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「誰も知らない」施設と労災遺族の思い

設立から半世紀 ”遺族どうしがつながる場を”
  • 2023年05月24日

「誰も知らない」施設と労災遺族の思い

「誰にも知られていないんです」
労働災害で亡くなった27万人あまりの慰霊施設。
この場所から、孤立する労災遺族をつなぎたい。
立ち上がったのは、熊本市の遺族でした。
(熊本放送局 記者 松尾幸明)

労災で失われた命

労災で家族を亡くした、熊本市の深迫祥子さん(54)です。

4年前、東京でバリスタとして働いていた息子の忍さんを亡くしました。
当時29歳。コーヒー豆を運ぶ際、過ってバックしてきたトラックと壁の間に挟まれた、労災でした。

深迫祥子さん

ちゃんと運転してほしかった。
生きていてくれたらよかった。
労災は、未然に防ぐことができると思います。

「誰も知らない」

忍さんが労災に認定された後に届いたのが、ある施設の案内でした。
東京・八王子市にある「高尾みころも霊堂」。
国が半世紀以上前に設置した、全国で唯一、労災で亡くなった人を追悼する施設です。
 

労災で家族を亡くすまで、施設の存在を知らなかった深迫さん。
初めて訪れたとき、想像以上に多くの若者が労災で亡くなり、まつられていることを知り、自分を恥じたといいます。
それから周囲の人に施設の存在を伝え始めましたが、返ってくるのは「知らない」という言葉。
霊堂が遺族にすら知られていない、いわば"謎の施設"になっていたのです。

どうしてみんな教えてくれなかったんだろうって、単純に怒りがありました。
遺品や骨壺を見ると本当に20代が多くて。この場所はみんなに知られるべきだと感じました。

初めての取り組み

深迫さんは、施設側と話し合いを始めました。
事故や事件では遺族会の集まりなどがあるのに、労災では遺族どうしがつながれる場所がない。
遺族を支える場として、この施設にその役割を担ってもらうことができないかと考えたのです。

産業殉職者霊堂奉賛会 大石明 理事長

施設の存在が知られていないのは、非常にじくじたる思いでした。
同じ立場の遺族どうしがお会いできる機会を用意するのは、我々の役割だと思います。

霊堂の設立から半世紀あまり。

話し合いの末、遺族どうしによる初めての交流会が開かれることになりました。

「東日本大震災の隠れた労災」

交流会の案内を受けた1人、宮城県の田村孝行さん(62)です。

東日本大震災で、息子の健太さんを亡くしました。
大学を卒業して間もない、当時25歳。
七十七銀行の女川支店で勤務中、支店長の指示で屋上に避難して津波に巻き込まれた、労災でした。
「東日本大震災の、隠れた労災です」と田村さんは語ります。

知らなかった12年

あの日から、ことしで12年。
霊堂の存在を知らなかった田村さんは今回、遺品を納めることを決めました。
霊堂から届いた特別な容器に入れたのは、銀行で使っていたペンや名刺、ネクタイピンなど。

田村孝行さん

入れ物を見ると、やはり現実味が湧いてきました。私たちは息子が東日本大震災で労働災害に遭いましたが、孤立というか、やはり窓口がないんです。
交流会が、大切な人を亡くした方が気持ちを穏やかにできる場になればと思い、参加することにしました。

初めて訪問した霊堂で

迎えた5月13日。交流会の開催にあわせ、田村さんは霊堂を初めて訪れました。

拝殿
「永遠の灯」

まつられているのは、これまでに労災で亡くなった27万1034人(令和4年11月現在)。
最上階の拝殿には、御霊(みたま)をまつる霊位がおかれています。
絶やすことなく明かりがともされ、亡くなった人々を慰めています。

特別な部屋へ

田村さんが入ったのは、遺品を納めるための特別な部屋。一番奥、健太さんの名前が書かれた場所に向かいました。

遺品を納めた田村さんは、健太さんの名前が書かれた部分を指で優しく何度も撫でていました。

我々がいなくなっても、ずっといろいろな人に見守られながら慰霊をされて、自分の魂を発信し続けるんだよと。そんな言葉をかけました。

始まった初の交流会

そして、行われた初めての交流会。
事故や事件、過労死で家族を失った9人の遺族が全国から集まりました。
労災によってそれぞれが抱えてきた苦しさが、少しずつ、言葉になってあふれました。

最初に口を開いたのは、深迫さんでした。

「深迫さんはいいですよ、賠償金もらっているでしょう。そのお金で何したんですか」とか、こんな感じで聞かれます。
こう言われると、2次被害が来たなと思って「あなたの子どもさんが亡くなって、賠償金をもらって、あなただったら何に使いますか。パチンコですか、旅行ですか」と質問します。

その言葉に反応した田村さん。
息子が勤めていた銀行を相手に裁判を起こさなければならなかった、引き裂かれるような心境を口にしました。

深迫さんが言いましたけど「あなたたち、お金が欲しいの」って、そういう目で見られるわけですよ。
行き場がなくなっちゃって、自分たちで裁判せざるをえない。裁判を起こす気がなくても、そういう風に追いつめられてしまう。そういうところが事実、あった。

労災の遺族たちが語った言葉

「時間がたてば忘れますよ」「もう立ち直りましたか」「遺族なのに笑うんですね」

こうした心ない言葉に傷つけられた“2次被害”の経験が、次々に語られました。
“かわいそうな家族”と見られ、周囲から急に距離をとられてしまったこともあったといいます。

交流会は2時間に及び、労災で大切な人を失った経験を共有できる、新たなつながりが生まれました。

交流会は規模をさらに拡大し、ことし秋にも開かれることになりました。

みんなバラバラだったのがひとつになって、まとまる場所になっているなと思いました。
大切な人を亡くしたことは乗り越えられなくても、お話ができる喜びはあるんだと気づきました。

遺族どうしがつながったことで、亡くなった命を次につなげるスタートができると強く思いました。
大きなものに波及して、いい波紋を広げていく機会になるんじゃないかと期待しています。

  • 熊本局記者

    松尾幸明

    2012年入局
    報道局社会部で警視庁・厚生労働省の担当などを経て、2022年から熊本局。

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