ページの本文へ

ぐんまWEBリポート

  1. NHK前橋
  2. ぐんまWEBリポート
  3. 群馬から故郷・浪江を思い届ける歌~いつかまた浪江の空を~ 

群馬から故郷・浪江を思い届ける歌~いつかまた浪江の空を~ 

  • 2022年05月12日

東日本大震災から11年がたった3月11日。

群馬県に住むシンガーソングライターの女性の歌が音楽配信サイトからリリースされました。

「いつもいつも 歩いていた道 笑い声が聞こえてた 優しい町 
 あといくつ数えたら その日は来るのですか」

そうつづった歌詞に込められていたのは、突然離れることになった“ふるさと”福島県浪江町への思いでした。

(前橋放送局記者 千明英樹/2022年3月取材)

避難先の群馬でつづった歌詞

牛来美佳さん。
太田市の道の駅で働きながら、シンガーソングライターとしても活動しています。震災と原発事故で、福島県浪江町からの避難を余儀なくされ、太田市で長女と2人で生活しています。

縁もゆかりもなかったこの土地で、毎日ふるさとへの思いをはせる中、避難から4年がたった2015年に書いたのが「いつかまた浪江の空を」でした。

牛来美佳さん
「震災がなければこんな思いをすることはなかったとか、なぜこんなに苦しい思いをしなければ ならないのかって。いろいろな葛藤の中で、避難生活を送ってきたんですけど、自分の故郷を思い出しながら、またこの震災のことを思い重ねて、大切な思いというのを共有できるような曲であってほしいなと思います」

新型コロナで歌を届けられない

牛来さんの心を支えているのは、長女、歌、そして、避難先の太田市でできた多くの友人です。

ストレスを抱え込まないようにと、太田市の友人がライブイベントなどを開き、牛来さんは幾度となく歌を披露してきました。

そこで、必ず歌ってきたのが「いつかまた浪江の空を」。
ふるさとの復興への願いを届けてきました。

しかし、新型コロナの感染拡大で、ライブイベントがほとんど開けなくなり、ふるさとへの思いや震災を風化させてはならないという願いを伝えられなくなりました。

突然のうれしい知らせ

そうした中、去年の年末、牛来さんにうれしい知らせが。

「牛来さんの歌を全国に届けたい」

大手レコード会社から、牛来さんの歌を通して復興を後押ししたいという連絡があったのです。3月11日に合わせて「いつかまた浪江の空を」のリリースが突然、決まりました。

牛来美佳さん
「本当に素直にうれしかったです。また、新しい形でこの曲が広がっていくんだろうなという希望を持った瞬間でした」

ふるさと

牛来さんのふるさと、福島県浪江町。

福島県浪江町

福島第一原子力発電所から町役場まではわずか10キロ。面積の8割が今も帰還困難区域です。避難を続けている人はおよそ2万人。町内で暮らしている人は今、1800人余りしかいません。

曲がリリースされる2日前の3月9日。
牛来さんは浪江町を訪れました。もう一度、ふるさとを見つめ、何のために歌うのか、自身の思いを確かめたいと考えていました。

訪れたのは牛来さんが長女と暮らしていたアパート。そして、小学生の頃の思い出が詰まった母校。

アパートの周りには人通りはほとんどありませんでした。小学校も震災後、廃校になり、当時の風景とは大きく異なっていることが記者の私から見てもわかりました。

住民の避難に伴って住宅や店舗など、多くが取り壊され、空き地も目立っていました。

死角もない場所に置かれたカーブミラー。
何もない場所にポツンと置かれた自動販売機。

多くの被災地は復興へと向かっていますが、放射性物質の影響を受けたことで、この町だけが置いてきぼりになっているような“むなしさ”を感じました。

牛来さんは、そんなふるさとを見てこうつぶやきました。

牛来さんが長女と暮らしていたアパート跡地

牛来美佳さん
「こういった“さら地”が増えていくごとに、ただただ、空間だけが存在していて、あのころの私たちの浪江町が、という複雑な気持ちも入り混じっています。でもきっと新しい形で浪江町が復興していくんだろうって、心のどこかで思っています」

友人との再会

「久しぶり」

牛来さんに笑顔が戻った時間がありました。幼稚園からの友人と久しぶりに再開したのです。
友人は一時、神奈川県などに避難しましたが、できるだけふるさとの近くにいたいと浪江町の隣、南相馬市に帰ってきました。

友人の朝田さん

「群馬は遠いです。ちょっと遠いです」

牛来さん

「私はいつか帰ってきたい希望があるけどね、そうしたら私たちが同級会を・・・」

朝田さん

「集まるかな」

朝田さんは牛来さんの活動を応援していると話していました。牛来さんの届ける歌が、ふるさとの浪江町を忘れない、忘れさせないものだと信じているからだといいます。

遠く離れてもふるさとへの思いを持ち続けて欲しい。

牛来さんはその思いを託されました。

朝田さん

「私たち世代はまだ戻ってない。本当に託してますね」

牛来さん

「気の知れた関係の中でさらに同じ気持ちでっているのは、本当に心強いって思うので、託しているっていう言葉がすごくうれしかったです」

“いつかまた浪江の空を”

 いつもいつも 歩いていた道 笑い声が聞こえてた 優しい町 
 あといくつ数えたら その日は来るのですか 

 いつかまた 浪江の空を またみんなで 眺める日まで 

 歩こう 一緒に歩こう 離れた手と手 伸ばして 歩いて行こう(中略) 
 涙がいつか笑顔に 変わる日が来る

ゆかりもなかった太田市でふるさとへの思いを歌い続けてきた牛来さん。
そのふるさとの復興と、この歌が誰かの支えになることを信じています。

牛来美佳さん
「諦めないという気持ちでずっと歌ってきました。震災を乗り越えて、夢をかなえていく、一つ 一つ夢に向かっていく姿とか、そういったことも込めているので、皆さんの普段の中で、パワーになってくれたり、心のよりどころになってくれたらいいなと。そういう音楽でありたい」

風化させない

すべての取材が終わったあと、牛来さんはこう語りました。

「歌を歌うのが私の勝手な使命感なんです。心も体も何1つとして整理がつかないままにふるさとを離れることになり、当たり前の日常がいかに尊くて大切かということが身に染みたんです。だからその日常が戻るまでどんなことでも乗り越えていくんだというメッセージを伝えていきたいんです」

ふるさとへの思いや震災を風化させてはならないという願い。
当たり前の日常の大切さ。
そして、生きる力。

牛来さんのふるさとや人に寄り添う優しい歌が共感を呼び、広がっていくことを願っています。

  • 千明英樹

    前橋放送局記者

    千明英樹

    震災直後から福島県や宮城県などの被災地を取材。現在は遊軍担当として、群馬の政治や環境・観光など幅広く取材

ページトップに戻る