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新千円札の顔!って誰?ひ孫を訪ねてみた

  • 2023年02月08日

熊本市から車で2時間弱、阿蘇山の中岳からは直線でおよそ30キロ離れた人口およそ6000人の町でいま、“盛大に”推されているのは、北里柴三郎

ご存じ、来年から千円札の顔になる、細菌学者で破傷風の治療法を開発した、あの人です。

こどもからお年寄りまで、みんなの推し。なぜかって、ここが柴三郎のふるさとなんです。

記者も一緒に推したいので、柴三郎のふるさと小国町、行ってみました。

(阿蘇支局・北条与絵記者)

町に行くとまず目に入るのは、「2024年度 新千円札北里柴三郎博士」と書かれたのぼり旗。
順調に推されてます。

無料通信アプリ「LINE」で使えるスタンプもあります。

北里柴三郎記念館のお土産売り場には、お札風のハンカチも。

“新千円札”のハンカチ

ほかにも柴三郎のイラストや写真が使われた商品が数多くあります。
「くまモン」の勢いにも勝てるのじゃないかという勢いで、町のあちこちに登場しています。

町を歩いているうちに見つけた、記者の推しが、純米酒「北里柴三郎」。

その名も「北里 柴三郎」

すっきりとして飲みやすく、甘口なのに甘さを感じないキレの良さが推しポイントではありますが、なんといっても価格は1000円なのが最高です。
もちろん、柴三郎が千円札の顔になることが決まった時に、ちなんで決めました。

河津酒造 河津宏昭さん

製造しているのは町唯一の酒蔵、「河津酒造」。
社長の河津宏昭さんは、1000円という価格設定への思いを語ってくれました。

(河津酒造 河津宏昭さん)
物価高のご時世で1000円で出すのは至難ですが、少しでも多くのかたに柴三郎先生の名前を知って欲しいという思いから、1000円で提供させていただいています。
町で総力をあげて柴三郎先生の名前が広がっていくようにしたいと思っているので、できることを精一杯やっていきたいです。

そしてもうひとつ、記者の推しが、こちら。

北里柴三郎記念館の館長、北里英郎さんです。

北里 英郎さん

なんと、柴三郎のひ孫です!

北里 柴三郎

目のあたり、似ていらっしゃいますよね。
実は、似ているのは顔だけではありません。
その経歴も、そっくりなんです。

慶應義塾大学で微生物学を専攻して博士号を取得後、柴三郎と同じく、ドイツに留学。
ウイルスを中心に研究を続け、北里大学の教授として若手研究者の育成も行ってきました。

絶対に柴三郎の影響を受けているはず!と思い、尋ねましたが、「あまり意識はしてませんでした」とのこと。
それでも自然と理系に進み微生物学を専攻したのは、柴三郎から託されたバトンではないかと思ってしまいます。

そんな英郎さん。柴三郎は昭和6年に亡くなっているため、会ったことはないそうです。
おじいさん、つまり柴三郎の息子はとても厳格な人だったそうで、本人のエピソードをあまり聞くことはなかったといいますが、人となりを教えてくれたのは、柴三郎の長女・康子さんだったといいます。

(北里 英郎さん)
祖父は柴三郎のことを『先代は』と呼んでいて、そうした固い表現を使うくらいだったので、あまり話は聞きませんでした。ただ、康子さんとはゆっくりお話したことがあって。すごく子ども思いで、家族の仲は非常にあたたかくて、“ウエット”な。これまでにあまり知られていない面があったと思います

そんな曽祖父の足跡をたどろうと、定年を機に去年、東京から小国町に移住し、記念館の館長になりました。
親族であるだけでなく、同じ研究者として、自らの経験も踏まえることで、より柴三郎を知ってもらえると思ったそうです。

その一方で、自身の役割は、「研究の功績だけでなく、人となりを伝えること」だとも話してくれました。

多くの弟子から慕われていたという柴三郎。
あだ名は「ドンネル」でした。
留学先だったドイツ語で「カミナリ」という意味で、弟子たちが親しみをこめて「ドンネル先生」と呼んだそうです。

厳しくも、愛のある人だったのでしょう。

英郎さんは、柴三郎をこう表します。

(北里英郎さん)
柴三郎が開発した『血清療法』は今でも使われています。当時は本当に衝撃を与えた論文だったと思います。実験、研究は非常に緻密な人です。緻密だったけれども、その上で人を引き付けるのが柴三郎でした。心が豊かだから、あれだけ多くの人が“おやじ”と慕ってついてきたんです。そういったところを、みなさんに伝えていきたい。

さて、今まであまり知られていなかった柴三郎の人柄。
 

それがうかがえる、とても重要な手紙が発見されました。
明治30年ごろ、柴三郎の両親が柴三郎の妹などに宛てた手紙です。
このころ両親は柴三郎とともに東京で暮らし、柴三郎の様子をふるさとにいる妹に伝えていたのです。

この手紙の所有者は、河津友子さん。
最初に登場した、日本酒「北里柴三郎」を製造した河津酒造の河津社長のお母様です。
ネットオークションに出品されていたことを知り、「小国町から出しちゃいけない」と思い、自ら落札したそうです。

(河津友子さんと北里英郎さん)

(河津 友子さん)
買うつもりはなかったんですけど、とりあえずこの書簡が見ず知らずの人のもとに行くのが嫌だなと思い、落札しました。手紙が手元に来たら、歴史を感じて、あたたかい感じでした。小国の町民として名誉なことだし、北里家のかたなので余計に親しみを感じて、すごく嬉しかったです。小学生のころから学んでいたので、心の中に博士のことはありました。本を読んだり、博士と私のひいおじいちゃんが会った話を父から聞いていたので、思いがずっとあります

英郎さんは、こうした手紙や、町に残された古い資料などから、柴三郎の知られざる一面を深く知ることで、なぜ大きな業績を成し得たのか、その人物像をより具体的に示していきたいと考えています。

2019年に発表された、新千円札の見本

いよいよ、来年に迫った新紙幣の発行。

千円札は、大人から子どもまで、多くの人が手に取る紙幣でもあります。
英郎さんには、千円札が人々の手元に渡ったとき、少しでも柴三郎のことを思い出してもらいたいという思いがあります。
そのためには、まず小国町と記念館に、たくさんの人に訪れてもらうことが大切だと考えています。

(北里 英郎さん)
今までこの記念館には、柴三郎のことを学びたい、柴三郎が好きという人が多くいらしていただいていてた。それはありがたいですが、これからは、観光したあとにちょっと記念館に寄ってみて、『こういう人だったんだ』と知ってもらいたい。ここで、柴三郎の入り口を見てから、深いところまで引き込まれるような、そういう場所にしたい。記念館を起点にしてどんどん盛り上げていきたいです。

杖立温泉、鍋ヶ滝、雄大な自然と豊富な温泉資源のある小国町。
ここには、今の私たちの命を救う医療の礎を築いた柴三郎の足跡があります。
お札の顔となる人はどんな人なのか、そのひ孫から教えてもらってはどうでしょうか。

(取材後記)
ところで、ここまで読んでくださった皆さん、「北里柴三郎」って、「きたざと」ではなく「きたさと」なのご存じでしたか?
私は恥ずかしながら、これまで「きたざと」だと思っていました。おととし阿蘇支局に赴任し、柴三郎に関する取材を始めましたが、「『きたさと』なの?!」という衝撃から始まったことをよく覚えています。そのくらい、何も知りませんでした。
英郎さんを含め、町の人たちに話を聞くと、医療で大きな功績を残したことだけでなく、「人となり」の部分にも のめり込み始めました。
どうして医学の道に進んだのか、どうして大きな発見をすることができたのか。
新紙幣が発行される来年に向け、そうした柴三郎の一面も、詳しくお伝えしたいと思います。

  • 北条与絵

    熊本局記者

    北条与絵

    2019年入局
    熊本市政担当などを経て、
    阿蘇支局へ。
    阿蘇の日本酒が好き。

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