浅野いにお

10代・20代を中心にカリスマ的人気を誇る漫画家、浅野いにお。
2010年には、「ソラニン」が宮﨑あおい主演で映画化され、大きな話題となった。
今回、連載中の女子高生SF漫画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」の現場に密着する。写真をパソコンで処理するデジタル手法と、アナログのペン先を融合させる、革新的な浅野いにおの描き方は、浦沢直樹の目にどう映るのか?

密着した作品

漫画家のペン先

密着撮影することによってとらえた 「漫画が生まれる瞬間」

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人物 細かさと質感にこだわる

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主人公の女の子を描く(番組未公開)

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写真を使った手法 風景が物語を紡ぐ

浅野いにお×浦沢直樹

細かい描き込み、すごいよね。(浦沢)
こういう作業は平気なんですよね。決められた範囲に細かいものをみっちり埋めていく、という作業は全然苦じゃない。細かく、できる限り細かくしたい。もっと。(浅野)

(手描きを細かく加えることで)アクシデント的な、アナログ的な要素を入れたい。(浅野)
隙を作るんだよね、読者が入ってくる隙を作る。(浦沢)
隙って大事で、あまりにハイクオリティなものって、みんな意外と求めていない。(浅野)

ペン先を使いこなすの、大変だなって、ヒーヒー言いながら描いている線が、実は個性になっている。あまりにうまい線が達者に入っていると、誰かわからない無記名な感じになってしまって。(浦沢)
デジタルだと「完全なきれいな曲線」というのが描けるんですけど、もうそれって、計算で、数式で表せる線だから、誰でも再現できる線になっちゃう。
ムラとかエラーを起こしている部分がそれぞれの絵の個性ということになる。(浅野)

浅野さんの場合、取材から入って行って、そこにある風景が物語を紡ぎ出す。(浦沢)
そうですね、舞台として町というものがあった上で、そこに暮らす人たちという順番になるので。景色とか背景の方が先にあって、むしろそっちの方がメインっていうこともある。(浅野)

いかにキャラにキャラをつけさせないか。たとえばキャラクターの名前ですら、本当は決めたくないというところがあったりして。(浅野)
名前をつけるのって、すっごい嫌な作業なんです。(浦沢)
名前は安直であればあるほどいいって感じがする。物語に対して、作者側がどれだけ干渉するか、という問題になってくるじゃないですか。あまりにも作者が出過ぎちゃうと、読む人にとってはそれがウザいというか。(浅野)

デジタルを使うことで、目新しい絵の表現ができたら楽しい。そのための面倒くささは、いとわずにやる。(浅野)
あくまで、お客さんをハッとさせる、ということだからね。(浦沢)
そうですね、最終的に読者が面白がってくれれば、それでいい。(浅野)

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読む漫勉

漫画家同士が語り合うことで飛び出した言葉の数々。本編で入りきらなかった未公開部分を、お楽しみください。

浦沢道具に対しては、あんまりこだわりを感じない。 浅野ああ、そうですね。何かもう、どこでも手に入るものであれば。 浦沢それは大事だよね。レアなものって、手に入らなくなるからね。 浅野やっぱり、常にコンスタントに、同じクオリティのものを作れるか、というのも1つのテーマだと思う。 浦沢あと「いつこの道具、なくなっちゃうんだろう」っていう恐怖感ね。 浅野そうですよね。つけペンとか、特に死活問題だと思う。あれがなくなっちゃうと、線ががらっと変わっちゃいそうです。

浅野やっぱり、アシスタントへの説明って、難しいですよね。 浦沢難しい。 浅野なるべくだったら、もう何も言いたくない。 浦沢何も言いたくない。言っちゃえば、人の描いた絵にNGとか、したくないんですよね。 浅野本当にそうです。やっぱり人の描いたものにとやかく言うのは野暮だから。本当は言いたくない。 浦沢「夏の日の木陰の、葉っぱに光の玉がこうなっている感じ」って言って。できた時に、いやいや違うって。でも違うに決まっているんだよね。僕の頭の中にある、「夏の木陰の光の玉」なんていうものが伝わったら、それはテレパシーですからね。 浅野そうですね(笑)。スタッフと自分との、イメージの齟齬をなくすためのデジタル背景という部分もあります。少なくとも、パースとか構図に関しては、僕のイメージした通りになるので。

浦沢電子書籍になった場合、読者が拡大縮小を自由に出来て、しかも見開きではなく、パッパッてやるとページが変わる。あの見方が漫画の見方だということになると、漫画の形態自体が変わる。 浅野そうですね。 浦沢僕が今、電子書籍をやっていないのは、「雑誌の判型で描いて、見開き単位で見る」っていうのをめどに演出をしているから。それが正しく届く方法は、今は本しかないっていうことなんです。だからもしかしたら形態に合わせて、文化自体が変わるというのは、これから起きるかもしれない。 浅野電子書籍では、めくるどころか、スライドして読む漫画っていうのもでてきています。 浦沢縦スクロールってあるでしょ。縦スクロールだと、今まで僕らがやってきたコマ割りの演出は、意味がない。 浅野確かに。でももしかしたら、縦スクロールを狙った手法で描かれた漫画で、洗練された作家が出てきたら、がらっとそこで変わる可能性もあるんですよね。 浦沢そうなんですよ。「縦スクロールでそんなことが出来るのか」っていうのが出てきて、「なんて面白い見せ方なんだ!」ってなった瞬間、こっちも白旗上げなきゃいけない時があるのかな、とかね。

浅野デジタルに特化するか、アナログに特化するか。できればね、僕は両方バランス良くやって行きたいんですけど。デジタルだけで作られた漫画で、僕が見て満足できるような絵が描ける人が出てきた時には、完全デジタルに挑戦してみようってなるかも知れないし。現状、あんまりそういう絵を、まだ見たことがないから、まだアナログを追っかけたい。 浦沢でも、水木しげるさんに対する、憧れみたいなものが垣間見えるのを考えると。 浅野そうなんですよね、根本的には、漫画らしい漫画っていうものも好きなんですよ。僕、やりたがりだから、どっちも良いんですよね。 浦沢手塚先生の、あの絵が描けたら幸せだろうなと思って、だけどあの絵は、手塚先生が描いちゃったもので。私という人間がものを描いた時に、それに匹敵する別のものを確立するにはどうしたら良いのか。いつもその葛藤、やり合いです。ポップカルチャーだから、新しいものっていうのがどうしても求められるんですよ。でも、ロックにしても、漫画にしても、さすがに新しいものが難しくなっている。だから、これから大変だけど、きっとまだまだ可能性がある。そこをいかに追っかけるかっていうのは、大事なことだと思う。 浅野そうですね。

浦沢アナログのペン画を活かしながら、デジタルを使うっていうのは、僕は非常に賛成。見た目は完全にペン画、だけど手描きじゃ無理だろうっていう。それを拮抗させている。 浅野こういう絵柄は、始めてそんなに時間が経っていないんで、今は手探り状態。ある意味、手探りだから、面白くやれる。たぶん確立された時に、一気に飽きがやってくるかも知れない。その時が連載の終わりですね。やってくるんですよ、そういう時が。もうそろそろ次の感じに行きたいなって。 浦沢最初にやった時は楽しいけど、っていうね。 浅野でも、また次の技法を考えたいと思っている限りは、たぶん描き続けられると思うので、それでいいと思うんです。

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