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これまでの放送 2016年10月15日(土)の放送

青春を彩る至高の協奏曲~ショパンのピアノ協奏曲 第1番~
ショパンのピアノ協奏曲第1番は胸を打つ切ないメロディーで
親しまれる名曲です。ショパンがこの曲を書いたのは20歳の時。
当時ショパンはある女性に恋をしていて、その影響が作品に反映
されているとも言われています。
ショパン・コンクールの本選でも演奏されるこのピアノ協奏曲とは
ピアニストにとってどのような作品なのか、その魅力に迫ります。
青春を彩る至高の協奏曲~ショパンのピアノ協奏曲 第1番~
ショパンのピアノ協奏曲第1番は胸を打つ切ないメロディーで親しまれる名曲です。
ショパンがこの曲を書いたのは20歳の時。当時ショパンはある女性に恋をしていて、その影響が作品に反映されているとも言われています。
ショパン・コンクールの本選でも演奏されるこのピアノ協奏曲とはピアニストにとってどのような作品なのか、その魅力に迫ります。

コンクールの「ラスボス」

5年に1度、ポーランドのワルシャワで開かれるピアニスト憧れの夢の舞台、「ショパン国際ピアノ・コンクール」。数ある予選を勝ち抜き、本選に進めるのはわずか10人のみです。その10人が挑む課題曲が2つのピアノ協奏曲。とりわけ、ほとんどのピアニストに選ばれているのが第1番です。
昨年行われた第17回のコンクールではじつに10人中9人が第1番を選択しました。この作品のどこがピアニストを魅了するのか、ピアニストの海老彰子さんは「難しい曲であり、うれしい曲。オーケストラがついてきてくれる曲」と語ります。この曲では、オーケストラにメロディーを渡してピアノが伴奏に回るということがほとんどなく、ピアノが常に音楽の主役を担い続けます。しばしばオーケストラ部分の未熟さを批判されることもありますが、海老彰子さんは話します。「ピアノが持っている可能性を極限まで繊細に表現しているため、オーケストラがあれ以上分厚くなると音楽を壊してしまう」。
まさにこの作品は「ピアニストの、ピアニストによる、ピアニストのための協奏曲」というにふさわしい曲なのです。

青春の痛み

ショパンは1810年にワルシャワ郊外で生まれ、幼くしてピアノの才能を発揮します。一方で、当時のポーランドは外国に支配され、ワルシャワはロシアに支配されていました。
そのような情勢の中、19歳のショパンはオーストリアのウィーンでピアニストとしてのデビュー・コンサートを開き、大成功を収めます。そして、さらなる名声を得るためにとりかかったのがピアノ協奏曲。1年のうちに立て続けに2曲を作曲して、1830年に書き上げたのがピアノ協奏曲第1番でした。
2曲のピアノ協奏曲を書いた当時、ショパンは同い年のソプラノ歌手、コンスタンツィア・グワドコフスカに恋をしていました。しかし、内気だったショパンはコンスタンツィアに告白できず、ショパンの友人に手紙で彼女への思いを書き綴るだけでした。
ピアノ協奏曲第1番が初演されたのは、ショパンがポーランドを離れる際に開かれた告別演奏会。この時、ショパンはコンスタンツィアとの共演の機会を持ちながら、結局彼女に思いを伝えることはありませんでした。コンスタンツィアへの思いを胸に秘め書かれたピアノ協奏曲第1番はショパンの「青春の痛み」なのかもしれません。

ピアノで紡ぐ青春の揺れる心

ピアノで紡ぐ青春の揺れる心

ショパンの真骨頂とでも言うべき「泣きのメロディー」。その代表的な部分を取り上げます。
ピアノが静かにソロを弾くメロディー、そのポイントとなるのが「緩急」です。冒頭いきなり短い音から始めて、続いて長い音、短い音、長い音と音の長さを揺らすことで、ショパン独特の可憐さや切なさが浮き出てきます。
もうひとつのポイントがその伴奏を弾く左手。ペダルを踏みながら同じ和音を細かい音符で静かに刻みます。この茫漠としたシンプルな伴奏が、右手で演奏するメロディーを浮き上がらせる効果を持ちます。

ゲスト

(ショパンは)ピュアですね、ちょっともどかしかったです…この作品を20歳の時に作ったとは思えない…

(ショパンは)ピュアですね、ちょっともどかしかったです…
この作品を20歳の時に作ったとは思えない…

松井咲子(タレント) 松井咲子(タレント)

松井咲子(タレント)

profile

元AKB48メンバー
現在音大でピアノを勉強中

楽曲情報

ピアノ協奏曲第1番 ホ短調作品11から第1楽章
ショパン
小林愛実(ピアノ)
大井剛史(指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団(管弦楽)

profile

小林愛実(ピアノ)

1995年山口県生まれ
アメリカ・フィラデルフィアのカーティス音楽院在学中
2015年第17回ショパン国際ピアノ・コンクールで本選に進み、
この曲を演奏した

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