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廃業、選択肢になかった。

明かりを絶やさぬために
  • 2023年03月02日

「温泉街を盛り上げてくれたら」

創業、90年。
思い出が詰まった旅館で、男性は語ります。
胸には期待、そして、寂しさ。
それでも決意を固めました。

明かりを絶やさないために。

(熊本放送局 記者 西村雄介)

温泉街、盛り上げる人に譲渡を

「『湯の児温泉』を盛り上げてくれる人に旅館を譲渡できたらうれしい」

水俣市にある温泉街、「湯の児温泉」の旅館のひとつ、「齊藤旅館」に集まった人たちを前に、経営者の齊藤長利さんは、期待を込めて、事業の説明を行っていました。

ことし2月、水俣市が開いた事業承継マッチングツアーは、高齢化や後継者不足などに悩む旅館から事業を承継したいという相談を受けた市が開いたもの。

海沿いにある「湯の児温泉」、山あいにある「湯の鶴温泉」、2つの温泉街のあわせて3つの旅館で相談がありました。
齊藤さんは市に相談を持ちかけた経営者のうちの1人でした。

潮の香り漂う温泉街

水俣市の中心部から車でおよそ10分にある「湯の児温泉」。

九州を平定した第12代の天皇、景行天皇が海岸に湧き出る湯を指し、「まだ湯の子(児)」と言われたのが、その名の由来で、大正15年(1926年)に50度を超える温泉の掘削に成功し、本格的な温泉郷となったとされています。

温泉街のすぐそばには、対岸に天草を望む不知火海。
潮の香り漂う温泉街で「齊藤旅館」は昭和7年に創業し、90年の歴史を誇ります。

「看板にいつわりなし」

齊藤長利さんは、昭和50年ごろに先代から看板を引き継ぎ、3代目として旅館を経営してきました。

高校まで水俣で過ごし、県外へに出るも、いつかは旅館を継ぐ思いを抱えていました。

旅館を引き継いでからは、夫婦2人3脚で運営をしてきた齊藤さん。もともと湯治場として運営していましたが、のちに「魚のうまい宿」と銘打ち、営業を続けます。

本を読んだり、ほかの旅館を訪れたりして勉強し、独学で料理を勉強した齊藤さん。一番こだわったのは、素材の鮮度だったといいます。

近くには、釣りの初心者から上級者まで幅広い人に人気の「湯の児フィッシングパーク」があり、そこで釣られて持ち込まれた魚もさばきました。

(齊藤長利さん)
「煮る、切る、焼くぐらいですが、魚の鮮度にはこだわってきました。品数がすごいとも言われた。看板にいつわりはなかったかなと」

また、温泉も自慢でした。宿泊する部屋の数に対して、お風呂の数が多い「齊藤旅館」。

源泉かけ流しで、「美肌の湯」と言われてきました。

(齊藤長利さん)
「またくるねといってくれるのが一番の楽しみで励みになっていた。なかには、高級な旅館にも泊まる一方で、月に1回、訪れてくれるお客さんも。『ここはお金以上です』と言われていました」

「廃業、選択肢になかった」

その旅館を譲渡しようと決めたきっかけ。

それは、自身の体調、そして家族の介護によるものだったといいます。

ただ、その後の選択肢に廃業はありませんでした。

それは、湯の児温泉への愛着からです。

子どものころから海岸で魚を釣ったり、貝をとったりして、身近な存在だった水俣の海。

そのそばにある温泉街は自慢の場所でした。

15年ほど前から、地元でも有名な旅館が廃業するなど、少しずつ、以前の明るさがなくなってきたといいます。

その光景を見つめながら、市役所に事業の承継に向けた相談を行ってきました。

(齊藤長利さん)
「私が子どものころはまだ堤防もなく、浜辺で貝をとって、かんかんで湯がいて食べたり、手こぎ船で沖までいって、魚を釣っていた。いつも自然と一緒に暮らし、遊び、愛着があります。廃業すればますます温泉街が静かになっていく。それはよくないと」

明かりを絶やさぬために

ツアーで宿泊部屋や温泉を案内した齊藤さんの胸に膨らんだ期待。その一方で、旅館を譲渡することへの寂しさがありました。

(齊藤長利さん)
「70年以上、この場所で過ごしてきて、小さいころからのたくさんの思い出がいっぱいある。その分、寂しさもいっぱいある」

全国から参加した経営者らと膝をつき合わせて旅館について話し合った齊藤さん。初めての取り組みに少し緊張気味でした。

先行きはまだ見えません。ただ、旅館を譲り受け、この温泉街のにぎわいを絶やさない人が現れることを願い、その日を待ちます。

(齊藤長利さん)
「湯の児、水俣には透き通った良い海があり、おいしいご飯が食べられる旅館がある。また来たいと言っても会える場所。この景色を知らない人もいます。旅館が今後も続き、この場所を知るきっかけになってもらえれば、うれしい」

  • 西村雄介

    熊本局記者

    西村雄介

    2014年入局 熊本局が初任地
    水俣病や熊本地震・令和2年7月豪雨を取材

    へこんだ時は水俣の海を
    見に行っています。

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