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池畑キャスター
映画『幸福路のチー』宋欣穎(ソン・シンイン)監督にインタビュー

Q:国際報道2020 池畑キャスター
A:宋欣穎 監督

Q:
今日はよろしくお願いします。「幸福路のチー」、日本でも公開されましたね。

A:
とても嬉しく、また、不思議に思えます。なぜなら、私を含めて、台湾人のほとんどは日本のアニメを見て育ったのです。完全な“メイド・イン・台湾”のアニメが日本で上映され、大きな反響を呼ぶとは全く想像していなかったので、感動しました。

Q:
私も見たのですが、感動的な物語でした。主人公の女性の人生と、台湾の歴史がうまくかみ合っていますが、そうしたストーリーを作ろうと思ったきっかけは何ですか?

A:
私は、2007年、33歳の時にアニメ監督になろうと決めました。そのためにアメリカに留学しました。しかし実際に学んだのはドラマ映画で、アニメでもドキュメンタリー映画でもありませんでした。ドラマ映画は英語で“Fictional”と呼ばれ、中国語に訳すと“虚像”、仮想的という意味になります。つまり、何かの物語を生み出すことです。しかし、アメリカでは、先生から、良いストーリーテラー、良い映画製作者になりたいならば、「自分の声」が必要だと教えられました。「自分の声」とは何か?それは、個人的なストーリーを指します。そう教わったとき、少しひるみました。私には何のストーリーもなく、とても平凡な人間だからです。一方で、例えば学生時代の友人には、46歳の黒人のお母さんがいました。彼女は海軍に所属して46か国を訪ね、戦争にも参加したこともあり、名誉勲章を授与されたような方です。そうした人に比べて、私にはどのようなストーリーがあるのか?と。とても平凡で順風満帆ではないかと。そうしたことを考えていた時期に、「ペルセポリス」というフランス映画を見ました。イラン人の女の子が、イラン社会の中で革命や戦争の影響を受けながら育てられるという、監督の半自伝的な物語です。最終的に彼女は外国に渡り、二度と自分の国に戻れなくなるのですが、祖母は彼女に、「自分がイラン人であることを決して忘れてはならない」と諭します。その作品の評判は非常に高く、2007年、アカデミー賞にノミネートされました。私は映画を見ましたし、彼女のアメリカでの講演も聞きました。すると、台湾の戒厳令時代、そして戒厳令が解除されてからにかけて、台湾が民主化へと向かう時代を生きてきた自分のストーリーは、決して「ペルセポリス」に劣ってはいない、「ペルセポリス」よりも、もっと良いストーリーが私にあるのではないかと思うに至りました。それから、映画学校で「幸福路のチー」の脚本を書き始めました。台湾における政治、社会、歴史の変化が、人の成長にどう影響を与えるかを描いたのです。

Q:
そうしますと、映画の中のチーの人生と、監督の人生とは、重なっているのですか?

A:
全く同じではありませんが、もちろん同じところはあります。例えば、私の母方の祖母は、台湾の先住民族の1つ、アミ族です。私は幼少の頃から祖母が檳榔(びんろう※①)を食べているのを見ていました。そうした光景は、台湾社会ではあまり見られないことです。とりわけ、漢民族の社会では。また、映画に登場する金髪の女の子、ジュアン・ベティ。小学校時代には、確かにそういうアメリカ人のような同級生がいたのです。そうした点のように、映画に私の個人的な体験を多く盛り込んではいますが、よりドラマチックにするため、一部分はフィクションです。例えば、(映画のチーと違い)私はアメリカ人とは結婚していません。私は台湾人と結婚して台湾に戻りました。

Q:
いまおっしゃったチーの親友、ジュアン・ベティは父親がアメリカ人ですね。彼女を親友に設定した理由は?

A:
「幸福路のチー」の製作を開始した当初、台湾の社会、政治、歴史の変化が、1人の人間にどのような影響を与えたのか、という問いかけとともに、自分と同世代の人たちの記憶も伝えたいと考えました。私は1974年生まれです。台湾は沖縄に似ていて、ある時期には米軍が駐在していました。米軍兵士は多くの子供を台湾に残しました。そして実は、その子供たちのほとんどは、父親がいなくなりました。米軍が台湾から撤退したためです。学校では、各クラスにハーフの生徒がいました。私たちは、その子たちを「アメリカ人」と呼んでいました。彼らの名前はすべて西洋風の、ベティとかジミーとかジョニーとかでした。しかし、苗字は全て中国風で、また、彼らは英語を喋れませんでした。ほとんどの台湾の人には、当時、そうした友人がいたりしたので、これも台湾の思い出の一つだと思います。肌の色が白だったり、黒だったりの違いだけです。こうした理由で、彼女を映画にとり入れました。実際、私の小学校時代の親友はジュアン・ベイ・ビディでした。

Q:
ご自身の祖母もアミ族ということですが、アミ族を映画に入れようと思ったのは、先住民族の要素を入れてこそ、台湾社会の全体像を表現できると考えたからでしょうか?

A:
自分の潜在意識ではそう思っていたかもしれませんが、実際はそうした理由ではありません。台湾人は、これまで常に自分たちのアイデンティティーについて悩んできました。例えば、私の両親は自分たちが中国人だと思っていますが、父方の祖父母は自分たちが日本人だと思っています。彼らは日本の教育を受けたからです。しかし、私の母方の祖母は漢民族ではなく先住民族でしたので、自分を中国人だとは思えませんでした。そして、私の世代になると、子どもの頃は自分は中国人だと思っていましたが、大学生になると自分が台湾人だと思うようになりました。私より若い世代になると、多分、初めから自分たちは中国人ではなく、台湾人だと思っているでしょう。また、私の夫は客家人(はっかじん※②)です。彼は閔南人(びんなんじん※③)ではないので、台湾語を話せません。台湾では、自分のアイデンティティーとは何か?という問いかけは、自らが成長していく中で、人生に大きな影響を及ぼします。これが台湾の現状であり、母方の祖母を映画に取り入れた理由です。幼い頃、祖母が檳榔をかんだり、タバコを吸ったり、お酒を飲んだりしたのを見て、私はとても恥ずかしいことのように思えました。なぜなら、漢民族社会では女性にあるまじき行為だからです。しかし、自分が大人になってから台湾の民主化が進み、女性の権利向上の思想も広がってきた影響で、なぜ女性だからといってタバコを吸ってはいけないのか、どうして檳榔をかむことが悪いことなのか、と自省しました。ただ、その頃には、既に祖母は亡くなっていました。それも、祖母を映画に取り入れた理由かもしれません。私は祖母に謝りたいのです。

Q:
今回、総統選挙の取材をしていても、台湾の人々のアイデンティティーの問題は重要だと感じました。ある程度年配の人たちは自分が中国人であり、台湾は中華民国であると思うようですね。人々の間でアイデンティティーが異なることを、どう思いますか?アイデンティティーに基づいて台湾の中で分断が進むのか、あるいはそのうち統合されていくのか。

A:
私は、年配の方々が国民党を支持する理由は自分たちが中国人だと思っているからだとは思いません。例えば私の両親は、台湾と中国の統一には反対しています。なぜなら、台湾は民主的で、自分たちの意思で投票できるし、自由に話せるからです。とくに、今の香港の情勢を見れば、誰も中国と統一したいとは思わないでしょう。私の両親は国民党の韓国瑜候補を応援していますが、どちらかというと、それは国民党による過去の教育の影響だと思います。単に「国民党が推薦する人」だから、韓国瑜を支持しているのです。また、彼らは現在の政府に不満を持っています。それは時代が大きく変化したことで、今の世の中が、彼らには理解できないためです。国民党による戒厳令が敷かれていた彼らの時代では、法律さえ犯していなければ逮捕されず、社会を混乱させるようなことを言ってはいけなかった。政治に関心を寄せなくていいし、その中で努力すればマイホームを手に入れることができると思っていました。しかし今の社会は、もう全く違っています。彼らには理解できないので、若者はなぜ民進党を支持するのかと不思議なのです。これらが、彼らにある種の社会への抵抗感を生み出させてしまい、韓国瑜が民進党や社会に対して放った罵声が、自分たちをすっきりさせてくれると感じているのです。私の父の場合、韓国瑜が罵っているのを聞くとすっきりするし、楽しいから彼を支持するのだと言います。これはもう、アイデンティティーや政治的な意見によるものではなく、世代間のギャップから生じた戦いだと思います。年配者は「自分たちが尊重されていない」と感じていて、加えて、過去の教育の影響で、国民党が言うとおりに従っているのです。

Q:
映画の中に登場する、“白色テロ(※④)”のシーンはどういった思いで描かれましたか?

A:
私には実際にアウェンという従兄がいます。幼い頃、周りの人たちは皆、中国語をしゃべるのに、彼だけが私に台湾語を話すように勧めてくれました。その後、彼はニューヨークに留学し、それからずっと戻らず、アメリカ国籍を取得しました。私が30歳ぐらいの頃、彼は台湾に戻り、私に自分が受けた“白色テロ”の実態を話してくれました。私は非常にショックを受けました。当時の私は、台湾の歴史について、そこまで詳しくなく、“白色テロ”は聞いたことがある程度でした。まさか自分の近くに被害に遭った人がいたとは思いもよりませんでした。彼は警備総部(※⑤)を出てから、憂鬱な状態に陥り、「世界が灰色にしか見えなくなった」と私に話しました。恐らくPTSDだったのだと思います。映画にその要素を取り入れたのは、過去にはこのようなことが実際に起きていたのに、多くの人がそれを知らないからです。この事実を伝えたいと思いました。私自身、事実を知った時のショックは大きかったです。ニューヨークの銀行に勤めて豊かになった従兄が、そんな衝撃的な経験をしていた。彼が台湾に戻ってこないのは、台湾は彼にとって傷を作った場所であるため、戻って来られないのです。台湾人はそうした歴史を知っておくべきだと思います。

Q:
ただ、“白色テロ”を描くことは、当時の国民党政権への批判にも繋がりますよね。そうした批判を提起しようと考えたのでしょうか?それとも、そうした歴史を踏まえることで、より良い台湾をつくろうと思ったのですか?

A:
私は20代の頃に台湾の民主化運動にも参加しました。当時の台湾はどんどん進歩していく状態で、戒厳令を解除したばかりだったこともあり、「自分たちが費やした力は社会をますます良くしていける」と考えていました。ですが、45歳になったとき、今の政治の変化を見て、“ひまわり学生運動(※⑥)”のあと、政治は本当によくなったのか?と疑問も生じました。民進党が政権を取れたのは、“ひまわり学生運動”のおかげだったのですが、民進党政権は我々に幸せな生活をもたらしてくれたでしょうか?今も多くの若者が社会運動に参加すると思いますが、今後、本当に良くなるのでしょうか?当時と比べて、いまの社会全体の雰囲気は少し異なっていると思います。当時は、私たちが戦いに出かけたら社会が良くなると思っていましたが、今は、何のために戦っているのかは定まらず、社会全体が迷走している雰囲気があります。この映画が台湾で受け入れられた理由の一つは、リン・スー・チーが抱えている迷いは、自分たちが抱えている迷いに似ているからです。私が何のために努力をしているのか、自分でも分かりません。しかし、人間は何もせずに家にずっといるだけでは、幸せは訪れません。奮闘し続けなければ、自分は何のために存在するか分からないし、幸せを手に入れることはできません。これが私の考えです。抵抗し、努力し続ければ、本当に社会がよくなるのか分かりませんが、そうなることを希望したいのです。少し悲観的ですが・・・

Q:
映画の中で、チーが民主化運動に参加し、それをお母さんが止めようとするシーンがありますね。あれは、ご自身の経験ですか?

A:
自分の経験でもありますが、(映画の設定とは違い)テレビに映ったのは私ではなく、大学の友人でした。彼は核開発の反対運動に参加した時に、テレビにアップで映ったので、彼の両親がわざわざ屏東(台湾最南端の県)から汽車に乗ってきて、彼を連れ戻しました。彼はそれから2か月間も行方不明になったのです。それを目の当たりにして、社会運動に参加することって、こんなに厳しいのかと思いました。私が両親に連れ戻されたこともありました。1970年代生まれの人の親たちにとって、社会運動に参加することは良くないと思われています。デモや抗議もそうです。政府の言うことが正しいと思っているのです。

Q:
今回の取材では、台湾の歴史をめぐる論争も取材しています。台湾の歴史観には、中国の延長線上と考える歴史観と、台湾独自の歴史観が存在するようですね。監督にとって、台湾の歴史というのは、どちらですか?

A:
両方とも勉強すべきだと思います。やはり中国は大きな国の1つで、日本やアメリカと同じくらい重要な国です。しかし私の世代は、台湾史の歴史を教わったことが少なく、自分の原点が分からない。それは良くないことです。だから、バランスが取れたほうがいいと思います。

Q:
映画では、さまざまな時代でのシーンが描かれ、いろいろなメッセージが込められていると思います。監督として、いちばん伝えたいメッセージはなんでしょう?

A:
私は子供のころ、「花仙子(邦題:花の子ルンルン)」という日本のアニメをよく見ました。主人公は七色の花を咲かす種を見つけるため、ずっと世界を回りますが、結局見つかりませんでした。しかし最後には、なんと、その七色の花は彼女の隣にあることに気づいたのです。私が伝えたいことは、そういうことです。台湾人は家を離れ、日本やアメリカに渡るなど、ほかの他の大きい国に行ったほうが幸せになるとか、幸せは彼方にあると思っています。しかし、私自身は、世界を回ってみると、なるほど、自分は台湾人として「幸せとはこうだ」と教え込まれていたのだと気づきました。実は、幸せとは自分が生まれた場所にあるのかもしれません。その場所を気に入らないかもしれないけど、自分はそこに帰属しているからです。私が最終的に伝えたかったのは、そういうことです。先ほども話したとおり、私は戒厳令の時代と、戒厳令が解除された時代にまたがって育てられました。幼い頃の考え方は、とてもシンプルでした。学業に励み、いい夫を見つけ、女医になれば、幸せになれると考えていました。しかし、台湾社会とともに成長するにつれて、私の考え方も多元的に変わっていきます。人間の幸せは単一の価値ではないと思うようになったのです。また、映画の中で、チーの祖母が、「幸せは永遠に保てるものではない」と話しますよね。医者になったからといって幸せになれるとは限らないですし、素晴らしい台湾総統を選んだからといって、台湾が永遠に幸せになれるとは限りません。幸せは永遠に路上にあるのです。常に奮闘し続けなければなりません。探し続けなければなりません。反省し続けなければなりません。


※①「檳榔(びんろう)」
東南アジアに分布するヤシ科の植物。台湾などでは古くから、嗜好品としてかみタバコのようにかむ習慣があった。しかし国民党による統治時代は、中国大陸にはない習慣であったため、軽蔑の対象となっていた。

※②③「客家人(はっかじん)」「閔南人(びんなんじん)」
現在、台湾に住んでいる人々の大半は、17世紀以降に中国大陸の福建省南部から渡ってきた人々の子孫で、閔南人(または河洛人)と呼ばれる。一般的に台湾語と呼ばれる言語は、この閔南人が使ってきた言葉で、台湾で古くから広く使われてきた。 それに対し客家人は、広東省東北部と福建省西部から渡ってきた人々の子孫で、現在の台湾人口の10数%の少数派。客家語という独特の言語が受け継がれているため、台湾語を学ぶ習慣はない。 なお現在は、ほとんどの人々が公用語である中国語を使えるため、民族同士の意思の疎通に支障はない。

※④「白色テロ」
戒厳令下の台湾では、共産主義思想を取り締まるという名目で、40年近く、言論や集会が厳しく制限された。不当な取り締まりやえん罪などで、数万人が犠牲になったとされる。全容は、いまだに明らかになっていない。

※⑤「警備総部」
「台湾省警備総司令部」。戒厳令下の台湾で、警備や検閲などを管轄していた。

※⑥「ひまわり学生運動」
2014年、当時の国民党・馬英九政権が前年に中国と結んだ経済協定への撤回を求め、学生たちが3週間以上にわたって議会を占拠するなどしたもの。総統府前では、学生たちを支持する11万人以上の市民が集会を行った。この運動を通じて、中国への接近を強める国民党政権に対する、市民の警戒感が浮き彫りとなり、その後の統一地方選、総統選挙で民進党が圧勝する布石となったと見られている。

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