川崎寛司

2021年03月17日 (水)震災10年インタビュー⑥「福島とどう関わるか(笠井 千晶 映画監督)」(川崎 寛司)


 

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から10年。『ほっとぐんま630』では、3月5日から毎日、最前線で向き合ってきた人たちの声をお伝えしてきました。

最終回の3月12日(金)は、映画監督の笠井 千晶さんです。

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10年間、福島に通い、震災と原発事故に苦悩する現地の人たちに密着し、その喜怒哀楽の瞬間を描いた映画『Life 生きてゆく』で、「山本美香記念 国際ジャーナリスト賞」を受賞しました。笠井さんは、この映画の取材を通して、福島との関わり方が見えてきたということです。

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 以下、笠井さんのインタビューの一部を記させていただきます。

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震災直後から福島・東北を訪れ、映像を撮ってはいましたが、それがどういう形になって、誰に届くかが決まっていませんでした。伝えたい人は誰、伝えたいことは何、伝えるべき人はどこの誰、どうやったら伝わるのかを考えることから始めました。

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私の役目は、語ってくれる人が何を伝えたいかを同じように理解し、汲みとって、伝える相手を探し、映像を通して伝えること。お子さんがいる方は、自分の子どもに重ねて見てくれたり、中高校生は、自分と同い年くらいだった子が津波で亡くなったとか、自分と重ね合わせて見てくれたりしている。

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今までもそうだったように、これからも、「時間が経つことで、ひとりの人の思いや環境がどう変わり、どういう年月を送っていくか」を伝えていきたい。
取材というよりも、「その人たちが今、元気かな」という気持ちが基本にある。10年だからおしまいということはなく、生涯続いていくのかなと思っているんです。「よく知っている人が、これからも安心して暮らしている」というのを私も知っていたい、そんな思いです。

以上、笠井さんのインタビューでした。

 

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一週間、お伝えしてきた6人の方のインタビューで、印象的だったことばをそれぞれ書き出してみました。

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皆さんからいただいた教訓を群馬の人たちも、ぜひ知っていただけたらと思います。
6人の皆さん、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

 

投稿者:川崎寛司 | 投稿時間:15:00 | 固定リンク

2021年03月16日 (火)震災10年インタビュー⑤「大切な人の命を守って(上野 敬幸さん)」(川崎 寛司)


 

東日本大震災と福島第一原発事故から10年。
3月5日から、『ほっとぐんま630』では、最前線で向き合ってきた人たちのインタビューを、毎日お伝えしました。
第5回の3月11日(木)は、津波で両親とわが子を失い、それでも前を向いて生きる上野 敬幸さんです。

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この日は、スタジオに、ディレクターの八重樫 伊知郎デスクが出演してお伝えしました。八重樫デスクは、震災直後とその5年後の2度、福島放送局で勤務し、この10年間、上野さんの取材を続けてきました。

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震災から10年たった今、上野さんが改めて伝えたいと強く訴えたことがあります。

以下、上野さんのインタビューの一部を記させていただきます。

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人それぞれ、時間の経過をどう思うかは全然違いますが、俺はあっという間。
「もうたっちゃうんだな」という感覚。10年というと、震災の年に娘が生まれて、もう小学校3年生になるという、長い期間ですが、俺らにとっては、あっという間。ついこの間、震災が起きたような感覚。

今、伝えたいことは、震災が「教訓」にされていないということ。
震災が「教訓」にされているとずっと思っていたんですが、そうじゃないと気づかされたのが、2015年の関東・東北豪雨の鬼怒川の決壊なんです。

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(濁流の中、家に取り残された人たちが)避難する選択肢を取らなかったことが許せなくて、映像を見た時に腹立たしくてしょうがなかった。

全く教訓にされていない-。

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震災の教訓だけが残ればいい。それ以外、何を残す必要があるのか。
悲しい過去や悲しいことを残す必要はない。

それよりも、そうならないために、今ある命をどうやって守っていくか。みんなが同じ思いをしないためには、どうすべきかを、みんなが考えないといけない。

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一番の理想は、子どもたちが、自分たちの判断で避難できるぐらい、学校などで教訓や危機管理を身につけること。でも、なかなか1年、2年でそうなるものではない。
だが、子どものことを守らなければいけないという当たり前のことをちゃんと考えれば、守れるはず。3月11日がそういうことを考えてもらうきっかけになればいいと思っている。

以上、上野さんのインタビューでした。

上野さん、貴重なお話を、ありがとうございました。

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(写真右は、上野さんを10年間、記録・伝えてきた、映画監督の笠井 千晶さん。震災10年インタビュー⑥(最終回)で登場します)

上野さんについては、この10年を追った動画を八重樫デスクが制作しました。
NHK特設サイト『東日本大震災 あの日から10年~3.11ドキュメント~』の3月1日のページに掲載されています。ぜひご覧ください。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/shinsai-portal/10/document/
(『それでも前を向いて ~福島 南相馬・新しい命と~』)

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投稿者:川崎寛司 | 投稿時間:17:00 | 固定リンク

2021年03月16日 (火)震災10年インタビュー④「苦しんでいる人をおもんぱかる世の中に(阿部 光裕 住職)」(川崎 寛司)



東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から10年。『ほっとぐんま630』では、3月5日から毎日、この問題に最前線で向き合ってきた人たちのインタビューをお届けしました。

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第4回の3月10日(水)は、福島市にある常円寺の住職、阿部 光裕(こうゆう)さんです。
阿部さんは、原発事故で不安を抱えた被災者に寄り添う活動を続けています。

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こうした経験は、いまの新型コロナウイルスに翻弄される世界でも生かせると話していました。以下、阿部住職のインタビューを一部、記させていただきます。

川崎)ふるさとを失う、なかなか自宅に帰れないでいるということは、ご本人にとっては本当に大きいことだと思いますが。

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大きい。何でもそうですが、その当事者にならないと、その人の心の中や思いはわからない。人間は知恵の生き物だから、人の気持ちをおもんぱかって、寄り添える人間であってもらいたい。

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このコロナ禍で苦しんでいる人に対し、「自分がもしその立場に立ったならば、どうなんだろう」と思いながら、日常に気をつける。

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そして、苦しんでいる人には思いを寄せる。お互いが、人としての知恵を持って温かく生きていく姿があればと思います。

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世界ではまともな検査や医療を受けられず、コロナ禍で命と向き合い、苦悩している人が大勢いることを考えると、世界中いたるところでつながる世の中であってもらいたい。

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だから、群馬の人も福島の人も、われわれが知らない国の子どもたちを思ってみたり、あるいは、そういう国の人たちが、行ったことがない日本の福島や群馬の人を思ってみたり、そういうことが自然にできる世の中になっていけたらと思います。

以上、阿部住職のインタビューでした。

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(右は、一緒に取材し、撮影を担当した前橋局の八重樫チーフディレクター)。

阿部さん、ありがとうございました。

 

投稿者:川崎寛司 | 投稿時間:10:00 | 固定リンク

2021年03月15日 (月)震災10年インタビュー③「原発事故がもたらしたもの(開沼 博さん)」(川崎 寛司)



東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から10年。
3月5日から毎日、この問題に最前線で向き合ってきた人たちのインタビューをお届けしました。
第3回の3月9日(火)は、原発の廃炉やトリチウムという放射性物質を含んだ水の処分などについて地元の立場から発信をしている、福島県いわき市出身で、立命館大学准教授の開沼 博さんです。

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地域で、いま、原発事故にどのように向き合っているのか、伺いました。
以下に、開沼さんのインタビューの一部を記させていただきます。

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いろいろ変化はある。10年たって、実際多くの人にとっては日常が戻ってきて久しい。「10年前のこと」と、良い意味でも悪い意味でも、風化している。特に子どもにとって10年前というのは、高校生でも幼稚園、保育園に通っていた時の思い出があるかないか。

これからそういう世代がどんどん増えていくと、そうした若い世代にどのような教訓を伝えられるのかは、あの経験をした人たちに課された大きな課題なのかなと思っています。

一方、震災と原発事故が起きたが故に、前向きに感じる変化もあります。

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何となくファンのような気持ちになって福島を支えていこうという動きは、震災原発事故がなかったら、おそらく、これほど福島に対してなかったのではと思います。今、私の周りには、福島ファンのオジサンたちがいろんな形で活動などをしています。

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(去年、福島県双葉町に開館した『東日本大震災・原子力災害伝承館』を訪れる人たち)

彼らは、ボランティアや仕事・出張で福島に来て、すごく気に入ったから、プライベートの休みも福島に通うようになった。そうすることで地元の人との関係ができて、そのつど訪れ、泊まって一緒に飲むとか。そういう良い形で、(福島の)内側と外側の交流が生まれてきたことは、重要なことと思っています。

川崎)群馬県の人たちができることはありますか?
福島に来てもらうことが大事。実は、先日、福島の原発周辺地域に私が仕事で行った時に、高崎にある高校の生徒たちが学習旅行で訪れ、とても熱心にいろいろなところを見学していた。

こうした活動も生徒たちの保護者の皆さんの理解があってのことだと思うし、そのような子どもたちが聞いたことを「伝える」ことは、大人たちも聞いて感化されたりする。
ちょっとしたきっかけで、福島だからこそ学ぶことがあるのかもしれないし、逆に福島にいる私たちが、群馬に伺った時に新しい発見があるかもしれない。
新しい出会いや可能性が待っていると思うので、ぜひ福島に来ていただき、またこちらからも群馬に赴くという動きが活発になればな、と思っています。

以上、開沼さんのインタビューでした。開沼さん、ありがとうございました。

 

投稿者:川崎寛司 | 投稿時間:19:00 | 固定リンク

2021年03月11日 (木)震災10年インタビュー②「住民の健康や食品への影響は(坪倉 正治 医師)」(川崎 寛司)


 

震災と原発事故から10年となる今週、この問題に最前線で向き合ってきた人たちのインタビューをお伝えしています。
第2回の3月8日(月)は、原発事故による健康への影響などを調べ続けてきた福島県立医科大学の医師、坪倉正治 主任教授です。

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10年前の原発事故で、放射線量が上昇し、懸念されたのが、体内に取り込んだ放射性物質による住民の内部被ばくでした。坪倉さんは、原発事故直後から、いち早く福島県に入り、検査にとりかかり、この10年で行ったその内部被ばく検査は15万人に上りました。住民のためにと、地域にずっと寄り添ってきました。

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10年経った今、住民の健康や食品への影響はどうなっているのか。放射線研究のスペシャリストとして、福島を見続けてきた坪倉さんに伺いました。

以下に、坪倉医師のインタビューの一部を記させていただきます。

 

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最初の頃は、放射線の量や被ばくの量が(社会の)最大の関心事で問題でしたが、内部被ばくとか外部被ばくなど、被ばくの検査が淡々と行われる中で、住民の方々の被ばく量は、(被ばくが)あったとしても大きなものではないことが科学的に分かってきた。また、それによって健康影響を危惧する状況には基本的にはないことも分かってきた。

空間線量も健康影響を危惧する状況には基本的にはないレベルまで下がってきた。そうしたことについて、10年経って、「そうなの?」「どうなの?」と聞かれるし、知識が定着しづらい部分でもあるので、もう一度、広くお伝えしたいなと思っている。

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川崎)大きな課題になった食品への影響についてはどう感じていますか。
現在、福島県内で、食事などで内部被ばくするという状況では全然ない。食品の安全性はすごく確保されているという状況がデータとしてあります。福島は、やっぱり10年いて、ごはんもおいしいし、人がいいし、良いところがいっぱいあるので、交流がより進めばいいなと思いますね。

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一方で、原発事故による偏見や差別があってはならないが、そういうものに対してちゃんと反論したり、打ち返せるような力を持ってほしい。そのために医療者として、例えばお子さんに何かを伝えたり、小さい子どもを持つお母さんに伝えたりするために、今、こういう状況だというデータをまとめる仕事は続けなければいけないと思っています。

以上、坪倉医師のインタビューでした。

 

坪倉さん、お忙しいところインタビューに応じてくださり、ありがとうございました

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 (右は、一緒に取材し、撮影を担当した前橋局の八重樫ディレクター)。

 

投稿者:川崎寛司 | 投稿時間:14:00 | 固定リンク

2021年03月11日 (木)震災10年インタビュー① 「"節目"なんかない(大和田 新さん)」(川崎 寛司)


 

東日本大震災の発生から3月11日で10年。
『ほっとぐんま630』では、3月5日(金)から1週間、群馬のお隣、福島に、最前線で向き合ってきた人たちのインタビューをお届けしています。
テーマは「福島をつなげよう」
去年秋まで福島放送局で勤務し、震災や原発事故の取材を担当していた私が福島へ伺い、お話を聞きました。

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第1回は、大和田新さん
福島の地元ラジオ局『ラジオ福島』のアナウンサーとして、巨大地震と津波、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故というさまざまな危機に直面した福島で、刻一刻と変わる情報を伝え続けました。

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緊迫する局面にどんな思いでマイクに向かっていたのか。
アナウンサーの大先輩である大和田さんにぜひ聞いてみたいと思っていたところ、今回、震災から10年の機会に伺うことができました。改めて気づかされたのは、まだ、“この災害は終わっていない”ということでした。

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以下に、大和田さんのインタビューの一部を記させていただきます。

 

私たちメディアは、「震災から10年ですね」と、ひとつの“節目”的な表現が非常に多くなってくる。でもいろんな方に話を聞いてみると、「決して“節目”なんかないな」というのが現実なんですね。

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道路が通れるようになった、堤防ができた、新しい医療施設ができた、学校ができた・・・、確かにうれしいですよね。でもそれは、「復興じゃなくて復旧だな」という感じがしますね。本当の復興って、やっぱり、家族を亡くした人たちが、その人たちの分まで一歩前に進んで頑張ろうと思った時に、初めてね、復興なんじゃないかな。心の問題なんじゃないかなって。

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(川崎)大和田さんはこれからどんなことを伝えていきたいですか?
震災から3年くらい経った時に、ある高校で講演をして帰ろうとしていると、その高校の男子生徒が、「大和田さん、将来の夢って何ですか」って聞いてきたんですね。「俺、来年、『ラジオ福島』を退職するし、その後は健康で長生きかな」と言ったら、その男子生徒はニヤッとして、「将来の夢を語れない大人ってカッコ悪いですよ」って言っていたんですね。「やられたな」と・・・。夢を尋ねてきたのに、自分の夢をちゃんと答えられないっていうね。

その出来事があってから、今後、「将来の夢は何ですか」って聞かれた時は「原発の廃炉を見届ける」と言うようになったんです。あと40年ですよね。50年になるかもしれません。40年だと、私105歳なんですね。だからあと40年、原発の廃炉をちゃんと見届けられるような健康管理を自分でしていく。だから、若者たちに負の遺産を押し付けるんじゃなくて、一緒に原発の廃炉を見届けるぐらい、こっちも健康に気をつけながら、頑張っていくのがひとつの夢ですかね。

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以上、大和田さんのインタビューでした。

 

「105歳まで生きて、福島第一原発の廃炉を見届けたい」と語っていた大和田さん。それまでに廃炉が終わっているという見通しがあるわけではありませんが、その夢を人生の目標に掲げる姿に、歴史的な事故を伝えた当事者としての強い思いを感じました。

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この1週間、以下のラインナップでお届けしていきます。

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大和田さん、ありがとうございました
(真ん中は、一緒に取材し、撮影を担当した前橋局の八重樫チーフディレクター)。

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投稿者:川崎寛司 | 投稿時間:11:33 | 固定リンク

2021年03月10日 (水)これが群馬の"いいカンジ"⑥"階段ひな人形"に込めた思い(川崎 寛司)



皆さん、こんにちは。
3月3日(水)の『ほっとぐんま630』で放送した『これが群馬の“いいカンジ”』。
6回目のこの日の話題は、ひな祭り

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ですが、ただのひな人形ではありません。飾られているのは、階段なんです。
階段を使ったひな人形7段飾りです。

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この“階段ひな飾り”は、高崎市の和食店『つかさ』の1階から2階に上がる階段に飾られています。

なぜ、階段にひな人形を?
店主の後閑泰司さんは「2階は宴会場ですが、新型コロナウィルスの影響で、この1年、2階を使ったのはたったの1回だけ。階段が寂しくて殺風景だったので、ひな人形を飾ってみました。お客さんからの評判も上々です」と話してくださいました。

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このひな人形、16年ぶりに飾られたそうです。つまり、16年間、この箱に入っていました(箱はその一部です)。

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そして、久しぶりに開けたひな人形の箱からは、ひな人形と一緒に、16年前は小学校3年生だった子どもさんの国語のテストが出てきたそうです。

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後閑さんは、「この16年、桃の節句をお祝いできないほど忙しく働いてきました。でも今は、その忙しさがコロナの影響でなくなってしまいました。営業時間の短縮要請も解除されたので、これから、また家族と一緒に、店の“再生”に向けて頑張っていきます」と話していらっしゃいました。

私たちも、応援しています。
コロナ禍でも前を向いて頑張ろうという思いがこもった後閑さんの“階段ひな飾り”は、“いいカンジ”でした。

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後閑さん、妻の幸子さん、ありがとうございました。

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ちなみに、後閑さんは、先月・2月の“いいカンジ”の放送をご覧になられて、NHKに投稿を送って頂きました。“いいカンジ”の投稿をいただいた方のところに伺って生中継をさせて頂いたのは、今回が初めてでした。私自身もこうした双方向のやりとりが放送で実現でき、とってもうれしいです。今後も投稿をいただいた方のもとに伺って、県内の“いいカンジ”を発信したいと思います。

番組ではあなたの“いいカンジ”を募集しています。
投稿はこちらから。

 

投稿者:川崎寛司 | 投稿時間:10:00 | 固定リンク

2021年03月09日 (火)これが群馬の"いいカンジ"⑤ブルーライトで医療従事者と飲食店を応援(川崎 寛司)



皆さん、こんにちは。
3月1日(月)放送の『ほっとぐんま630』では、高崎市中心部の慈光(じこう)通りから生中継をしました。通りは、先週から市内で始まったブルーライトのイルミネーションで彩られています。

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新型コロナウイルスの患者の対応にあたっている医療従事者への感謝と応援の気持ちを込めて、そして、街中を明るくしたいと始まりました。
私も現場でリポートしていて、とても町が華やかになった印象を持ちました。会場全体で60万個のLED電球を使われているそうです。

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ご出演いただいた高崎市の富岡賢治市長は「町の若い人たちから、『町を明るくするなら、青色で医療従事者を応援しましょう』と提案を受けた。献身的にコロナ対策に取り組んでいる医療従事者へのお礼と感謝と激励を込め、ブルーライトにした。町なかの雰囲気を少しでも明るくし、飲食店の皆さんも応援したい」と話していました。

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そして、この通りでイタリアンレストランを営んでいる小板橋浩一店長は、「先週、営業時間の短縮要請が解除され、初めての週末はお客様の入りも良く、希望の光を感じた。店では感染対策をしっかりしているので、少しずつでもお店に足を運んでほしい」と、お店に貼っている感染対策の紙を持って呼びかけていらっしゃいました。

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このイルミネーション『TAKASAKI希望の光プロジェクト』は5月5日(水・祝)まで行われます。

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高崎市の皆さんの新型コロナを乗り越えようという心意気、とってもいいカンジでした。

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高崎市の皆さん、ありがとうございました。応援しています!!

番組ではあなたの“いいカンジ”を募集しています。
投稿はこちらから。

 

投稿者:川崎寛司 | 投稿時間:10:30 | 固定リンク

2021年02月25日 (木)コロナの注意点②運動不足に注意2(川崎 寛司)



皆さん、こんにちは。
2月8日のブログで、コロナの注意点「運動不足に注意」と題してお伝えしましたが、今回はその第2弾です。

前回は、「肥満の方は新型コロナウイルスに感染すると、重症化しやすい」とお伝えしました。内臓脂肪が多い方は、肺が圧迫されやすいため、呼吸機能に余裕がないことも、重症化しやすい理由ということでした。

そうした体重増加に気を付けようと、先日、前橋市の前橋公園にやって来ました。

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この公園では、休日、多くの方が、思い思いにスポーツなどを楽しんでいます。
最近、私がやっているのはバドミントンです。

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小学生の息子とやりましたが、とても運動になります!
下の写真のように打ちやすいショットばかりではありません。

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シャトルが風で流されて高く上がった際には、手をめいっぱい伸ばしてバックハンドで。

さらに、頭上を超え、自分の後ろにシャトルが飛んで来た際には、

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相手である息子に背を向け、猛ダッシュしてからの背面ショット!

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しっかりと打ち返します。

このように、結構、走り回るので、運動不足解消にはもってこいです。
さらに、相手になってくれる人がいない時は、一人で空に向かってひたすらシャトルを打つこともあります。これは、思い切り空にシャトルを打ち放つので、より、ストレス解消になります。
地面に落とさずに何回続けられるかをやっていて、今、自分の最高記録は50回です!
皆さんも、運動不足を解消しましょう。

 

投稿者:川崎寛司 | 投稿時間:19:30 | 固定リンク

2021年02月19日 (金)これが群馬の"いいカンジ"④コロナ禍でも町なかを明るく(川崎 寛司)


 

皆さん、こんにちは。
2月12日(金)に放送した『これが群馬の“いいカンジ”』は、みなかみ町でこの日から始まったイベント『竹灯籠 かがよふあかり』(~2月27日(土))でした。

会場のひとつ、相俣・日枝(あいまた・ひえ)神社から生中継でお伝えしました。

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寒い中、皆さん、距離をしっかりとり、たき火にあたって暖をとっていました。

今回は2回目。地元の余った竹を有効活用しようと、去年から始めました
コロナ禍ですが、地元向けにささやかに展示しようと、開催に踏み切ったそうです。

会場に飾られていた作品をいくつかご紹介します。

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この丸みを帯びた竹灯籠は、『まり』をイメージして作られました。

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こちらの竹灯籠は、『』をモチーフに斜めに開いた形にしたそうです。

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そして、メインの展示がこちら。何だかお分かりになりますか?

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そう、『鳳凰(ほうおう)』です。

なぜ、鳳凰の竹灯籠を作ったのか。
イベント主催者で、「みなかみ芸術の明かり竹灯籠委員会」委員長の大堀由里さんに伺いました。
「鳳凰は幸せな場所に現れる、と聞いたことがあります。コロナ禍で、温泉観光の町、みなかみの観光客は激減しても、地元は元気で頑張っている、幸せでいることを伝えたいと思って作りました」と話していらっしゃいました。

この鳳凰の竹灯籠、どのようにして作ったかというと・・・・、

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電動ドリルで、ひとつひとつ、穴を開けて作ったそうです。鳳凰の体のパーツによって、光の見え方を変えるため、穴の大きさを変え、ち密な計算のもと、制作されました。

大堀さんは、インタビューで「この竹灯籠の明かりを見て、少しでも温かい気持ちになってほしい」とおっしゃっていました。

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コロナ禍でも、竹灯籠で町を明るくしようと取り組まれている、みなかみ町の皆さんは、とっても“いいカンジ”でした!

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皆さん、ありがとうございました。

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番組ではあなたの“いいカンジ”を募集しています。
投稿はこちらから。

 

投稿者:川崎寛司 | 投稿時間:18:00 | 固定リンク


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