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エチオピア・日本 時空を超える旋律

日本から遠く、気候も風土も異なるアフリカの国エチオピア。エキゾチックなエチオピア音楽の調べに耳を澄ますと、その憂愁を帯びた旋律や、まるで“こぶし”をきかせたような歌い方が日本の演歌を思わせる。実は両国の音楽には、時空を超えた“通奏低音”が流れていた。(「国際報道2020」ディレクター 城堂智之)

世界が注目 エチオピアの音楽

首都アディスアベバの教会から聞こえてくるキリスト教の聖歌。独特の抑揚で、低くうなるような歌声は、我々が思い浮かべるカトリック教会の聖歌などとはだいぶ違っている。エチオピア人の多くが信仰しているのは、エチオピア正教。今から1500年以上も前に伝わった初期のキリスト教がエチオピアで独自に発展したもので、その聖歌も独自のものなのだ。

音楽プロデューサーのアベガス・シオタさん

「エチオピアの音楽はこのエチオピア正教の聖歌の影響などを受け発展しました。」

そう語るのが、エチオピアの人気音楽プロデューサー、アベガス・シオタさんだ。母親は日本人だが、幼少期から父の母国エチオピアで音楽教育を受け、現地の音楽に精通している。エチオピアの音楽は、そのユニークさから近年、世界的に注目を浴びている。1990年代後半には、フランスの音楽レーベルが、エチオピアの流行歌からジャズ、民族音楽にいたる過去の音源を収録したCDをシリーズ化ししたところ、評判が評判を呼び世界中でヒット。現在までにリリースされたタイトルは30に及び、エチオピア音楽の奥深さ、豊かさをうかがわせる。またアメリカでは、2000年代に、カニエ・ウェスト氏やジェイ・Z氏といった米ヒップホップ界の売れっ子プロデューサーが、相次いでエチオピアの音楽をサンプリングした楽曲をリリースして話題となった。ではそのエチオピア音楽の特徴はどこにあるのか。アベガスさんはその音階にエチオピアらしさがあると指摘する。

「エチオピアの音楽には5音音階が使われます。」

5音音階とは1オクターブの中に5つの異なる音を含む音階で、エチオピアには、テジータ、バティ、アンバセル、アンチホイェと呼ばれる4種類の代表的な音階がある。

日本の伝統音楽にそっくり?

これらの音階は、本来は、クラールやマシンコというエチオピア固有の楽器を使って奏でられてきたものだが、今回、卓越したキーボード奏者でもあるアベガスさんに鍵盤で再現してもらうことにした。まず、最も人気があるという「テジータ」の音階を弾いてもらうとー。初めて聴くはずなのに、どこか懐かしい感じがする。日本の古い民謡にありそうなメロディーだ。なんでもテジータとは、現地語で「ノスタルジー(郷愁)」を意味する言葉なのだという。さらに「アンバセル」の音階を弾いてもらって耳を疑った。日本の伝統音楽そのものではないか。

「これは日本の箏で使われる『平調子』の音階とよく似ています。」

こう話すアベガスさん。実は日本の雅楽や民謡、そして演歌も5音音階を基礎としているため、エチオピアの音楽の中には、日本人に耳なじみがあるものも少なくないのだ。その地理的な隔たりにもかかわらず、日本人とエチオピア人は偶然にもよく似た音階を使って音楽を作ってきたのだ。もちろん互いの存在など知るよしもなく…。ところが、ある歴史的な出来事がこの偶然の符合を運命的な出会いへと導く。

歴史が生んだ両国の出会い

朝鮮戦争時のエチオピア兵

その出来事とは、今から70年近く前に勃発した朝鮮戦争だ。エチオピアは、アメリカが主導する国連軍の要請を受け、開戦翌年の1951年から朝鮮半島に派兵。派遣されたエチオピアの兵士は計6037人にのぼり、韓国北東部、春川(チュンチョン)での戦闘に参加するなど、122人が命を落とした。その一方、生き延びた兵士の中には、つかの間の休暇を利用し日本を訪れた人も多くいた。御年90歳近い元兵士に話を聞くことができた。

元エチオピア兵 左:モルさん 右:ステファノスさん

「東京には15日ほど滞在しました。日本人の振る舞いが好きでした。」(元エチオピア兵士 モルさん)
「どこのお店に行っても、日本人はお辞儀をして贈り物をくれました。日本の音楽もたくさん聴きました。エチオピアの音楽と似ていると感じました」(元エチオピア兵士 ステファノスさん)

我々がエチオピアの音楽に親近感を覚えるように、エチオピア人も日本の音楽を聴いて親しみを感じていたことがうかがえる。さらに、日本を訪れたエチオピア兵のなかには、後にミュージシャンとなる1人の男性がいた。当時16歳だったシェワンダンネさんだ。

右:1951年日本に滞在中のシェワンダンネさん

1951年、朝鮮半島に派兵されたシェワンダンネさんは、休暇中、約10日間、日本に滞在。そこである日本人女性と出会い、恋に落ちる。彼女は、シェワンダンネさんを東京や横浜に点在したアメリカ兵向けのクラブに連れて行ってくれたと言う。

「父とその女性は両想いだったそうです。」

そう話すのはシェワンダンネさんの息子、ミキヤスさんだ。さらにその女性は、音楽好きのシェワンダンネさんのために、日本の歌謡曲や民謡のレコードを聴かせてくれたという。極東の地で出会った故郷エチオピアをしのばせるメロディー。シェワンダンネさんが、日本の音楽とも恋に落ちるのに時間はかからなかった。

名曲「日本人女性と恋に落ちて」の誕生

シェワンダンネさんの息子ミキヤスさん

「父は日本の音楽が大好きになりました。そして後に日本の音楽にインスピレーションを得て、ある曲を作曲するのです」(シェワンダンネさんの息子のミキヤスさん)

その曲こそ『Japanwan Wodije(=『日本人女性と恋に落ちて』)』だ。題名のとおり、日本での淡い恋の思い出を歌ったこの曲は、エチオピアで大ヒット。日本の歌謡曲を意識したメロディーにのせて、シェワンダンネさんの実体験、女性への想いが現地語で叙情的に歌われる。

♪ 極東にいたあのころ日本人女性と恋に落ちた
熱愛に燃えたあのころを決して忘れない
彼女はブドウのように輝いて花のように咲いていた とても美しくて心を奪われた
彼女が好きだった船旅でディナーは東京 ランチは横浜 大宮に行くのも大好きだった すてきな恋愛だった ♪

エチオピアの音楽に詳しいプロデューサーのアベガスさんは、この曲がエチオピアでヒットしたのは、決して偶然ではないと話す。

音楽プロデューサーのアベガス・シオタさん

「エチオピア人がこの曲にひかれたのはとても自然なことです。メロディーや音階に親しみを感じたからです。一方で編曲は日本的でとても洗練されていると受け止められたようです」(音楽プロデューサーのアベガスさん)

両国の音楽にはもちろん相違点もある。例えば、エチオピアの歌謡曲は、テンポ良く短いサビを繰り返す傾向にあるが、日本の昭和歌謡は比較的ワンフレーズの息が長い。『Japanwan Wodije』は、エチオピア人になじみのある音階を使いながらも、日本の歌謡曲の編曲方法をうまく取り入れたことで、エチオピアの人にとって耳なじみが良く、かつ、異国情緒を漂わせる独特の作品に仕上がったのだ。エチオピアでは当時、この曲以外にも、日本の音楽の特徴を取り入れた音楽がいくつか作られたという。エチオピアの音楽は単に日本の音楽とよく似ているだけではなく、朝鮮戦争に参加した兵士を通じて、日本音楽の影響も受けていたのだ。

時空を超える旋律

2019年8月築地本願寺 アベガスさん

それから約60年ー。音楽プロデューサーとしてエチオピアで活躍しているアベガスさんは、ことし(2019年)8月、東京を訪れた。やってきたのは築地本願寺の夏の風物詩、盆踊り大会。日本人の母を持ちながらも、1歳で日本を離れたアベガスさんにとって盆踊りは初めての体験だ。和太鼓の規則正しいリズム。『東京音頭』に合わせ恍惚と踊る老若男女。そのすべてにアベガスさんは興奮気味だった。

「メロディーは「テジータ」の音階とそっくりですが、リズムはエチオピアよりだいぶ穏やかです。とても興味深いですね。エチオピア人が聴いたら日本人と同じように心を動かされると思います」(音楽プロデューサーのアベガスさん)

今ではエチオピアでは、ラテンジャズやレゲエの影響を受けた流行歌が人気だが、人々の間で依然根強く支持されているのは、伝統的な5音音階をベースにした曲だと言う。往年の大物歌手のプロデュースや、古い歌謡曲に新たなアレンジを加えて、よみがえらせることでも定評があるアベガスさん。かつてプロデューサーの1人として『Japanwan Wodije』の再レコーディングにも参加した。

「もちろん外国の音楽の影響もだいぶ入ってきてはいるけど、大事なのは新しい音楽と伝統のバランスです。常に最高のバランスを追究しています」(音楽プロデューサーのアベガスさん)

2019年8月アディスアベバ アベガスさん

8月中旬、真夜中近いアディスアベバのナイトクラブ。そのステージ上にアベガスさんの姿があった。久しぶりに聴衆の前で『Japanwan Wodije』を披露した。

♪ 極東にいたあのころ日本人女性と恋に落ちた
熱愛に燃えたあのころを決して忘れない ♪

半世紀以上たっても色あせることのない不朽の名曲ー。新たなアレンジで付け加えられたサクソフォンの艶やかな音色が、ナイトクラブに集う老若男女を、いまだ見ぬ極東の地へと誘うー。

「日本とエチオピアの文化はつながっているんだ!」

酒と音楽に酔った観客はそう話す。演奏を終えた翌日、アベガスさんは私たちにこう語ってくれた。

「1950年代ごく短い間に起きた出会いが、すばらしい曲に結晶し、今でも愛され続けているなんて本当に驚きです。私の夢は新たな日本とエチオピアのコラボレーションを生み、次の50年も人々に親しんでもらうことです」

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