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松尾裕治さん

話し手

松尾裕治さん

香川大学 四国危機管理教育・研究・地域連携推進機構
客員教授
(2020年4月現在)

危機管理

2020/4/20放送ラジオ第1

テーマ災害伝承がのこる安長堤防跡石柱(愛媛県松山市)

安長堤のいわれ

最近、身近な災害履歴を学ぶための学習教材として自然災害伝承碑等が注目されていますが、愛媛県松山市の市坪には、昔、自分の財産を投じて堤防の復旧や完成に尽力した偉人のことが刻まれた災害伝承石柱があります。それは重信川と石手川の合流地点上流の松山中央公園北の石手川堤防上にある安長堤防跡の石柱です。
石柱の側面には次のようなことが書かれています。「江戸時代の重信川の大改修、石手川の付替え工事によって市坪地区は重信川、石手川に囲まれ、雨が降るたびに、上流から流れ出た土砂が川底を高くし、洪水を起こすようになりました。元和六年(1620年)から延宝六年(1678年)にかけて三度の大洪水にみまわれ、市坪地区は、なにもかも流されてしまいました。そのとき、安長九郎左衛門という人が、農民の辛さを自分のことのように哀れみ、全財産を投げ出して藩主に働きかけ、村の人々と力を合わせ堤防の復旧工事を行いました。人々は九郎左衛門への感謝の気持ちからこの堤防を「安長堤」と言うようになりました」。以上のように書かれています。
市坪にある玉善寺には、安長堤防の復旧や完成に尽力した安長九郎左衛門の偉業を忍び墓が建立されています。

正岡子規の句碑が物語る土地柄

石柱に刻まれた江戸時代の洪水のあとも、重信川と石手川で挟まれた市坪村(現市坪町)では洪水被害が続きました。
市坪の素鵞(そが)神社には明治25年に正岡子規の句が刻まれた碑があります。そこには、「荒れにけり 茅針(つばな)まじりの市の坪」と詠まれています。このなかの「茅針」というのは、河原の土手などに群生する「ちがや」の若い花穂のことです。この句は、おそらく洪水で荒れた市坪の様子を物語ったものと思われます。

地域発展と未だ残る水害リスク

地域の水害をなくそうと堤防の復旧に尽力した先人の遺構は現在の堤防整備に結びつき、市坪町には松山中央公園ができ、坊っちゃんスタジアムや武道館、多目的競技場、テニス場などの総合運動公園として利用され、発展しています。しかし、この地区がかつてたびたび水害に襲われた地帯であったことは、住民の皆さんにはあまり知られていません。現在、市坪地区は、堤防整備と地形が改変され、水害が減ったとはいえ、石手川、重信川合流地点は堤防が締め切られていない「かすみ堤」の状態にあります。大きな洪水が発生した場合は、被害を受けるリスクを抱えています。

得られる教訓

石柱の伝承は、地域の過去の惨禍を教訓として捉え、忘れてはならないことと、現在も市坪地区は堤防が締め切られていないため、かすみ堤の機能を超える洪水に備える必要があることを教えてくれています。

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