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これまでの放送 2015年1月10日(土)の放送

ワルツ王が生んだ心躍る調べ 19世紀ウィーンはワルツ黄金期!
しかし、華やかな舞台の裏にあったのは親子のバトル!?
ワルツ王が生んだ心躍る調べ
19世紀ウィーンはワルツ黄金期!
しかし、華やかな舞台の裏にあったのは親子のバトル!?

親子はライバル

19世紀のウィーンで一大ブームを巻き起こしたウィンナ・ワルツ。その礎を築いた作曲家の一人がシュトラウスのお父さんです。彼は宮廷舞踏会で音楽監督をつとめるなど名をはせ、ワルツの父と呼ばれました。そんな彼の背中を見て育ったのが息子シュトラウスです。彼は父と同じように音楽家を志しますが、音楽で食べていくことの厳しさを実感していた父は息子の希望に反対でした。しかし、その父が家庭を顧みずに不倫におぼれていくと、父に幻滅したシュトラウスは父の言うことを聞かず、音楽家として生きる決意をします。そして父と同じく自分の楽団を作り、ダンスホールで自作のワルツを演奏するようになります。こうして親子はまさにライバルとして競い合うこととなったのです。父亡き後も奮闘を続けたシュトラウスは「美しく青きドナウ」のほか数々のワルツの名作を産みだし、「ワルツ王」と呼ばれました。

ワルツは
踊るだけじゃない

1866年、オーストリア帝国はプロイセン王国との戦争で大敗し、首都ウィーンは大きな悲しみに包まれました。市民の楽しみだった派手な舞踏会は行われなくなりましたが、代わって市民のよりどころとなったのが合唱でした。歌好きのアマチュアが集まったウィーン男声合唱協会、彼らは少しでも市民を元気づけようと演奏会を続けることを決意します。そんな彼らのためにシュトラウスが書いた初めての合唱用のワルツが「美しく青きドナウ」でした。合唱団によってつけられた歌詞には敗戦で落ち込む市民を鼓舞するようなメッセージが込められていました。「美しく青きドナウ」の初演は大成功。まもなく開かれたパリ万博では同曲のオーケストラ版を披露し、合唱版に続き大成功。これをきっかけに「美しく青きドナウ」は世界中に広がったのです。1850~60年代は人々のニーズが多様化し、ワルツも踊るだけじゃなく、歌って楽しむ、聞いて楽しむ、様々なスタイルを求められました。そんな時代のニーズをシュトラウスはいち早く察知したのです。ウィーンを支配した踊りの自粛ムード。そのなかでワルツ王シュトラウスは、歌うワルツ、聞くワルツを生み出し、ワルツの可能性を広げたのです。

聞かせるワルツの方程式

ウィンナ・ワルツにはひとつの形式があります。ワルツの始まりを感じさせるようなゆったりした「序奏」に始まり、様々なカラーをもった「連なる5つのワルツ」、そして最後にはそれまでのワルツを回想するかのような「終結部」で締めくくられます。また曲のメインでもある5つのワルツですが、1つのワルツの中にも前半と後半で曲調は変わり、10個の色とりどりのメロディーがあるようにも見えます。この形式はウィンナ・ワルツの代表曲「美しく青きドナウ」にももちろん見られ、これらの決まり事を理解したうえでウィンナ・ワルツを聞くとまた別の楽しみ方ができます。

ゲスト

この曲を聞くと元気にならないわけにはいかない!

この曲を聞くと元気にならないわけにはいかない!

野々すみ花(女優) 野々すみ花(女優)

野々すみ花(女優)

profile

元宝塚歌劇団 宙組トップ娘役
ワルツは舞台で踊ったことも

楽曲情報

「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2013」から「美しく青きドナウ」
ヨハン・シュトラウス
フランツ・ウェルザー・メスト(指揮), ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(演奏)

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