これまでの放送 2018年3月16日(金)の放送
19世紀のアメリカを代表する作曲家・作詞家のスティーヴン・フォスター。誰もが知る数多くの名作を残しながら、晩年は悲惨な境遇に陥り、37年の短い生涯を終えました。フォスターは音楽に何を託したのか。彼のドラマチックな人生をたどり、名曲の魅力に迫ります。
フォスター名曲集
~美しき夢を歌い続けて~
19世紀のアメリカを代表する作曲家・作詞家のスティーヴン・フォスター。誰もが知る数多くの名作を残しながら、晩年は悲惨な境遇に陥り、37年の短い生涯を終えました。フォスターは音楽に何を託したのか。彼のドラマチックな人生をたどり、名曲の魅力に迫ります。



人気歌謡作家 誕生の経緯


2歳のころにはギターでハーモニーを奏でたといわれるフォスター。クラシック音楽を学ぶ一方で、街で聴かれる様々な国の音楽にも興味を持ち、それらを吸収しながら作詞・作曲を学んでいきました。
そんな彼が、当初、作品を発表した舞台がミンストレルショー。白人が顔を黒く塗り、歌とダンスで黒人を表現する大衆娯楽です。名曲《おお, スザンナ》も、こうしたショーで披露された作品でした。ショーの音楽づくりに明け暮れる中、転機が訪れます。フォスターは、海運会社を経営する兄の依頼でシンシナティで働くことになりました。そこは奴隷廃止運動の中心地。この街に暮らす作家、ストウの小説「トムおじさんの小屋」は、フォスターに大きな影響を与えました。白人に仕え、虐げられた黒人奴隷トムを描いたその物語は、奴隷解放を呼びかけるきっかけとなりました。黒人・白人の区別なく、人間そのものの姿に目を向けるようになったフォスターは、26歳で《ケンタッキーのわが家》を発表。望郷の思いをテーマとするこの作品は、多くの人々の心をつかみ、たちまちアメリカ全土に広がっていきました。
苦悩の現実こそ創作の源泉


一躍、人気の歌謡作家となったフォスターは24歳のとき、医師の娘ジェーン・マクダウェルと結婚。翌年には子どもが誕生。しかし、作曲家として更なる飛躍を夢みたフォスターは、一人ニューヨークへと旅立ちます。この時期、フォスターは、妻への思いを託した《金髪のジーニー》を発表。身にしみて味わう孤独の深さ。このころから、彼の人生に暗雲が立ち込め始めます。著作権の交渉に不慣れなフォスターは、作品を出版社に安く買い叩かれ、全ての作品の版権まで奪われてしまいます。1855年には母親・父親が死去。経済的な困窮から妻子の心も離れていきます。
自暴自棄となり酒に溺れたフォスターは浴室で転倒し、出血多量で37歳の生涯を終えます。晩年の名作《夢みる人》はそんな悲惨な境遇の中で生まれました。苦悩の現実があるからこそ、フォスターは“夢"の大切さを感じ、創作の原動力にしていたのかもしれません。
解析!心をつかむ極意


解説
本田 聖嗣(ピアニスト)
多くのリサイタルでフォスターの歌曲の伴奏を担当
テレビドラマの作曲も手掛けるベテラン・ピアニスト


フォスターの作品が人々の心をつかみ愛され続けるのはなぜか。1つ目のポイントは“直球勝負"。
《夢みる人》の旋律はとてもシンプル。「派手な飾りつけをして弾いてみても、オリジナルのシンプルで親しみやすい旋律にはかなわない…」と本田さん。究極の旋律を求めて、フォスターは何日も何か月も推こうを重ねたと言われています。
2つ目のポイントは“賛美歌"。フォスターの作品には聴く者を神聖な気持ちにさせる“賛美歌"のような崇高な響きがあるといいます。《ケンタッキーのわが家》を賛美歌のように演奏してみてください。その魅力が実感できると思います。
ゲスト


マーティ・フリードマン(ギタリスト)
profile
アメリカ出身 クラシック音楽好き
作曲家・プロデューサーとしても活躍中
楽曲情報
- 「ケンタッキーのわが家」「金髪のジーニー」
「夢みる人」 - フォスター
- ニウ ナオミ
- 錦織 健(テノール)
田中祐子(指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団(管弦楽)

アメリカの伝統的な音楽 フォスターは王様の中の王様です