BS1 ワールドウオッチング - WORLD WATCHING -

特集

2019年6月5日(水)掲載

ベストセラー小説が映し出す韓国社会

韓国で社会現象を巻き起こしている小説「82年生まれ、キム・ジヨン」。100万部を超える売り上げとなり、ベストセラーとなっている。儒教の伝統が根強く残り、男尊女卑の考えが見え隠れすると言われる韓国。この小説は、その韓国社会で1人の女性が結婚や出産、就職など人生のさまざまなステージで直面する生きづらさを描き出している。1冊の小説が、韓国社会に何を問いかけているのか、取材した。

小説に込めた作者の思い

小説「82年生まれ、キム・ジヨン」。出産したら女性は仕事を辞めるのが当たり前―。そういう意識など、今も根強く残る韓国社会の男尊女卑を描いた小説だ。主人公は、1982年に生まれた30代前半の女性。広告代理店で働く主人公のキム・ジヨンが、出産を機に仕事を辞めて育児に追われる中、次第に心を病んでいく姿が描かれている。特に読者の共感を呼んだのが、出産をめぐって夫に詰め寄るシーン。

夫「最悪、君が会社を辞めることになったとしても心配しないで。僕が責任を持つから」
キム・ジヨン「私は今の職場や友だちも、今までの計画も、全部失うかもしれないんだよ。あなたは何を失うの?」


作者のチョ・ナムジュさん、40歳。テレビの放送作家として働いていたが、出産した10年前、30歳で退職せざるを得なかった。80年代以降、韓国では経済成長が加速し、女性の社会進出が進んだが、チョさんが出産した頃も家事や育児は女性が行うものという価値観が根強く残っていた。自分と同じような境遇に苦しむ女性たちが多いことを知ったチョさん。自らの体験のほか、記事やブログから実際の声や出来事、女性の本音を題材として小説にした。「周りの女性たちの声を聞きながら、女性としての私の人生をもう一度振り返る機会になり、私の人生、韓国の女性たちの人生を描きたいと思い小説を書いた。主人公の悩みや生活が、一般的な女性たちに共感してもらえたらと思った」(作者 チョ・ナムジュさん)。



小説に共感したイ・ソンギョンさん

「82年生まれ、キム・ジヨン」の読者の1人、1984年生まれのイ・ソンギョンさん(35)は、夫と2人の子どもたちと暮らす専業主婦だ。小説に、同世代の女性の悩みが描かれていると知り、本を手に取った。かつて伝統建築の修復を行う会社に勤めていたイさん。その時は、仕事をずっと続けたいと考えていたが、出産を機にやむなく退職。仕事を諦め、子育てに専念してきた。夫もそれが当然のことだと思っていた。そのため、イさんはつらくても、それが女性の役割だと受け入れてきたという。そんなイさんの心に小説の、ある一節が突き刺さった。仕事を辞め子育てに専念する主人公のキム・ジヨンが、公園でコーヒーを飲んで休んでいると、通りすがりのサラリーマンがこうつぶやく。

サラリーマン「俺も旦那の稼ぎでコーヒー飲んでぶらぶらしたいよなあ…。ママ虫もいいご身分だよな」


ママ虫とは「夫の稼ぎで遊んで暮らしている」として専業主婦をやゆする言葉。イさんも言われたことがあると言う。イさんは、小説のこの一節を読んだ時の気持ちをこう語る。「『ママ虫』という言葉が出てくる。母親たちを虫だと思って…。『家で楽な生活してるね』とか『いつまで遊んでるつもり?』とか、そんなふうに見ている。だけど私は遊んでなんかいない。本当に苦労していた。でも我慢するのが当たり前で、おかしいと思いながら何も言えなかった」。



再び働き始めたイさん

イさんは、この小説を読んで、心に封印してきた男女の役割分担に対する疑問を強くしたと言う。そして、これからの人生は、自分のやりたいことを実現しようと決意した。それは、もう一度、働き始めること。「私も仕事の面でもずっと夢を持っていたので、これからは違う人生を生きていきたい」(イ・ソンギョンさん)。イさんは再び働くために、かつて携わっていた伝統建築の修復に関する資格を取る勉強を始めた。当初は理解を示していなかった夫も妻が真剣に取り組む姿を見ているうちに、家事や育児に協力するようになった。

今では、イさんが勉強しているときは、夫が子どもたちの食事を作っている。この日、夫が作ったのは娘の大好物、煮込みうどん。今では料理も手慣れたものだ。「最初は少し困惑したけど、今は妻が外で活躍するのは、妻が人生を見つけていくことなので、前向きに捉えている」(夫)。



世界に広がる女性たちの共感

小説をきっかけに、女性たちに変化が生まれ始めた韓国。本を読んだ読者がブログやSNSに「心に響いた小説」「同じ女性として考えさせられた」「何度でも読んでほしい」といったメッセージを書き込むなど、共感が広がっている。作者のチョさんは、この小説を通して、女性の生きづらさに社会が目を向けるきっかけになればと考えている。「不条理な状況などに直面したときに、その問題をその場で問題提起できる女性は多くないと思う。小説の影響が大きいかは分からないが、女性たちの、不条理な状況に対する態度が変わってきていると思う」(チョ・ナムジュさん)。この小説は、日本でも販売され、翻訳された韓国小説として異例の13万部が売れた。また台湾やタイでも発売されていて、今後は、欧米を含めた14か国で発売される予定だ。女性たちの生きづらさを描いた小説「82年生まれ、キム・ジヨン」。女性たちの共感は国境を越えて広がり続けている。

ページの先頭へ