ずっとしこく #13 俳優 石丸幹二さん ずっとしこく #13 俳優 石丸幹二さん

回ご紹介するのはミュージカルや舞台、数々のドラマに出演。歌手としても活躍されている俳優の石丸幹二さんです。

藤「きょうはよろしくお願いいたします。」

石丸「よろしくお願いいたします。」

首藤「4歳まで新居浜にいらしたんですね。」

石丸「そうなんですよ。生まれて、父の転勤があるまでの間の4年間だったんですけれども、意外と覚えているんですよ。とっても印象的だったのは新居浜は太鼓祭りっていうのがありまして太鼓台の周りに行っては子どもはだめだから、よく行くんですけども引きはがされてたんです、その記憶はすごくあって・・・で、ぶつかってますから危ないですよね。物心ついた3歳と4歳の2年間の記憶はすごくあります。それで、つい何年か前にお祭りの時期に新居浜に行きました。」

首藤「大人になって、つい最近ですか?」

石丸「はい、行きました。太鼓祭りを見ました。そしたら思わず涙が・・・こうだったっていう思いで。」

丸「当時まだ飛行機がそんなに飛んでない頃に、四国に帰るときは瀬戸内海をフェリーで渡り、高松まで来て高松から気動車(鉄道)で帰っていたんです、私の頃は。」

首藤「そうですか。」

石丸「そうすると、駅のホームで夏になると冷凍みかんを売っていたんです。食べたことありますか?」

首藤「私、ないんです冷凍みかん。もう生のものを食べてました。」

石丸「世代が違いますね~。」

首藤「いやいやいやいや・・・。」

石丸「夏の楽しみは冷凍みかんでした。」

首藤「そうですか。」

石丸「もう何時間かかるか分からないけどワクワクしながら、電信柱の数を数えながらもうすぐ着くな、なんて。」

首藤「もうだいぶ今はもう船も減ってしまって、橋もいっぱいかかりましたし。」

石丸「だから最近の四国に帰る楽しみは、しまなみ海道。」

首藤「今すごく人気で。」

石丸「子どもの頃ね、思いもつきませんでした。あそこに橋がかかるなんて。」

首藤「そうですよねえ。」

石丸「子どもの頃の夢は、瀬戸内の島に行くこと。」

首藤「えー!」

石丸「大人になってやっとかないました。」

#ずっと第一線で活躍 その原動力は?

藤「ずっと第一線でご活躍されていて、そのエネルギーはどこから生み出されるんですか?」

石丸「ありがとうございます。どこからでしょうね。でもね、自分は愛媛で長く育ってはいませんけど、母は香川の人間なんで両親ともに四国人なんですね。この四国的な雰囲気“まあいっか”とか。」

首藤「はい、分かります、私もです。」

石丸「分かりますよね? それは決して悪いことじゃなくて、そういう少しのんびりとした部分が自分の助けになって、やったこともないミュージカルの世界に入ってもまあ頑張ってみようか、というところにつながってきたんじゃないのかなと。」

首藤「そうですか。」

#挫折の経験

藤「辞めようとか挫折というか、そういうことも?」

石丸「それはもう人並みにありました。劇団時代にですね、生き残っていくための大変さとか自分の技術を磨いていく大変さとかあったり、私が入った頃は先輩たちがものを教えてくれる時代ではなかった。見て学べという時代で、どうやったらうまくなるんだろうってもがいていましたね。でもその挫折しながらでも自分の今選んでいる道は“自分にとって必要だな”と思えば、それは乗り越えられたし頑張ってみようと思いましたよ。」

#四国の人へのメッセージ

丸「実は僕、愛媛でも行ったことがないエリアがいっぱいあるんですよ。そういうところに行って、歌を歌ったりおしゃべりしたりそんなことができたらいいなと。そうやって四国で自分のパフォーマンスを見てもらえることが自分にとって四国に対する恩返しになるのかな、と。」

首藤「もうぜひともそういう機会を・・・」

石丸「作ってくださいよ。」

首藤「えっ! いいですか!」

石丸「お願いします。」

首藤「お願いします。きょうはありがとうございました。」

石丸「ありがとうございました。」

藤「幼い頃の思い出ってもちろん私もチラチラとは覚えてるんですけど、新居浜での思い出をあんなに語ってくださって・・・やっぱりそれだけ当時の旅がとてもキラキラしたものであったんだろうなって思いましたし、今なんでも便利になっていいんですけれども、やっぱりそういうゆったりとした時間の中で感じることってきっといっぱいあるんだろうなって思って、逆にうらやましくも思いました。

首藤奈知子の「ずっとしこく」取材日記 首藤奈知子の「ずっとしこく」取材日記

「ずっとしこく」第13回は、俳優の石丸幹二さんです。


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