これまでの放送 2018年1月5日(金)の放送
今回は20世紀の半ば以降世界にその名をとどろかせた大テノール、マリオ・デル モナコを取り上げる。黄金のトランペットと呼ばれた輝かしくかつ力強い声の持ち主だったデル モナコ。その声とは対照的に繊細な一面を持ちあわせていた。本番前は話さない。声にいいものしか食べない。緊張のあまり急に出演を固辞したりするなど、テノール歌手らしいエピソードが満載。20世紀最大のテノールと呼ばれた歌手の知られざる素顔に迫ります。
解剖!伝説の名演奏家
マリオ・デル モナコ
今回は20世紀の半ば以降世界にその名をとどろかせた大テノール、マリオ・デル モナコを取り上げる。黄金のトランペットと呼ばれた輝かしくかつ力強い声の持ち主だったデル モナコ。その声とは対照的に繊細な一面を持ちあわせていた。本番前は話さない。声にいいものしか食べない。緊張のあまり急に出演を固辞したりするなど、テノール歌手らしいエピソードが満載。20世紀最大のテノールと呼ばれた歌手の知られざる素顔に迫ります。


初来日の衝撃!!


マリオ・デル モナコの声が始めて日本に響いたのは、1959年。当時最高のオペラ歌手をそろえて催されたイタリア歌劇団の来日公演だった。この時、デルモナコの歌声は日本人に衝撃を与えた。当時、舞台で共演したバス歌手の岡村喬夫さんは、「デル モナコは一声一声出すために生きている、だから聞く人の心に響く。」と回想する。また、現在第一線で活躍するテノール歌手の村上敏明さんは、人生を決めたのがデル モナコだったと語る。音楽教師だった父が来日した時のデル モナコの声を聞き、すっかりはまってしまい、家で、デル モナコのレコードを常にかけていたのが影響し、デル モナコを目標にテノール歌手を目指すことになったのだという。マリオ・デル モナコは日本人に多大な影響を与えた歌手なのだ。
驚異の声はどこから…


マリオ・デル モナコの声はどうして力強く輝かしいのか?
彼は、小さい頃から歌うのが好きだった。しかし、少年時代は神父になるつもりでいたという。13歳の時、神学校に入ろうか迷っていたとき、たまたまアリアを歌っていた声を父親が聞き、歌手になった方がいいのではとアドバイス、方向転換することになる。ペーザロの音楽院でメロッキという名教師に発声を学び、地方の劇場から地道にキャリアをスタート。第二次大戦の従軍の時期を挟んで、戦後再び舞台に復帰、1949年にミラノ・スカラ座で成功してからは、世界中のオペラハウスで活躍。1975年60歳で引退する。彼の発声は、特殊だと分析する村上敏明。番組では、声をできるだけ顔の前に集めて劇場の一番遠くへ届けようとするデル モナコの発声法を村上自ら紹介する。
大胆な声は繊細な心から…


強く張りのある声からは想像できないほど、マリオ・デル モナコは繊細な人物だったという。本番2日前は声のために一切しゃべらず、会話は筆談で行っていたと言われているし、本番が終わるとその日の演奏を録音したテープを聴きなおして次回に備えていたという。食事にも極力気を使い、夜遊びなどはできるだけせず、修行僧のような生活をしていたというのだ。番組では、初来日の本番前に起こったある事件を通してデル モナコのもう一つの素顔を紹介する。
ゲスト


村上敏明(テノール歌手)
profile
国立音楽大学卒業後、イタリア ボローニャに留学。第9回マダム・バタフライ国際
声楽コンクールグランプリ優勝。現在、日本を代表するテノール歌手の一人。
楽曲情報
- 歌劇「アンドレア・シェニエ」から
ある日、青空をながめて - NHKイタリア歌劇団の公演から(1961年)
- 歌劇「道化師」から衣装をつけろ
- NHKイタリア歌劇団の公演から(1961年)
演技と歌が完全に一体化するとああいう歌になれるのかな。いつかそういう歌が歌いたい。