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京の地名の不思議 東西と南北の通り、どっちが先?

  • 2024年05月17日

「四条烏丸」は、なぜ「烏丸四条」とは呼ばれないのか?京都観光をしていると、交差点やバス停などで通りの名前を組み合わせた地名をよく目にします。
ただ、東西の通りが先になったり(四条烏丸)、南北の通りが先になったり(烏丸五条)と、ばらばらなことに気づくと不思議に思うかもしれません。
視聴者の方から寄せられたこの疑問を深掘りすると、京都の1200年の歴史がかいま見えてきました。

(NHK京都放送局 田村允記者)

京の地名は“通りの組み合わせ”

※京都市のホームページの図をもとに簡略化しています 実際はもっと複雑です

京都市の中心部は、通りが町を区切り、碁盤の目のようになっています。
通り名は、赤字の部分を上からつなげ「まるたけえびすにおしおいけ、あねさんろっかく・・・」という「わらべうた」にされるほどよく知られ、地名は東西の通りと南北の通りを組み合わせて示されます。
例えば「烏丸御池」にあるNHK京都放送局は、この地名だけで烏丸通と御池通が交わる交差点の近くにあるということがわかります。
 

この地名について、視聴者の方から「東西と南北の通り、どっちが先に呼ばれるのか、規則性はないのか、どちらを先に呼ぶか統一したほうがわかりやすいのではないか」という疑問の声が、NHK京都放送局の「こえきく!!」のコーナーに寄せられました。
まずは実際、街なかはどうなっているのか、自転車に乗って調査しました。

街なかの標識の実態は・・・

NHK京都放送局がある「烏丸御池」。烏丸通が南北の通り、御池通が東西の通りなので、南北の通りが先です。
一方、「烏丸御池」から烏丸通を南下した交差点は、「四条烏丸」。東西の通りである四条通が先にきて、「烏丸」の位置が後になりました。
 

同じように、NHK京都放送局のまわりで範囲を広げ交差点名を調べました。(西は堀川通、東は河原町通、南は五条通、北は丸太町通まで)。
32か所の標識が見つかり、このうち
東西の通りが先になっていたのは12か所。
南北の通りが先になっていたのは16か所。
▼そのほかの名前が4か所となり、組み合わせの順番はばらばらでした。

街の人たちはどう思っているのか聞いてみました。
 

「どっちを先に言うんだろうと思ったことはあります」(京都歴2年の30代男性)
「なぜかは分からない。慣例でそうなっているのでは」(京都歴60年の男性)
「言いやすい方が先?烏丸四条はなじまない、やはり四条烏丸」(京都歴60年の女性)

同じように疑問に感じている人がいて、慣例や言いやすさで決まっているのではないかという意見がありました。
では、組み合わせの順番はどのようにして決められたのでしょうか。

“あるもの”が交差点名の標識に!?

標識を管理する京都市に問い合わせました。

京都市
交差点名の表記の順番にルールはない。
「あるもの」を参考に決めたのではないか。

その「あるもの」というのが「京都市電」です。
明治45年から昭和53年まで、市民生活を支える足として運行されましたが、自動車の普及とともに段階的に廃止されました。
代わって整備されていったのが道路です。
交差点には名前を示す標識が必要となり、その際、近くの市電の停留場名が参考にされたのではないかというのです。
 

今回、交差点名を調査した範囲内で確認すると、見つかった16か所の交差点名のうち14か所が停留場名と一致しました。
では、その停留場名はどうつけられたのか、再び京都市に聞くと。

京都市
過去の資料が残っていないので確かなことがよくわからない。
当時よく使われていた地域の名称をつけたのではないか。

ルーツは平安京にあり?

交差点名のルーツは、1200年前の平安京にあると指摘する人がいます。
京都の地名を研究している龍谷大学名誉教授の小寺慶昭さんです。

京都地名研究会会長 龍谷大学 小寺慶昭 名誉教授
一番最初の京都の住居の表示というのは、「条」から始まる。
東西の横の通りから始まるというのが京都の最初のあり方だった。

 

小寺さんによると、794年に遷都された平安京では、当初、一条大路、二条大路といった東西の通りしか名前が知られていませんでした。
そのため、場所を示すときは東西の通りを基準にし、「何条のどこそこ」などと呼ばれたといいます。
 

その後、南北の通りも名前が知られるようになり、東西と南北の通りを組み合わせる呼び方が生まれました。
 

中世以降、経済の発展とともに通りの両側に町が発達していきます。
町は、
▼横に延びる東西の通りを挟むと「よこまち」、
▼縦に延びる南北の通りを挟むと「たてまち」と呼ばれるようになりました。
 

この段階で組み合わせの順番に規則性が出てきます。
その町が挟んでいる通りを先に呼ぶようになったのです。
「よこまち」であれば東西の通りが先、「たてまち」であれば南北の通りが先に呼ばれます。
ただ、赤い丸で囲んだ部分は、場所としてはほとんど同じですが、先に呼ぶのは、「よこまち」なら東西の通り、「たてまち」なら南北の通りとなり、住む町によって変わることになります。
 

例えば、四条通を挟む「よこまち」に住む人が「四条烏丸」と呼ぶ場所について、
烏丸通を挟む「たてまち」に住む人は「烏丸四条」と呼ぶことになります。
ほとんど同じ場所でも2通りの呼び方が存在し、それぞれが呼びやすいように呼んでいたといいます。
 

呼び方が大きく変わったのは明治以降です。
市電の停留所や交差点などの公共施設では、混乱を避けるため地名の表記が統一され、定着していったのです。
しかし、その決定の詳しい経緯は今回の取材ではわからず、謎が残りました。
一方で、小寺さんは、その謎こそが京都を楽しむ醍醐味だといいます。

京都地名研究会会長 龍谷大学 小寺慶昭 名誉教授
京都の地名は1200年の歴史そのものを持っている。
それを探れるのが地名、通りのおもしろさで、
歴史とわれわれをつなぐ鍵が、地名の中にいっぱい込められている。
それを楽しみながら歩くというのが京都の楽しみ方のひとつだと思う。

交差点での発見はほかにも

交差点から始まった今回の取材。ほかにも発見がありました。
「四条堀川」と「五条大宮」の交差点をよくよく見てみると、進む方向によって「堀川四条」と「大宮五条」という2通りの標識があることに気づきました。
「よこまち」と「たてまち」に基づく規則性が現代にも残されていたのかと驚きましたが、標識を管理している京都市と国に確認したところ、違いました。混乱を招くおそれがあるので本来は統一しなければならないものだということで、今後対応を検討するということです。
 

一方、極めて例外的な交差点もありました。
「三条御池」の交差点です。
場所は京都市右京区の市営地下鉄東西線の終点、太秦天神川駅の近くです。
名前をそのまま解釈すれば、三条通と御池通の交差点ですが、この2つの通りは東西の平行する通りなので、交差するはずはありません。
京都市によると、町の再開発で15年ほど前にできた交差点で、中心部を外れたところで三条通が北に曲がり、実際に御池通と交差しています。
通りの組み合わせを知っていると不思議な交差点名です。

取材後記

京都に異動してきて2か月。当初、通り名の順番が入れ替わり、わかりにくいと思っていた地名も、だんだんと口なじみがよくなり、愛着がわいてきました。
取材を通して、今では交差点では自然と標識を探し、「たてまち」なのか「よこまち」なのかまで考えてしまうほどです。
みなさんも京都を訪れた際は、観光名所はもちろん、ぜひ、地名を楽しんでみてください。

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NHK京都放送局では、みなさんからご投稿いただいた疑問などをもとに取材し「こえきく!!」のコーナーで紹介しています。
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  • 田村允

    京都放送局 記者

    田村允

    2023年入局 
    大阪放送局を経て2024年3月から京都放送局
    主に警察取材を担当

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