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話し手写真

話し手

松尾裕治さん

香川大学
四国危機管理教育・研究・地域連携推進機構
客員教授
(2017年11月現在)

土砂災害 危機管理

2017/11/6放送ラジオ第1

テーマ 舞ヶ鼻崩れ(仁淀川天然ダム)の紹介

音声の公開は終了しました音声の公開は終了しました  

お話

今から310年前の宝永地震により、仁淀川中流の越知町舞ヶ鼻地先の斜面が崩れて仁淀川に天然ダムが形成されたという記録があります。

越知町史年表によれば、1707 年の項に「大地震で舞ヶ鼻崩壊し、仁淀川を堰き止め洪水を起こす」と記されています。また内閣府報告書『1707宝永地震』には「越知町柴尾部落の長老・山本佐久實氏によれば、『4日間湛水し、満水となって決壊し、仁淀川下流のいの町に被害をもたらした』」とあります。天然ダムが上流、下流に水害をもたらしたことを示しています。
舞ヶ鼻崩れの現地、仁淀川左岸の道路沿いには、舞ヶ鼻崩れを説明した看板が設置されています。その規模は河道閉塞土砂量約240 万立方メートル 、湛水面積は4.8平方キロメートル、水深18 メートル、湛水量は2880 万立方メートル程度と推定されています。
この上流の越知盆地には、柴尾・場所ヶ内・原・女川・文徳などの5 か所に、宝永の天然ダムのことを記録した石碑が現存しています。なかでも女川の石碑は阿弥陀堂の中にあり、石碑は「南無大師金剛遍照 宝永七年 尾名川村(女川村)惣中」と読むことができ、宝永四年の災害から3年後の宝永七年(1710)に建立されたことがわかります。

現地を探訪すると、これら石碑は、標高がほぼ同じ所にあることに気づきます。その標高が天然ダムの水面高であったことが、歴史的土砂災害研究者の湛水範囲と石碑の調査資料からわかります。また現地の道路の電柱に河童の絵とともに当時の天然ダム浸水高、海抜61mの高さが表示され、伝承されています。この災害伝承効果からか、現在、現地の多くの集落は、この高さから少し高い河岸段丘の上にあります。
地元では現在でも「石碑より下に家を建てるな」という伝えが残っており、この高さより低い地域は、現在でも大部分が水田となっています。最近の平成26年の仁淀川の洪水氾濫では、水田地域は浸水し被害を受けましたが、高い所にあった集落は難を逃れています。

教訓

得られた教訓は、地域の「石碑より下に家を建てるな」という伝承が、現在も電柱の海抜61mの高さを表示した看板となって受け継がれ、もしもの時の災害対策として、住宅立地等の現在の土地利用に生かされていることを教えています。

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