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特集

2019年5月17日(金)掲載

“走ることは生きること” 孤高のエチオピア人ランナー

2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピック。国際報道2019では、紛争や迫害で母国を追われた難民アスリートの姿をシリーズで伝えている。2回目の今回は、政治的な迫害を理由に祖国を離れ、ヨーロッパに逃れたエチオピア人ランナー。これまでの多くのマラソンのメダリストを排出したエチオピア。家族と7年離れながらも、「祖国の誇り」のマラソンで東京を目指すランナーの姿を追った。

祖国を思うヨナスさん

ヨナス・キンデさん

ヨナス・キンデさん(39)。母国エチオピアでは、1万メートルの選手として活躍。将来を期待される有望なランナーだった。しかし、2012年、エチオピアからヨーロッパのルクセンブルクに着の身着のままたどりつき難民生活を送ることになった。祖国のことは、片ときも忘れたことはないというヨナスさん。エチオピアの文化については、話してくれるが、祖国を出た状況ついては、多くを語ろうとはしなかった。



言論統制厳しいエチオピア

近年、高い経済成長率を誇るエチオピア。その一方で、政治活動をする人やジャーナリストなどへの言論統制が厳しい国とされ、国際的な人権団体は、反政府的な活動をしたなどの理由で、不当に逮捕された人が、1年間に2万6000人に上ったと、去年発表。アメリカ国務省も治安部隊による市民の殺害や、政府軍による拉致や拷問が頻繁に行われてきたと報告している。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、男子マラソンで銀メダルを獲得したエチオピア人選手が、政府に抗議するポーズでゴールし、議論を巻き起こした。ヨナスさんは、政治活動に参加したことで、刑務所に収監され、拷問を受けた。出所後も命の危険を感じ、国を出ることを決意した。「国を出たのは苦渋の決断だった。もちろん私は祖国を愛している。望んで難民になったわけではない」(ヨナス・キンデさん)。



願いは1つ“家族が平和に暮らせるように”

母国エチオピアから逃れて7年、一度も家族とは会えていない。危険が及ぶことを心配して、人前で家族のことを話すこともほとんどないという。

異国の地ルクセンブルクで、孤独だったヨナスさんの心のよりどころになったのが、教会だった。ヨナスさんが祈り続けること、それはー。「家族が健康で平和で暮らせるように。そして、いつか家族と再会できるように」。

ここに集まる人の中には、エチオピアや、その周辺の地域から来たヨナスさんと同じような境遇の難民たちもいる。「世界には6500万人の難民がいる。その数は1つの国の人口を超えている。それを考えると……」。とヨナスさんは、涙で言葉を詰まらせた。そして、こうつぶやいた。「私たちは人間だ。同じ人間として、難民のことを考えていくべきだ」。



エチオピア人としての誇り“走ること”

難民として来たばかりのころは、言葉もわからず、生きる気力を失いかけていたヨナスさん。そんな時に救ってくれたのが走ることだった。エチオピアは、過去のオリンピックで10以上のメダルを獲得しているマラソン大国。ヨナスさんも、少年時代から8キロ離れた学校に毎日走って通っていた。走ることはエチオピアの人々の誇りなのだ。「エチオピアでは走ることができれば、生き抜くことができると言うほど。42kmを走りきったら、自信につながる。そうすれば、どんな困難にも立ち向かうことができると私は考えている」(ヨナス・キンデさん)。

再び走り始めたヨナスさんは、練習を積み重ね、ルクセンブルクのハーフマラソンの大会などで優勝するようになった。そして、ついに、リオデジャネイロオリンピックで難民選手団に選ばれ、男子マラソンに出場したのだ。結果は155名中90位。しかし、大きな声援を受けたヨナスさんは、走り続ける意義を深く感じたという。「“私たちがついているよ、がんばれ”と、世界中の人が難民選手団を応援してくれた。オリンピックの団結の精神に、感謝している」(ヨナス・キンデさん)。



限界への挑戦 難民たちの希望へ

今、ヨナスさんは再びオリンピックを目指している。しかし、東京オリンピックでは、マラソンの出場基準が前回より厳しくなると見られている。基準が難民選手にも厳しく適用された場合、ヨナスさんは、自己ベストの2時間17分を6分近くも縮めないといけない。それは、39歳のヨナスさんにとって簡単なことではない。耐久力をつけるため、アップダウンの激しい森の中で、毎日20キロ近く走り込む。

1964年東京オリンピック アベベ選手

ヨナスさんは、東京大会に特別な思いを抱いている。東京は、祖国エチオピアの英雄、アベベ選手が走った場所だからだ。1960年のローマオリンピックを裸足で走り、金メダルを取ったアベベ選手は、1964年の東京オリンピックで、史上初の連覇を果たした。「アベベ選手は靴なしで走り切った。靴のある私は良い結果を出さなくてはいけない」(ヨナス・キンデさん)。

ヨナスさんは、限界に挑戦することで、祖国に残る家族、そして苦境にある難民たちの希望になると決意している。「家族は東京にいる私の姿を見たいと言っている。難民も、チャンスさえあれば大きな成果をあげることができる。そして若い難民にその道を示すことも大切だと思う」。

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