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生き残った意味、問い続けて【後編】

熊本地震7年 九死に一生の学生はいま
  • 2023年04月13日

「7年でやっと」
何度も何度も自分を責めた。
罪悪感に、眠れない夜。 
もがいた日々から月日を経て、 
元大学生はいま、一歩を踏み出した。
(熊本放送局 記者 西村雄介)

▼前編はこちらから

道を見つけて

 大野さんの死、地震に向き合えなかった日々。 

その心のよりどころになっていったのが、研究に打ち込む時間だった。 

乳酸菌と発酵食品の研究室に所属し始め、その機能性について、調べ始めた。

 古くからある菌で、なじみがありながらも、未知の部分が多いという乳酸菌。

その解明に向けて、実験を続けることは、中島さんにとって救いの時間だった。

「研究だけは、対等な目線で向き合えるものだった。自分の唯一の表現方法だった」

夜まで実験に向き合い、データをとり続ける日々。 

その中島さんにある思いが浮かぶ。

「みんながそれぞれの方向で進んでいた復興について、自分にとっては、亡くなった人、けがをした友人がいる中で、続けていた研究が、人の治療、医薬系のところに応用できるような領域だったので、形になれば、人の健康に役立てるんじゃないかって、それが自分の中での復興なんじゃないかって」 

成果を届ける

「本人でないと分からないけれども、かなりの部分あるんじゃないかなと。一緒に住んでいた先輩を亡くしている、そういった壮絶な体験はなかなかない。そこを乗り越えたってところは、彼にとって大きかったのかなって」

中島さんの指導を続けてきた木下英樹准教授。1年生のころから、中島さんの指導を続けてきた。 

木下准教授は宮城県で東日本大震災に、そして、中島さんと同じ時期に農学部へと教員として入り、熊本地震で被災した。「学生の自主性を重んじ、めったにしない」というが、大学院への誘い、そして、起業を中島さんにもちかける。

自身も、2度の被災の体験から、みずからの研究で力になれないかという思いがあった。

「私の思い、彼の思いとが、かなり合致して、一緒にやろうと誘って。私はどっちかっていうアイデアを出すほうが得意だけれども、それを発展させていく力が彼にはあって、ちょうどいいバランス力というか。乳酸菌ももちろんだけれども、震災を乗り越えた学生がいるということもまた、知ってもらいたいと思う」

おととし、中島さんは誘いを受けて、木下准教授とともに会社を起業した。

研究室でよりすぐってきた乳酸菌を粉末にし、豆乳に混ぜるとヨーグルトに出来る商品を主にインターネットを通じて販売している。 

2人の願いは一緒だ。「研究成果を地域に還元したい」。その思いで研究と経営を続けている。

「自分が今やってることっていうのは、世に出ないっていうか、埋まっていくというのが目にみえていて、学術的には発展にはつながっても、世の中のために反映されるかといったら必ずしもそんなことはなくて。自分がこれまでやっている研究を、自分の手で、届けたかった」

臆せず飛び込んで

少しずつ動き始めた歯車。 

その評価を受けたいと、ことし初めに臨んだのが、起業した大学生らがビジネスアイデアを競う全国大会だった。

結果は3位に入賞。研究に裏付けられた機能性、高齢社会の課題解決に向けたビジョンなどが評価された。

「こういった賞を受賞できたことは、自分のやっていること、思いと事業と、世の中に伝わるってことが、今回の大会でも、しっかりと肌で感じた。今後の励み、糧になる」

少しでも成果を広めたいと始めたのが、飛び込み営業。

断られても怖いことはない。あの時の地震の経験に比べれば。 

「タイミングとご縁、人とのつながりもそうですし、1個1個、大切にして、研究、経営もやっていきたい」

 「研究の成果を世に」という思いは、熊本県内でも実践している。被災直後から多くの支援を受け、熊本で再スタートを切れた、そのことへの感謝の思いが底にある。 

手を取り合うのは、県内のブルーベリー農家や豆腐、アイスクリームの製造・販売業者。協力して、豆乳ヨーグルトを使ったアイスクリームの開発に挑戦している。

やっと、誓えた

あれから7年。 

中島さんは、自宅だったアパートの跡地を初めて訪れた。 

「忘れられることが死ぬよりも怖い。何もなかったことが一番怖かった、当時、生き埋めになった状態のときには。だから自分は、当時のこと、経験をしっかり残していく」

膝をついたのは、亡くなった大野さんの祭壇。

 静かに手を合わせた。 

「地震があってからほんとに、なかなか、向き合えなかったっていうのは、本当にあって。やっと7年ぶりにちゃんと誓えた。熊本地震のことを忘れずに、しっかりそこもあるうえで、次の部分を築いていく。それが、一番、自分の中で大きく捉えてる」

もがき続けた日々から踏み出した一歩。

 生き残ったから自分だからこそできることを、続けていく。

「地震は自分の人生を一番変えた。もちろん、プラスの面、マイナス面もある。後悔とか、いろいろな思いが、ある。けれども、地震がなかったらおそらく、研究、経営、両方やろうと考えなかった。生き残ったことに意味かあるというよりも、生き残ったからこそ、じゃあ、どう生きようか、問い続けることが大事なのかなって。これからも、その問いは持ち続けて、精いっぱい、生きていきたいと思う」

  • 西村雄介

    熊本局記者

    西村雄介

    2014年入局 熊本局が初任地
    水俣病や熊本地震・令和2年7月豪雨を取材

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