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これまでの放送 2017年11月24日(金)の放送

チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」〜旅で見つけた本当の自分〜
チャイコフスキーがイタリアへの旅の印象を書きとめた「イタリア奇想曲」。明るく陽気な民謡のメロディーや躍動感あふれる舞踊のリズムが次々と登場する名曲。
しかし旅立つ前の彼は、私生活と創作上において悩みを抱え「人生のどん底」にあったという。
一体何がチャイコフスキーに明るい曲を書かせたのか?その秘密にせまる。
チャイコフスキー
チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」〜旅で見つけた本当の自分〜
チャイコフスキーがイタリアへの旅の印象を書きとめた「イタリア奇想曲」。明るく陽気な民謡のメロディーや躍動感あふれる舞踊のリズムが次々と登場する名曲。しかし旅立つ前の彼は、私生活と創作上において悩みを抱え「人生のどん底」にあったという。一体何がチャイコフスキーに明るい曲を書かせたのか?その秘密にせまる。
ラヴェル

ロシアの大作曲家が描く「気ままな」イタリア

昔から、ヨーロッパ北部に住む多くの作曲家たちはイタリアに憧れを抱き、題材にした音楽を作ってきた。
ロシア人のチャイコフスキーもその1人。「イタリア奇想曲」には、その思いが旅人の目線で描かれている。冒頭のファンファーレは、ローマの宿泊先近くで聞いた騎兵隊のラッパの音がモチーフとされている。打楽器が活躍する速いテンポのリズムは、イタリア南部の舞曲「タランテラ」が用いられ、酒場で合唱されるようなイタリア民謡「美しい娘さん」のメロディーがそのまま引用されている。「奇想曲(カプリッチョ)」とは「気まま」や「気まぐれ」といった意味で、チャイコフスキーが形式にこだわらずイタリアで感じたことを心の赴くまま自由に書いた曲といわれている。

「人生どん底」からの旅立ち

繊細で人付き合いが苦手だったチャイコフスキー。独りきりで作曲に専念できる場を求めていたが、老いた父親を安心させるために37歳で結婚する。しかし妻との暮らしは作曲の妨げとなり、すぐに破綻。思い悩んだ挙句、勤めていた音楽院の教職も放り出し、ロシアを離れて旅に出る。ドイツ、フランスを経由し、向かった先は憧れの地、イタリア。ローマ、フィレンツェ、ベネチアなど各地を転々としながら作曲を再開する。その合間にイタリアの文化や歴史、人生を謳歌する人々の姿に触れ、新たな創造のエネルギーを得たという。この体験が「イタリア奇想曲」や「フィレンツェの思い出」といった名曲たちを生み出したのだ。

メロディーで勝負する作曲家・チャイコフスキー

作曲家の中でも指折りの「メロディー・メーカー」といわれるチャイコフスキー。滑らかで美しく流れる音色が特徴的。しかし19世紀半ばの多くの作曲家たちは、断片的な音を組み上げる「音の建築物」のような音楽を目指していた。当時その代表格ともいえるブラームスの音楽は、同時代を生きるチャイコフスキーにとって脅威であり、創作上のコンプレックスとなっていた。作曲家の西村朗さんは「悩むチャイコフスキーはイタリアへ行き、生命や神を賛美し、喜びを共有するという、イタリアのパワーを実感し、さまざまなことから吹っ切ることができたのだろう」と分析する。

ゲスト

クラシック音楽界にチャイコフスキーがいなかったら寂しくなる

クラシック音楽界にチャイコフスキーがいなかったら寂しくなる

西村 朗(作曲家) 西村 朗(作曲家)

西村 朗(作曲家)

profile

NHK-FM「現代の音楽」をはじめ
ラジオやテレビの音楽解説でも活躍中。

楽曲情報

「イタリア奇想曲 作品45」から
チャイコフスキー
アンドレア・バッティストーニ(指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団(管弦楽)

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