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災害は「起きるかも」ではない

豪雨を悲しい経験にしないために
  • 2023年08月01日

届くかわからないけれど、発信し続けたあの日。
ふるさとに大きな被害をもたらした豪雨で、思いが変わりました。 
災害は「起きるかも」ではない。「必ず起きる」ものだと。

(熊本放送局 記者 西村雄介)

みんなが好きな坂本町

「集落のおじいちゃん、おばあちゃんとか、交流しながら過ごしていた。自然と地域に見守られながら育ったなと思います」

語るのは、県内外で防災の知識や取り組みを紹介する八代市の気象予報士、早田蛍さんです。
市内を流れる球磨川、山に囲まれた坂本町で生まれ育ちました。 

(早田蛍さん)
「学校の帰り道に川が流れていて、浅瀬なんです。石をぴょんぴょん跳んで、川に落ちずに家に帰れた人が勝ちという遊びを登下校でしていました。ずぶぬれになって帰るんですけれども。川の音、山のせせらぎがあって、好きなところと思いますし、坂本出身、住んでいる人はみんな坂本が好きなんです」

爪痕残るふるさとに

(早田蛍さん)
「本当は対岸にずっと家があったんです。でも、解体で半分くらいさら地になってしまった」

3年前の令和2年7月4日。

記録的な豪雨で球磨川が氾濫し、坂本町は300棟あまりの住宅が全半壊するなど、甚大な被害を受けました。

10日あまりたって、町に入った早田さん。
豪雨の爪痕が生々しく残るふるさとの姿に、喪失感を抱いたといいます。 

(早田蛍さん)
「橋が落ちる様子をSNSで見て、『まさか』と思った。その橋は坂本から八代に行き帰りをするときに、いつも通っていた道で、その道がなくなっていた。今でも慣れないですし、今でも通ろうとしてしまう」

 災害は「起こるかも」ではなく

(早田蛍さん)
「情報を発信していたけれども、個人にどれだけ届くのだろうと思いながら伝えていた」

 発生当時、SNSを使って気象情報などを発信し続けた早田さん。

危機感、切迫感、さまざまな思いが交錯するなかで、身の安全の確保を呼びかけていました。 

(早田蛍さん)
「午前3時20分に記録的短時間大雨情報が出始めて、その後も何回か続いて、人が亡くなる重大な災害になると思いました。急激に状況が悪化するなかで、みんなが寝ている時間帯で、この危機感は流域の人たちに伝わるのかという思い、伝わって欲しいという思いで発信し続けました。しばらくたって、SNSを夜中に見た若い世代の人が、坂本の家族に連絡して『逃げたほうがいい』と言っていたと知って、やっていた意味は少なからずあったと思いました」

豪雨のあと、以前から子どもたちに防災の知識などを伝えてきた早田さんに意識の変化があったといいます。

(早田蛍さん)
「以前は、『自然災害は起こるかもしれないよ』というふんわりした伝え方をしていましたが、豪雨を経験してからは『災害は必ず起こります』と、断言して伝えるようにしています」

悲しい記憶にしないために

(早田蛍さん)
「復旧、復興には長い年月がかかる。元には戻らないということを感じています。ただ、そこには人が住んでいて生活が続いている」

ふるさとの復旧、復興は道半ば。

ボランティアなどを通して住民と関わるなかで、何が町のためになるのか、考えてきました。

(早田蛍さん)
「変えるという視点で見るよりは、坂本の人たちが生活を続けるためにどうしたらいいのかということを感じました。過疎化するから、災害が起きるからという理由で、地域がなくなるのはすごく悲しい。そこで生活をしているひとりひとりに目をむけて、考えていけたらというのはあります」

 全国で激甚化する豪雨災害。

 坂本町が受けた傷や現状を胸に刻み、命を守るメッセージを発信していきたいと考えています。

(早田蛍さん)
「3年前の豪雨を悲しい経験で終わらせるのではなく、あのときこうだったから、他の地域でこういう対策をとっておけば被害を減らせるとか、命を守れるというのを、伝えていきたいなと思っています」

  • 西村雄介

    熊本局記者

    西村雄介

    2014年入局 熊本局が初任地。公式確認60年となる2016年から水俣病を継続取材。熊本地震・令和2年7月豪雨を発生当初から取材。

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