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私たちはここにいる

LGBTQなど
島根では“ほとんどいない”ことにされている人たちの声を
HP上に掲載していくキャンペーン企画

ジェンダーについて考える
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ドリー30代 松江市出身 松江市在住

私は、女性の体で生まれましたが、心は男性にちかく、恋愛対象は女性です。いままでずっと自分のセクシュアリティを隠して生きてきましたが、30歳をすぎてようやくオープンにして生きることができるようになりました。今やっと自分の人生を生きている感覚がしています。

なりちゃん(朝倉なりな)58歳 県外出身 東京都在住

身体は男の子。心は女の子として生まれてきました。
好きになるのはいつも女の子。
男の子を好きになったことはありません。
ずっと性的指向だと思って心にしまってました。

一番新しいきっかけは娘の成長です。
女性としての成長がとても羨ましく感じました。
それでジェンダー外来でカウンセリングを受けたら
性同一性障害と診断されました。

やっと心の性で生きていいと思えて、名前、服装を変えて暮らし始めました。

転んでもただは起きぬ。
私の経験を語ることで、困ってる人の力になりたいと思います。

いま立ち止まっている人に優しい風が届きますように!

たがのりか41歳 島根県雲南市出身・在住

身体は女性、心は真ん中らへん、恋愛対象女性。
2021年2月24日に、「島根のちょっこしLGBTQ相談室」を、島根ルーツの仲間と一緒に立ち上け゛た。インターネット配信を通し゛て、LGBTQについて、気軽に話せる場をつくっていけたらと思っている。

彩ちゃん(松島彩)30歳 松江市出身 出雲市育ち 広島市在住

女でもなく男でもない。自分の性別がよくわかりません。好きになる対象は性別問わず。
地元新聞でLGBTQに関するエッセイを毎月執筆中。自分が隠し続けてきた心の内や経験を赤裸々に綴っています。
弁護士目指して勉強中。マイノリティに手を差し伸べられる仕事をする。

Aさん県外出身、島根にIターンし邑南町在住。

性別で区別されること自体に違和感がある。恋愛感情や性的欲求を抱かない。 今の世の中では、自分ひとりが異星人の世界で生きているようだと感じている。

シロクマ30代前半 出雲市出身 出雲市在住

社会では女性として生きていますが、心の性は中性といった男性と女性のどちらにも当てはまらない感覚です。小学校高学年から好きになる人の性別は女性です。

ゆきたろう18歳 大阪府出身大阪府在住

体の性は女で、心の性は男。
寮での生活はいちばん辛いことだった。自分の心の性とは違う性を持つ人たちと暮らさなければならなかったため、お風呂や着替え、トイレなど、毎日絶対しなきゃ生きていけないようなことも、自分にとっては苦でしかなかった。それでも、寮を辞めずに3年間住んだのは、女子寮の友達の存在。どんなに辛いことでも、仲間や友達がいるだけで軽減されていった。

シルシ30歳 島根県出雲市出身

自分は普通のノンケとして育ってきました。中学生の時から少し男性に興味があったのですが隠しながら生活をしていました。その後、県外の専門学校が決まり一人暮らしする事になりました。その頃から新しい土地というのもあり今まで隠していた男性への興味を出していくようになりバイとして生きていました。
それから数年が経ち恋愛の対象が男性だけになっている事に気付きゲイとして生きようと思いました。

ゲイとして生活していると自分と同じ同性愛の人を探すのが大変だなと思います。
どうしても探すとなるとSNSなどになるのですが殆どが関東や関西などに集中していて島根ってどこにあるの?という感じでした。
その中である程度車で行ける範囲で趣味があったり話があったりする人を探して旅行というか遊びに遠出していました。

マリンバ10代 中国地方出身

恋愛対象について男女の区別を意識しません

あつき25歳 神奈川県出身島根県在住

私は生まれた時は女性として生まれましたが、物心つく頃には自分が男じゃないのは何故だろうと違和感を感じていて、高校生になった時友人からの「男の子になりたいって事はトランスジェンダーなの?」と言われたのをきっかけに自分がトランスジェンダーである事に気づき、高校卒業後ホルモン治療を受け始め、まだ戸籍は男性に変えていませんが男性として生活しています。
島根に住み始めて困った事があるかと言われたら、病院ですね、自分の場合はホルモン注射を定期的に打たなければならないのですが、やってくれる病院がなかったです。大体が泌尿器科、産婦人科、ジェンダークリニックなどで注射を打ちますが、島根にはジェンダークリニックがありませんし、産婦人科と泌尿器科に関しても「トランスジェンダーの人はちょっと…」と言われました。最後にダメ元で連絡した皮膚科の先生だけが、調べて大丈夫そうであればうちでやらせてもらいますよと言って下さり、その後自分の為だけにわざわざホルモン注射を仕入れてくださり打ってくれています。島根はやはりトランスジェンダーが少ない(言えない人、治療をする人がいない?)ので色々な部分でまだ理解が進んでいないと感じる一方、ちゃんと真摯に対応してくださる方も居るという印象です。

TAIGA32歳 島根県浜田市出身 東京都在住

・自分のジェンダー・セクシュアリティ
自分自身が既存の性別役割や期待されたらしさを強要されたり、見た目の性別や出生時の性別として扱われることに精神的苦痛や違和を感じており、自分の性別を男性、女性のいずれかという形として規定するのでなく、「人間であること」を重視したり、「人間性」を強く意識化した自己認識を幼少期より持っています。性的に惹かれる性別は、「男性的な状態」の人々に対してですが、親密な関係で信頼のおける人にしかより積極的な性的関心は芽生えず、また、恋愛的に強く惹かれる性別は特段なく、恋愛的な感情が自然発生的な形で生まれることもほとんどありませんが、誰に対しても「親密性」を感じることは出来ます。

・島根で暮らす中でつらかったこと
保育園時代より、「女っぽい」というだけで「オカマ」と罵られ、5歳の時点で生きる希望を見失い、そこからずっと「死」について考えていました。一人称やランドセルや、歩き方や仕草や話し方など、何から何まで真似されて笑われることが、何よりもつらいことでした。しかしながら、成績や運動神経が比較的よかった私は「真面目な児童や生徒」としての仮面を最大限に先生から評価されていましたから、その仮面をかぶり続けるしかありませんでした。先生からは、「女子といつも遊びすぎて多少女の子っぽいだけであとは問題ない」としてそれ以上のSOSも感じ取られることもなく、私も届けられませんでした。中学生の3年次よりインターネットで居場所を見つけられたけど、親の理解も学校の理解もその当時はなく、もちろん同級生の理解もなかったため、この世で何ひとつ信用できるものはない、と決断し、社会的地位と評価を手に入れるためだけに学校にいくものとして割り切る冷酷人間な10代を過ごさせられたという実感を持っています。楽しくて友達と他愛もない話ができる青春のようなものは、その後大学時代に唯一生きる希望としての転機だった、関東圏のセクシュアル・マイノリティの人々が集うサークルで初めて味わうことができましたが、残念ながら18歳までの島根での生活は、フラッシュバックしたり夢に出るほど、思い出したくもない出来事として記憶され、私自身もこれらと向き合うのに今でも苦労する出来事です。私に自己理解を促してくれる機会や、同じような人々の存在を示してくれる教育でもあれば、変わったのかもしれませんが、当日の島根ではそんなことを望むことはできないと考え、逃げるように東京に去ったあの頃を今でも思い出します。

チョルリート

私は女です。今まで男性とも女性ともお付き合いをさせていただきましたが、どんな性を好きになるかは分かりません。決めないというのが一番しっくりきています。

こっちゃん10代

男性に生まれて女性として生きている

LIGHT10代

初めまして!高校生のLIGHTです。男の人も女の人も好きになれます。