これまでの放送 2013年5月11日(土)の放送
母と子をつなぐ「こもり歌」にこめられた思いとは?
眠りを誘う音楽の秘密にせまります。 ねむれ ねむれ 母の胸に
母と子をつなぐ「こもり歌」に
こめられた思いとは?
眠りを誘う音楽の秘密にせまります。


始まりは明治時代!「ねむれ ねむれ」秘話
いまも日本の母に愛される「ねむれ ねむれ」の有名な日本語詞が生まれたのは、明治時代のことでした。文明開化によって欧米から音楽が輸入された時代。クラシック音楽は瞬く間に知識層の間で流行しました。
そんな中で、ハイカラな叔父の影響でクラシック音楽に出会ったひとりの青年、近藤朔風。歌曲に夢中になった朔風は、外国語学校で学びながら歌手をめざして音楽学校へ通います。しかし声に恵まれず、歌手の道を断念せざるをえなかった朔風は、シューベルト歌曲への思いを別の形で表現したのです。大好きな歌曲を日本語に翻訳し、「こもり歌」を多くの人に歌ってもらいたい。そうして出来た「ねむれ ねむれ」は音楽雑誌に発表され、のちに女学生向けの音楽教科書に掲載されました。そして良妻賢母をめざす女生徒たちを中心に、日本で広く歌われるようになったのです。
シューベルトが愛した母
「こもり歌」は1816年、シューベルト19歳の時の作品。音楽好きな父とやさしい母のもとに生まれたシューベルト。幼いころから家族で演奏会を開くなど、いつも音楽が身近にありました。やがて音楽学校に進学したシューベルトは、作曲家をめざすようになります。
しかし安定した仕事を望む父の猛反対にあい、父子の関係は断絶状態に。そんなさなか、シューベルト15歳の時に母マリアが病気でこの世を去りました。大きな悲しみを前に父子のいさかいは影をひそめ、二人は和解します。じきに父は再婚し、シューベルトは新しいまま母アンナの愛情にふれ、とても良い関係を築きました。
そんな二人の愛情深い母に育てられたシューベルトが生み出したのが「こもり歌」だったのです。
寝かしつけテクニック!
シューベルトの「こもり歌」にかくれた3つの寝かしつけテクニックを教えます!
その①だんだん下がる歌のメロディー
その②伴奏のシンプルな和音
その③ミの音のぬくもり
これらのテクニックによって、赤ちゃんも大人も寝かしつけられるのです!
始まりは明治時代!
「ねむれ ねむれ」秘話
いまも日本の母に愛される「ねむれ ねむれ」の有名な日本語詞が生まれたのは、明治時代のことでした。文明開化によって欧米から音楽が輸入された時代。クラシック音楽は瞬く間に知識層の間で流行しました。
そんな中で、ハイカラな叔父の影響でクラシック音楽に出会ったひとりの青年、近藤朔風。歌曲に夢中になった朔風は、外国語学校で学びながら歌手をめざして音楽学校へ通います。しかし声に恵まれず、歌手の道を断念せざるをえなかった朔風は、シューベルト歌曲への思いを別の形で表現したのです。大好きな歌曲を日本語に翻訳し、「こもり歌」を多くの人に歌ってもらいたい。そうして出来た「ねむれ ねむれ」は音楽雑誌に発表され、のちに女学生向けの音楽教科書に掲載されました。そして良妻賢母をめざす女生徒たちを中心に、日本で広く歌われるようになったのです。
シューベルトが愛した母
「こもり歌」は1816年、シューベルト19歳の時の作品。音楽好きな父とやさしい母のもとに生まれたシューベルト。幼いころから家族で演奏会を開くなど、いつも音楽が身近にありました。やがて音楽学校に進学したシューベルトは、作曲家をめざすようになります。
しかし安定した仕事を望む父の猛反対にあい、父子の関係は断絶状態に。そんなさなか、シューベルト15歳の時に母マリアが病気でこの世を去りました。大きな悲しみを前に父子のいさかいは影をひそめ、二人は和解します。じきに父は再婚し、シューベルトは新しいまま母アンナの愛情にふれ、とても良い関係を築きました。
そんな二人の愛情深い母に育てられたシューベルトが生み出したのが「こもり歌」だったのです。
寝かしつけテクニック!
シューベルトの「こもり歌」にかくれた3つの寝かしつけテクニックを教えます!
その①だんだん下がる歌のメロディー
その②伴奏のシンプルな和音
その③ミの音のぬくもり
これらのテクニックによって、赤ちゃんも大人も寝かしつけられるのです!
ゲスト
田山涼成
(俳優)


楽曲情報
- こもり歌
- シューベルト
- 森麻季(ソプラノ)
山岸茂人(ピアノ)

