で先生から必ず書かれていたことは“落ち着きがない”でしたね(笑) ちょこまかちょこまかしちゃって・・・その割には引っ込み思案な男の子だったと思います。
というのも、僕は東京の江戸川区で生まれて3歳で伊豆の修善寺に引っ越したんです。僕が暮らしていたのは修善寺の山奥のほうで、けっこうことばのなまりがあるんです。~ずら、とか。小学生になるころに埼玉に引っ越したんですが、僕がしゃべるとみんなが“伸ちゃんのことば、おもしろ~い”といわれちゃう。それで恥ずかしくなっちゃってしゃべれなくなってしまって・・・。

今とは印象が違いますね。変わるきっかけがあったのでしょうか?

覚えているのは小学3年生の時、周りから背中を押されて学級会の司会をすることになったんです。それが本当に嫌で嫌で、意外とシャイだから(笑)
でも担任の先生が“永井君、がんばればいいんだよ”って言ってくれたのがすごくうれしくて。なかなかうまくいかなかったんだけども三学期のときにふいに僕が言ったコメントでみんながワッとひとつになったときがあって、それを先生がすごく褒めてくれて、永井少年はもううれしくなっちゃった(笑)そしたら急にそれまでできなかった勉強をするようになったし、スポーツは余計に打ち込むようになったし、ひとつの成功体験がそうさせたんだよね。そのことを強烈に覚えているもんね。それで小学4年生から急に変わった感じは自分でも感じました。

<ギターの腕前を披露してもらいました>

学生時代夢中になったことはなんですか?

小学校時代は水泳・ソフトボール、なわとびが得意で二重跳びは学年で一番になるくらい。中学校時代は野球部に入りたかったんだけどうちの野球部の練習が長くて嫌だなーって(笑)バスケットボール部に入ってそこで腰を悪くしちゃって・・・。
高校では野球部。大学に入ってからもけっこう真面目なサークルで野球をやって、同時にボーリングサークルを友人たちと作ったりして体は動かしてました。あとは高校の時、ギターをはじめてバンドもしていましたね。興味を持ったらやってみちゃうタイプでドラムもベースもやりましたけどギターはハマりました。大学の時はひとりで多重録音をしてましたね。世の中に出せる代物じゃないけど(笑)

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