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“島原大変肥後迷惑”いったいどんな災害だったのか?

 熊本市に今も残る“津波石”にも行ってきた
  • 2023年11月02日

 

「島原大変肥後迷惑」と聞くと、教科書に記述があった記憶があります。
「肥後」という文字が入っていたので、熊本出身の私は、その名称はよく覚えていたのですが、詳細までは把握できていませんでした。
いま、その実像に迫る展示会が熊本市で開かれています。
いったいどんな災害だったのか。そして、今も熊本に残る“津波石”とはどんなものなのか。
取材してきました。(熊本局・アナウンサー・石井隆広)

展示会は熊本市中央区にある肥後の里山ギャラリーで行われています。
「島原大変肥後迷惑」が起きたのは雲仙・普賢岳の噴火活動が続いていた江戸時代です。
噴火によって山の一部が崩れ落ち、有明海の対岸の熊本にも津波が押し寄せて、長崎と熊本で合わせておよそ1万5000人が犠牲になったとされています。

学芸員・村田眞理さん

学芸員の村田眞理さんに案内してもらいました。


まずは、こちらの「島原大変大地図」です。

学芸員
村田さん

1792年、今から231年前に島原で雲仙岳が噴火しまして、4月1日に前山もしくは眉山という山が崩れ落ちて海に入っていったことを表しているんですね。

この絵は、島原藩が作成したもので、江戸幕府に被災状況を伝えるために描かれました。
当時、山が大規模に崩れ落ち、その大量の土砂で小さな島が形成されたということです。


続いてはこちらの「寛政津波被害之図」です。
現在の荒尾市から宇土半島の有明海側の津波被害を記した図の複製です

よく見ていくと、今でも残る地名が書かれていることがわかります。

「〇軒流出。〇人溺死」などと詳細に記されていました。

学芸員
村田さん

当時、推定15mを超える津波が襲ったところもあったということで、村ごと流されたという所もあったようですね。

オレンジの部分が津波で浸水した地域で、当時の村ごとに死者数や家屋の流出数が記されています。 
広範囲に被害が及んだことがわかります。


そしてこちらのマップ。
「島原大変肥後迷惑」が起きたあとに熊本の人々が建てた“供養塔”や“津波石”などが、どこにあるかマッピングしてあります。

各地にある供養塔や石碑

こうした石碑が、実は私たちの身近にもあるということで探しに行きました。

見つけました。
こちらは熊本市西区松尾町にある“浪先石”。この石のところまで波が来たということです。

石の大きさは縦横2メートルほど
「松尾あたりで300人以上が亡くなる」「津波の高さ6メートル」などの記述
画像の右奥に島原半島が見える

この“浪先石”は正面に島原半島を臨む位置で、少し坂を登ったところにありました。
こんなところまで津波が来たとは驚きでした。


島原大変肥後迷惑に関するこうした石碑などは熊本県内で47基確認されているということです。

現代も残るこうした先人たちの意思をどう捉えればいいのか、村田さんに尋ねると・・・。

学芸員
村田さん

231年前に起きた江戸時代の最大級の火山災害が熊本に関するものであったということをまずは知っていただきたい。そして実際にそれを体験した昔の熊本の人たちが今の我々に伝えているメッセージ、防災に関して「これをしてはいけません」「こうなりますよ」というようなことを展示を通して見て頂ければと思います。

展示会は2023年12月2日まで熊本市中央区にある肥後の里山ギャラリーで開かれています。


今回取材で訪れたような石碑は「自然災害伝承碑」と呼ばれていて、現在、国土地理院が全国で登録を進めていて、国土地理院のWEB地図に掲載されています。熊本は、2023年9月28日の時点で九州最多の登録数だということです。

  • 石井隆広

    熊本放送局 アナウンサー

    石井隆広

    熊本県出身 実家は農家
    福井→熊本→東京と経て、2度目の熊本勤務

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