BS1 ワールドウオッチング - WORLD WATCHING -

2017年9月11日(月)

ダイアナ元妃死後20年~英王室は今

山澤
「特集・ワールドEYES(アイズ)。
けさは、亡くなってから20年、今も大勢の人を引き付けてやまないダイアナ元皇太子妃の足跡をたどりつつ、王室とは何なのか、王室のあり方やその役割について考えます。」

丹野
「現在のイギリス王室はウィリアム王子一家に見られるように広く国民に親しみやすい存在となっていますが、これは、母親のダイアナ元皇太子妃の影響が大きいと見られています。」

山澤
「世界で最も格式高いと言われてきたイギリス王室を変えたといわれるダイアナさん。
どのような人物だったのか、まずは、アメリカABCのリポートをご覧ください。」

没後20年“英国のバラ” ダイアナ元皇太子妃

ダイアナさんは20歳で将来の国王と結婚。
20世紀最大と言われた式は生中継、世界の実に6人に1人が見守りました。
皇太子妃になって世界を魅了したダイアナさん。
際立ったのは、人間味溢れる親しみやすさです。

ダイアナ元妃を知る事前活動家
「本来、王室の子どもは乳母が面倒を見ていましたが、ダイアナ妃はそのしきたりに従うことを望みませんでした。」

ダイアナさんの元警護官は、彼女が王室のしきたりを破るのを目の当たりにしてきました。

元ダイアナ妃 警護官 ケン・ウォーフさん
「おもしろい方でしたねえ。
特に子育てに関して、しきたりを破ることに熱心でした。
ハンバーガー店にも気軽に入って、楽しんで帰って上機嫌でしたよ。」

「ソースまみれで?」

元ダイアナ妃 警護官 ケン・ウォーフさん
「そうです。」

しかし、彼女の生活は常にカメラがつきまとっていました。
記録映像では、休暇を家族で過ごすダイアナ妃が、子どもたちのプライバシーを守るよう訴えています。

ダイアナ元妃
「1人の親として(お願いします)。
子どもたちの空間を尊重していただけますか。」

カメラマン
「分かりました。」

また、舞台裏では別のドラマも展開していました。
チャールズ皇太子をめぐる、カミラさんとの争いです。
元警護官は、傷つくダイアナ妃を近くで見てきました。

元ダイアナ妃 警護官 ケン・ウォーフさん
「皇太子を愛していたダイアナ妃の苦しみは、よく分かっていました。」

アメリカABC
「女王はチャールズ皇太子とダイアナ妃が早期に離婚するよう、催促する手紙を2人に送りました。」

しかし、王室の期待に反して、ダイアナさんは注目を浴び続けました。
その人気をいかして、多くの問題に光りを当て続けました。
エイズやホームレス、地雷に。

「ダイアナ皇太子妃が亡くなりました。」

パリでパパラッチに追われ、交通事故で亡くなりました。
早すぎる死でした。
あれから20年。
ダイアナさんはイギリスに、消えることのない足跡を残しています。

ABC 英王室担当記者 ロバート・ジョブソン記者
「彼女は王室を変えたんです。
息子のウィリアム王子が後を継いで国王となったら、エリザベスではなく、母の影響の大きい王室の時代が到来することでしょう。
ダイアナさんの人となりや、その意志が受け継がれています。
これ以上すばらしいことはないでしょう。」

英国王室の中のダイアナ元妃

山澤
「さまざまな顔を持っていたダイアナさんですが、イギリス王室にどのような影響を与えたのでしょうか。
スタジオには、王室の歴史に詳しい、関東学院大学の君塚直隆(きみづか・なおたか)さんです。
チャールズ皇太子との結婚は『世紀の結婚』と呼ばれ、それ以来ダイアナさんは世界中に注目される存在になりましたが、君塚さんはどうご覧になっていましたか?」

関東学院大学教授 君塚直隆さん
「もともとは非常に由緒あるスペンス伯爵家という貴族の中の貴族から出ていらっしゃったんですが、ご存知のように小さい時にご家庭が離婚されたりということがあったので、より庶民感覚があったかもしれない。
先ほどもありましたが、子どもたちをハンバーガー屋さんに連れていったり、普通の学校に入れたり、いろいろと庶民的なものをどんどん王室に入れたと。
それから何といってもファッションアイコンでしたから、毎週のように雑誌を飾るような存在で、非常に華やかでしたよね。
その点はやはり、伝統的な王室とはちょっと違う、王室の人たちからするとちょっと異端児といいましょうか、そういう側面が非常に強かった。
ですから割と反感を買うこともあったということですね。」

山澤
「その活動もかなりメディアに注目されましたね。」

君塚直隆さん
「非常にメディアを使うのがうまい人でしたから、王室にいた時にはだいたい100ぐらいのいろんな団体、チャリティー団体などの長をやっていたわけですが、そのようにどんどんマスコミをひき寄せる。
またそれによって、よけいに注目を集める。
そうすると、それまで王室のチャリティーなどはつつましくやるべきだという考えがありましたから、そのあたりで王室でも反発する人が多かったんですね。」

山澤
「先ほど『異端児』とおっしゃっていましたが、その一方で、国民、もしくは世界の人からはすごい人気を得ていましたよね。
その人気の秘密は何だったのでしょうか?」

君塚直隆さん
「やはりファッションアイコンであるし、晩年、エイズ患者の方に寄り添ったり、社会の弱者の人たちにどんどん注目をして、まずはそこに世界中から注目を集めさせて、どんどん国民に近づいたと。
そのあたりが国民から信頼を、人気を得ていたと考えられますね。」

ダイアナ元妃の影響で変化する英国王室

丹野
「ダイアナさんが亡くなったことで、王室に対する国民感情というのはどうなりましたか?」

君塚直隆さん
「ちょうど1997年の8月31日、私はイギリスにいたんですが、やはりその後の9月6日のお葬式まで、本当にバッキンガム宮殿やその他のところにお花やカードなどが置かれ、人々が集まって追悼をしていました。
これに対してちょうど5月に首相になったばかりのブレア首相はすぐさま、『彼女は本当に民衆のプリンセスだった』とコメントを出したんですが、ちょうどロンドンから800キロ北にあるバルモラル城で静養されていた女王陛下などは何も言わない、バッキンガム宮殿に半旗も飾らない。
それでだんだん国民の間に不満が高まってしまった。
実はこの20年前に、在位25周年を国民と一緒に祝った。
ですから自分は非常に人気があると思っていたんですが、この20年で大きく変わってしまったんです。
特にサッチャー改革によって貧富の差が非常に激しくなった。
改革から置き去りにされてしまった人たちが、ダイアナさんに自己投影した。
自分もダイアナさんも、ともに社会、王室からなおざりにされたんだと。
こうした人たちの追悼の念が強くなって、結局これに王室も気がついて、すぐ女王陛下もロンドンに戻ってきて、お葬式にもきちんと出て、それがようやく国民の怒りを鎮めるという状況になりました。」

丹野
「実際にその後、イギリス王室は変わったのでしょうか?」

君塚直隆さん
「これで反省したといいましょうか、教訓になりました。
自分たちは大変な努力をして国民のためにやっていると。
ところが亡くなった後の1週間の映像では、まるでダイアナさんが1人でチャリティーをやっているような印象もありました。
ところが実際には、王室は膨大な数の公務をこなしている。
ですが、それはやはりもっとアピールしないといけないんだと。
ダイアナさんがやったようにマスコミの人たちにもアピールしよう。
その結果、今日にあるようなホームページを作り、充実させます。
それからYouTubeやツイッター、フェイスブック、インスタグラム、これらを全部どんどん活用して、国民に近づいて、活動をアピールしていかなければいけない。
この結果、王室はこんなに大変だったんだと分かりました。

2012年のロンドンオリンピックもありましたが、ちょうど女王陛下の在位60周年を祝い、女王もさらに国民にお返しというわけではないですが、ジェームス・ボンドと一緒に開会式に映像で出てきて、スカイフォールをしたりするという。
大変な驚きですよね。
こうして国民に寄り添っていかなければいけない。
この辺りはダイアナさんが残した記憶といいますか、女王をはじめ王室もきちんと学んだと思いますね。」

「王室」の果たす役割とは?

山澤
「こうして見ると、イギリス王室は親しみが持てる王室という印象作りに成功しているようにも見えますが、そもそも王室の役割というのは何でしょうか?」

君塚直隆さん
「これは日本の天皇陛下で言うところの、いわゆる国事行為、あるいは公的行為といったものももちろんされている。
議会の開会式などですね。
それからいろんな行事にも出ていらっしゃる。
昔からの伝統的な行事もつかさどる。
と同時に、今イギリス王室は年間3,000件以上の公務をしている。
それから3,000以上の団体の名誉会長・名誉総裁をしている。
ちょうどエジンバラ公が6月に96歳を迎えられて、その前の月に、もう単独の公務は引退したいということになりました。
実はこの96歳の老公が、女王が即位されてからの65年間で2万2,219回の単独公務、それからスピーチも5,496回していたと。

老公自身のことばを使えば、『私は世界でいちばん除幕式に立ち会った人間である』といったように、大変なことをなさっている。
今の女王陛下も600件以上の団体に関わっている。
それからやはり王室外交ですね。
日本の天皇皇后両陛下なども、皇太子時代から、天皇になられてからも世界中をまわっていらっしゃいますよね。
今はチャールズ皇太子がいちばん忙しいですが、彼ものべ400か国をまわる。
女王陛下も、350か国くらいまわって、世界中で親善、知己を得ていると。
そういったことが現実的にも政治を変えた。
例えばチャールズ皇太子の場合は中東にもいろいろな知己があります。
それから女王陛下も、いわゆるコモンウェルス諸国首脳会議というものに参加して、長年の友人たちを世界の首脳たちに作りました。
それが実は1990年、ネルソン・マンデラさんの釈放にもつながったといわれています。

これを私は『ソフトの外交』と呼んでいますが、このソフトが積み重なるとハードになってくると。
この65年間の積み重ねが、日本の皇室外交にも言えると思います。
本当に王室というのは大変なことを毎年、毎日やっているということですね。」

求められる「王室」とは

山澤
「時代と共に王室のあり方が変わってきていると思うんですが、今後のあり方はどうなるでしょうか?」

君塚直隆さん
「やはり、より国民に近づこうと。
国民の支持なくして王室は成り立たない、これは世界中に言えると思います。
イギリスに限らず、北欧や日本などもそうですが、国民に近づいて、そして女性王族なども活用して、がんばっていただきたいと思いますね。」

ページの先頭へ