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本田 久子

地震から10日

ラジオキャスターの本田です。

地震の被害があった地域の皆様には、一日も早い復旧をお祈りしています。

災害時、ラジオを持っていなくてもスマートフォン、パソコンでラジオを聞くことができます。

「らじる らじる」といいます。ぜひご活用ください。

 お役に立たないかもしれませんが、私が、いくつかの地震で感じたことなどを書かせていただきます。

 

 

 

お役に立たないかもしれませんが、私が、いくつかの地震で感じたことなどを書かせていただきます。

 

阪神・淡路大震災、1995年平成7年)1月17日のことです。

私は東京で働いていました。兵庫県にいる大親友宅の最寄り駅が大破している映像を見て、すぐに彼女に電話をかけました。つながりません。「届かなくても、それでも・・・」と思い、無事でいるのか、

とてもとても心配しているけれど電話がつながらないことなどを書いたハガキを速達で出しました。

2日後、彼女から電話がありました。この混乱している中、なぜか私からのハガキだけ届いたと。

郵便局の方が、ハガキの文面を見て何とか届けようとして下さったのではないかと今でも思っています。

 

鳥取県西部地震、2000年平成12年)10月6日 午後1時30分でした。

岡山県倉敷市で仕事をしていました。照明がずれてしまい、その日の仕事は中止となりました。

およそ一か月後、松江に帰るため「やくも」に乗ったのですが、土砂崩れのため、途中、生山~根雨の間がバスでの運行となっていました。墓石が多く倒れていたのを覚えています。

 

新潟県中越地震、2004年平成16年)10月23日

連日、地震による土砂災害などの映像を見ていた私は、あまりにも見すぎたのか、怖くなって怖くなって、ものすごく不安になってしまいました。そんな時に助けられたのがスポーツ番組と歌番組でした。情報を上手く取り入れることも大事なのだと思いました。

 

7年前の東日本大震災。

埼玉県にいました。マンションにいた私は、すぐに玄関のドアを開けました。地震によってドアが歪んでしまい外に出られなくなることがあるからです。

電力不足のため「計画停電」もありました。信号機もコンビニのあかりも消えました。

「デマ」もずいぶん流れました。「正しい情報」を得ることが大切だと思いました。

私に出来ること…とても小さなことですが「この商品の売り上げは義援金として被災地に届けられる」と謳われている商品を買うようにしました。例えば「花は咲く」の楽譜。この楽譜の著作権料、また売上げの一部は、義援金として被災地に届けられています。無理をしても続かないので、自分が出来ることで支援を続けていこうと思いました。

そしてこの時から、他人ではない、自分のことなのだと災害に対する考え方が変わりました。

 

今月9日の県西部を震源とする地震。

久しぶりに響いた緊急地震速報音。私はまだ起きていて、急いでテレビをつけました。

斎アナウンサーと山口アナウンサーが地震や被害の情報を迅速に伝えていました。

明け方まで眠れませんでした。

松江にいる私でさえ眠れなかったのに、揺れが大きかった地域の方々はどんなに不安だったことかと思います。

非日常が続くと疲れます。片付けもそうです。どうか無理をなさいませんように。

ボランティアの方をはじめ、助けてくれる人はたくさんいるはずです。困ったことがあったら、口に出して伝えてください。

 

私は、ラジオで、情報をきちんとお伝えできるよう努めてまいります。

投稿者:本田 久子 | 投稿時間:15:29

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