2018年01月21日 (日)

水場に集いて ~群馬県 板倉町~

itakuramain.jpg関東平野の中央、利根川と渡良瀬川に挟まれる群馬県板倉町。広大な低湿地帯は「水場(みずば)」と呼ばれ、毎年のように氾濫を繰り返してきました。人々は集落ごとに力をあわせ、治水を行い、田畑を作り暮らしてきたのです。治水技術が進んだ今でも、土地改良した田では集落みんなで米や小麦の二毛作に励み、川魚の恵みを分かち合います。どんなときでも楽しく強く、水場で生きる苦労をこえて輝く笑顔を訪ねる旅です。


今回の放送内容

ita1.jpgたくさんの沼や川があり、川魚が豊富にとれたこの地域。昔から、川魚の行商人や専門の問屋が集まっていました。街には今も川魚を食べる習慣が残ります。特に年末年始の時期はフナの甘露煮が大人気。老舗の川魚問屋には、4代以上の付き合いが続く料理屋さんから、小魚や川エビのつくだ煮を毎日のように買い求める地元の人まで、川魚を愛する人が行き交います。


ita2.jpg広大な穀倉地帯に恵みをもたらしてきた水は、一方で度重なる氾濫を繰り返してきました。その猛威に「米は三年に一度とれれば良い」と言われたほどです。かつて、集落の人々は水害が起こるたびに総出で治水や復旧作業に取り組んできました。皆で支えあうという伝統は、現在の農業にも受け継がれています。ネギの収穫に小麦の植え付け。農家の高齢化が進む中でも、集落でまとまって広大な農地を守っています。


ita3.jpgのサムネイル画像決壊した土手の修復作業や、沼での藻取り、河川の補修作業、広い田んぼでの草取り…。根気のいる辛い作業を、人々は唄で調子をつけて励ましあいながら乗り切ってきました。そんな水場(みずば)ならではの「仕事唄」が町にはいくつも残っています。機械化が進んだ現代では、作業中に歌われるということは少なくなりましたが、歌に詠みこまれた土地の暮らしを後世に伝えようと、歌詞や調子を楽譜に記録する活動が続けられています。


旅人・山本哲也アナウンサーより

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川魚問屋の荒山さんのお店で食べたフナの甘露煮は格別。柔らかい中にも歯ごたえしっかり、後から湧いてくる甘み、まさに水場に伝わる味でした。視界をさえぎるものなしの関東平野のまんまん中、まっすぐ延びる農道を歩きながら、この土地、この暮らしが、いかに先人たちの水との闘いの上に成り立ってきたのかを実感させられました。ふと、ふるさとの暮らしが浮かびました。


板倉町へのアクセス

itamap.jpg〈電車〉
東武線「北千住」駅→東武日光線「板倉東洋大」駅(約1時間)

〈車〉
東北自動車道「館林」ICから国道354号線で古賀方面へ


問い合わせ先

▼板倉町の観光情報について
 板倉町産業振興課 0276-70-4040

▼板倉町の水場文化について
 板倉町文化財資料館 0276-91-4018

投稿時間:08:24


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