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これまでの放送 2016年4月2日(土)の放送

クエスチョンスペシャル ~作品編~ 視聴者の皆さんから頂いたクラシックにまつわる
素朴な疑問にお答えする「らららクエスチョン」
今回はスペシャル版!
「作品」をテーマに5つの質問にお答えします!
クエスチョンスペシャル
~作品編~
視聴者の皆さんから頂いたクラシックにまつわる素朴な疑問にお答えする「らららクエスチョン」
今回はスペシャル版!「作品」をテーマに5つの質問にお答えします!

ベートーベン「運命」の冒頭の音は「運命が扉を叩く音」と聞きましたが本当ですか?

実は「運命」というタイトルはベートーベンが付けたものではなく、ベートーベンが冒頭の4つの音について『このように運命は扉をたたく』と発言したというエピソードが由来です。しかし、このエピソードを広めたシンドラーという人物は後の研究で誇張やねつ造が多いことがわかり、エピソードの信憑性も疑われています。このエピソードの他に、ベートーベンの弟子であり、ピアノの練習曲を数多く残した作曲家ツェルニーはベートーベンから「あの冒頭の音はキアオジという鳥の鳴き声だ」と聞いたと証言していました。確かにキアオジの鳴き声を聞いてみると、ピピピピピーと最後の音だけが伸びるようすはまるで「第5番」の冒頭のよう。また、「運命」の冒頭は、弦楽器の他にクラリネットも演奏されています。木管楽器は鳥の鳴き声をあらわすケースが多く、第5番と同じ時期に書かれた「田園」でも三羽の鳥が木管楽器で描写されています。この頃ベートーベンは鳥の鳴き声を音楽表現に多用していました。運命という言葉の先入観にとらわれず、フラットに純粋に音楽として聴いて楽しんでみるのもいいかもしれません。

エルガーの行進曲「威風堂々」。この日本語のタイトルはどのようにして付けられたのですか?

元の英語のタイトルはPomp and Circumstance。直訳すると「華麗」と「状況」。「威風堂々」とは似ても似つきません。そもそもこのタイトルの言葉はシェークスピアの戯曲「オセロー」から引用されたものなんです。第3幕に主人公の武将オセローが、かつて自分が戦場で華々しく活躍していた頃を回想するシーンがあります。そこにPomp and Circumstanceが出てきます。前後の文脈からこの部分を訳すと「戦を前にした陣営のきらびやかさ」。この作品が作曲された1901年、当時のイギリスは世界の4分の1を支配する大英帝国の絶頂期。新しい国王が即位し、兵士たちはきらびやかな軍服に身を包んでいました。この様子はまさにあのシェークスピアの台詞に出てくる「戦を前にした陣営のきらびやかさ」と重なっていたのです。エルガーは絶頂の時代にあったイギリスの姿をオセローの台詞であらわそうとしていたのかもしれません。
明治39年に日本語版シェークスピア全集が出版されます。そこでは、あの場面の台詞は「威武堂々の軍装束」と訳されています。また、エルガーの作品が日本で最初に演奏されたのはわかる限り最も古いもので大正5年の陸軍軍楽隊によるもの。そこでは「正々堂々たる軍容」と訳され、おそらくこの訳は「威武堂々の軍装束」という訳が影響を与えているのではないかと考えられています。この「正々堂々たる軍容」の他にも「威風堂々たる陣容」など様々なタイトルが登場。大正から昭和初期にかけてこの作品は軍楽隊によって盛んに演奏されました。戦後、「平和」な時代の訪れとともに、戦争をイメージするような言葉が取り払われ、「威風堂々」という四文字だけのシンプルなタイトルに定着しました。

シューベルトの交響曲の番号は何度も変更されていますがナゼですか?

まず大前提に、シューベルトは生前「交響曲の番号」を自分で付けていませんでした。死後60年も経った19世紀後半にようやく学者たちが作曲した年代順に番号を振っていきました。この時、「ザ・グレート」は第7番、「未完成交響曲」は第8番でした。「未完成」は「ザ・グレート」より作曲された年は早かったのですが「未完成」は2楽章までしか書かれておらず交響曲として完結していないことから学者たちは完成されたものを優先し、「未完成」を最後(8番目)に持ってきました。19世紀後半から20世紀の中頃までこの順番が続きました。
1951年にドイチュという学者がシューベルトの全作品目録を発表すると、ドイチュは交響曲だけでなく歌曲などすべての作品に年代順の番号をつけていきました。いわゆる「ドイチュ番号」です。このドイチュの目録に従って「作曲された順番に交響曲の番号を付ける動き」が定着し。「未完成交響曲」が7番、「ザ・グレート」が8番に入れ替わりました。ただ、「グレート」が9番になっているCDもあります。それはどういうことでしょうか? シューベルトの交響曲は主にこの8つですが彼はとても野心家だったので完成にいたらなかったいわゆる「断片」も沢山残されています。中でもこの「D729」というのは完成度が高かったので作曲家や学者の手で4楽章の交響曲に仕上げられました。実際、よく録音されたり、演奏されたりしたことからこれを7番目の交響曲にカウントする音楽業界の人も多く出てきました。その場合「未完成」と「グレート」が一つ繰り下がり「ザ・グレート」は「第9番」になりますが、この数え方は今でもある程度残っています。ただ、D番号を付けたドイチュは「D729」がシューベルト自らの手で交響曲に仕上げられたわけではないことからこれを「交響曲7番」と呼ぶことはありませんでした。ドイチュの仕事を引き継いで、1978年に「国際シューベルト協会」が新しい作品目録を発表しました。その編集者たちも「D729」を「7番」に格上げするのには反対しています。この「国際シューベルト協会」の数え方、つまり7番を「未完成」、8番を「ザ・グレート」とする数え方に多くの出版社や音楽業界もならった結果、今はこの番号が主流となっています。

クラシックで演奏時間が一番長い作品は何ですか?

クラシックで長い曲といえば思い浮かぶのが交響曲やオペラ。しかし、クラシックで最も長い作品は交響曲やオペラではなく、なんと意外にもピアノ曲!その作品とはフランスの作曲家サティーの「ヴェクサシオン」。ギネス記録にも認定されたその演奏時間はなんと18時間!楽譜はたった1ページでフレーズ自体はとっても短いもの。それがどうして18時間もかかるかというとサティがこの短いフレーズを実に840回も繰り返して演奏することと指示しているから。ちなみにこの「ヴェクサシオン」、フランス語で「嫌がらせ」という意味。日本での初演は1967年12月31日。お昼前に演奏を開始し、終わった時には新年を迎えていました。クラシックで最も長い曲、それは演奏者泣かせの「嫌がらせ」な作品でした。

ラヴェルはどうして「左手のためのピアノ協奏曲」のような左手のための曲を書いたのですか?

なぜラヴェルが左手のための曲を書いたのか。それは戦場で右手を失ってしまったプロのピアニストの依頼を受けて書いたからです。1929年、ラヴェルにその曲を依頼したピアニストはオーストリアのパウル・ヴィトゲンシュタイン。彼は戦争で右手を失ってしまい、残された左手だけで弾けるピアノ協奏曲を求めていました。ラヴェルは作曲後、次のように語っています。「こういうジャンルの作品で大切なことは音の紡ぎ方が軽いという印象を与えてはならず、あたかも両手のために書かれたかのような印象を与えなければなりません。」通常、ピアノの曲ではメロディーを右手で、伴奏を左手で演奏しますが、ラヴェルは左手のみでメロディーと伴奏、両方を演奏できるように巧みに書き上げたのです。他にも2連と3連のそれぞれ異なるリズムが登場する場面でも、右手と左手で異なるリズムを弾くことはよくありますが、なんとラヴェルは左手のみで弾けるように工夫しました。

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