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これまでの放送 2015年10月31日(土)の放送

チャイコフスキー特集 ~名曲の「仕掛け人」たち~ ロシアが誇る偉大な作曲家・チャイコフスキーは元エリート官僚!?
遅めのデビューだった“脱サラアーティスト”はいかにして成功したのか?
その「仕掛け人」となった人物たちとのエピソードを交え、名曲誕生秘話をご紹介します!
チャイコフスキー特集
~名曲の「仕掛け人」たち~
ロシアが誇る偉大な作曲家・チャイコフスキーは元エリート官僚!?
遅めのデビューだった“脱サラアーティスト”はいかにして成功したのか?
その「仕掛け人」となった人物たちとのエピソードを交え、名曲誕生秘話をご紹介します!

辛口コメンテーターは
大親友?

あの超有名な「ピアノ協奏曲第1番」の仕掛け人となった人物は、モスクワ音楽院創設者にして、名ピアニスト、ニコライ・ルビンシテインです。彼は作曲家として駆け出しだったチャイコフスキーを自宅に下宿させ、手厚く面倒をみてくれた人物なのです。チャイコフスキーは彼の元で多くの曲を生み出し、またニコライはそれらを演奏会で披露、広めてくれました。ニコライに深い愛情を受け、彼の元でピアノ音楽の魅力に目覚めたチャイコフスキーは、それまで避けていた「ピアノ協奏曲」の作曲を決意します。(実は彼はピアノが苦手だったのです)しかし、完成した作品はニコライの酷評を受けます。実はニコライは、それまでと違い、自分に相談なく作られた曲の完成度が高かった為、他のピアニストが手伝ったのでは?と疑い、嫉妬していたのです。2人は決別し、初演は別のピアニストによって演奏されたのでした。しかし、それから3年後、ニコライの謝罪によって2人は和解。ニコライは再び、曲を広めることに尽力したのです。

名曲の陰に
“あしながおばさん”あり

「交響曲第4番」の仕掛け人となったのは、大の音楽好きで知られた大富豪の未亡人、ナデージダ・フォン・メックです。チャイコフスキー崇拝者だった彼女が、借金まみれの作曲家を救おうと仕事を依頼。その後、破格の報酬を与えた事がきっかけで、2人は14年にわたる文通をスタートさせます。信頼を深めていたある日、チャイコフスキーは自身の「同性愛」を隠す為に結婚、メック夫人に衝撃を与えます。しかし、自由と愛を奪われたチャイコフスキーは耐えきれず、結婚生活は1カ月で破たん。精神が衰弱し、結婚の準備資金で借金も膨んだチャイコフスキーは、なんと自殺未遂を図ってしまうのです。絶望の淵にいた彼を救ったのは、メック夫人でした。夫人は借金を肩代わりした上、今後は年収の3倍にもあたる資金を与えることを約束してくれたのです。自由に作曲できる環境を作ってくれた夫人に、感謝の気持ちを込めて書かれたのが、「交響曲第4番」だったのです。。

バレエ界を変えた
伝説タッグ

バレエ音楽の傑作のひとつ、「眠りの森の美女」の仕掛け人となったのは、当時、ロシア芸術を立て直そうとしていた、文化官僚のイワン・フセヴォロシスキーです。前作「白鳥の湖」は、雄弁にストーリーを語る革新的な音楽に振付がついてこれず、初演は失敗。チャイコフスキーは、その後11年に渡ってバレエ界を離れていました。しかし、フセヴォロシスキーは、国の威信をかけた大作、バレエ「眠りの森の美女」にはチャイコフスキーの音楽が不可欠だと考えたのです。再三にわたる説得を受け、彼の情熱に打たれたチャイコフスキーは、バレエ界へのリベンジを決意。「音楽と振付が密接に寄り添った作品にしたい」と、フセヴォロシスキーや振付家と入念な打ち合わせを繰り返し、2年に渡ってあの名作を完成させたのでした。

こぼれ話

14年間に渡る文通をしながらも、一度も会うことがなかったというチャイコフスキーとメック夫人。しかし・・・実はたった一度だけ、ニアミスがあったというお話です。

ゲスト

チャイコフスキーの曲が僕の人生を変えた!

チャイコフスキーの曲が僕の人生を変えた!

宮本亜門(演出家) 宮本亜門(演出家)

宮本亜門(演出家)

profile

ジャンルを超えた
数々の舞台を演出

楽曲情報

①ピアノ協奏曲 第1番
②交響曲 第4番
③バレエ「眠りの森の美女」
チャイコフスキー

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