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特集

2019年10月7日(月)掲載

難民に勇気を与える片足のシリア人スイマー

「国際報道2019」がシリーズでお伝えしている「難民アスリートの挑戦」。今回は、シリーズ初回に取材したシリア出身の競泳選手、イブラヒム・フセインさんに再び密着した。イブラヒムさんは、シリアの内戦で負傷した友人を助けようとして砲撃にまきこまれ、右足を失った。前回の放送では、難民として身を寄せたギリシャで、周囲の人たちからの支援に水泳を再開し、生きる力を取り戻したイブラヒムさんの姿を紹介した。東京パラリンピックでも結成される予定の「難民選手団」の一員に選ばれることを目指して、先月(9月)、ロンドンで開催された世界選手権に挑戦した。東京に行く上で重要な大会だ。困難な状況下でも、夢を諦めずに懸命に泳ぐイブラヒムさんは、同じような境遇の人たちに勇気を与えている。

シリアに残した家族への想い

イブラヒム・フセインさん

オリンピック発祥の地、ギリシャ。ここで難民として暮らすイブラヒムさんは、世界選手権直前の8月末、猛練習を続けていた。世界選手権の先にある東京パラリンピックには、「平泳ぎ」での出場を目指している。

イブラヒム・フセインさん

イブラヒムさんは砲撃で右足を失っただけでなく、左足のくるぶしの骨も砕け、人工関節を入れており、思い通りには動かせない。そのため、最後までフォームを保ちスピードを落とさないようにするのは並大抵のことではない。

イブラヒムさんに水泳を教えてくれたのは、今もシリアに残る父親だ。平泳ぎは、父親の得意種目でもある。この日、イブラヒムさんは、いつになく厳しい表情をしていた。

取材ディレクター
「少しいらいらしてるように見えますが?」

イブラヒムさん
「いらいらしているというより、家族のことで心配があります。父が病気で入院したんです。大会に集中しないといけないのに、心が追い詰められているんです。」

イブラヒム・フセインさん

シリア内戦で、イブラヒムさんの故郷デリゾールは壊滅的な被害を受けた。薬もない中、治療を受けたい一心で、命がけで国境を越えたイブラヒムさんは、以来、家族と会えていない。しかし、こうした苦しい状況でもイブラヒムさんが泳ぎ続けるのは、自分の活躍を待ち望む人たちの存在があるからだという。

シリア難民の少女 ロジェインちゃん

左:ロジェインちゃん 右:イブラヒムさん

この日、プールサイドでイブラヒムさんに会うのを楽しみに待っていた女の子がいた。シリア難民の少女、ロジェイン・アルズービーちゃん(6)。ロジェインちゃんは、足に軽い麻痺があり、知的障害も抱えている。イブラヒムさんは、同じシリアからの難民で障害者だということで知り合って以来、ロジェインちゃんを気にかけてきた。

シリアの病院で生まれたロジェインちゃん

2013年、ロジェインちゃんの母親の自宅は空爆に見舞われた。その衝撃で母親が産気づき、ロジェインちゃんは700グラムの未熟児として誕生した。

ロジェインちゃんと母親のサナアさん

母親のサナアさんは娘の障害は早産が原因ではないかと考えている。障害を持つロジェインちゃんに水泳を勧めたのはイブラヒムさんだ。水着もプレゼントした。

水泳を楽しむロジェインちゃん

家からあまり出ず、笑うことの少なかったロジェインちゃんは、いま、水泳の日を心待ちにしている。泳ぐロジェインちゃんの心からの笑顔を見たイブラヒムさんは、「協力すればロジェインのような子を困難から救い出せるのです。私にも障害があるので気持ちがわかります。彼らのためにできることはしたいと思っています」と、感慨深げな面持ちで語った。

ロジェインちゃんご一家

ロジェインちゃんの両親は、2016年にギリシャに来て3年たった今も、仕事を見つけることができず、苦しい生活を続けている。イブラヒムさんとの出会いが、家族を明るくしてくれたことに、とても感謝している。

ロジェインちゃんの母親サナアさん

「娘は水泳を始め、気にかけてもらったことで、歩きたい、走りたいと思うようになりました。イブラヒムさんが自分の夢、そして難民の夢を達成できるよう願っています」(ロジェインちゃんの母親サナアさん)


苦境にある難民障害者の希望の星に

ギリシャのエレオナス難民キャンプ

現在、ギリシャには8万4千人の難民が暮らす。

そのうち、身体障害を抱える難民は1,500人いるとされる。

ターメルさん

2011年の「アラブの春」の混乱で障害を負ったエジプト人の男性、ターメルさん(36歳)。

左:ターメルさん 右:イブラヒムさん

夢も希望も失う中で知ったのが、イブラヒムさんの存在だった。イブラヒムさんのことが書かれた記事はほとんど読み、イブラヒムさんの活躍が何よりの励みだという。


いよいよ世界選手権!結果はまさかの・・・

ロンドン パラ競泳の世界選手権の会場

9月、パラ競泳の世界選手権がロンドンで始まった。難民であるイブラヒムさんにイギリスの入国ビザが下りたのは大会開始の2週間前。参加できるかどうか眠れない日々が続いたと言う。

会場に到着したイブラヒム・フセインさん

このとき、イブラヒムさんはもう一つの試練と闘っていた。傷の痛みだ。普段、イブラヒムさんは痛み止めを飲んでいるが、体全体の動きが鈍くなるため、大会前は痛み止めを控えている。そのせいで、失った右足に激しい痛みを感じるときがあるのだ。「激しい痛みで傷を負った足をつかみながら叫んだことが何度もあります。まさに今、切断されたかのような痛みです」(イブラヒム・フセインさん)

東京パラリンピック出場をかけて、選手たちが熱い闘いを繰り広げる。「難民選手団」に選ばれるため、少しでも記録を伸ばしたいイブラヒムさん。参加する男子100メートル平泳ぎ(SB8)の予選が始まった。イブラヒムさんは自己ベストを2秒更新する1分24秒でゴール。しかし結果は「失格」。想像もしない結果だった。レースから戻ってくるイブラヒムさんに声をかけた。「今は無理です。後で話します」。失格の理由は、スタート直後に1回だけ認められている水中でのドルフィンキックを2回行ったためとされた。しかし、左足も不自由なイブラヒムさんは、意図したものではなかったと言う。


難民たちの思いとともに東京を目指す

パラ競泳の世界選手権を終えたイブラヒム・フセインさん

難民のイブラヒムさんには、後ろ盾になってくれる競技団体はなく、判定に異議を唱えなかった。「東京へのチャンスはまだある」。そう自らを奮い立たせようとするイブラヒムさんに贈り物が届いた。シリア難民の少女、ロジェインちゃんが描いた絵だ。

ロジェインちゃんが描いた絵

絵の中で、競泳選手になったロジェインちゃんの手には優秀トロフィーが掲げられていた。この絵はまさにロジェインちゃんの夢。そして、東京パラリンピックを目指すイブラヒムさんの夢でもある。

ロジェインちゃんの絵を見るイブラヒムさん

「難民が目標を持つなど無意味だというのは間違いです。目標を実現し、希望を打ち砕かれたままの難民たちに希望を与えられるのです。ギリシャに戻ったら、ただ1つ、東京に行くために全力を尽くします」(イブラヒム・フセインさん)

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