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特集

2018年8月2日(木)

太平洋戦争の激戦・ペリリュー戦を描く

 
放送した内容をご覧いただけます

酒井
「日本から南へ3,000キロ、パラオ諸島にあるペリリュー島。
太平洋戦争末期、昭和19年のペリリュー島の戦いはアメリカ軍との戦闘で日本軍だけでもおよそ1万人が犠牲になるなど凄惨を極めました。」

花澤
「そのペリリュー島の戦いを1人の兵士の視点から描いた漫画が、今話題を呼んでいます。
3年前(2015年)から連載が続くこの作品。
絵のタッチとは裏腹に壮絶な戦場の実態を描き、戦争漫画としては異例の15万部を売り上げています。」

酒井
「作者の男性が漫画に込めた思いを取材しました。」

壮絶な実態を漫画で描く“ペリリュー島の戦い”

リポート:高栁秀平アナウンサー(NHK熊本)

「ペリリュー 楽園のゲルニカ」。

物語は昭和19年、日本軍がアメリカ軍の攻撃に備える場面から始まります。
主人公は田丸均一等兵です。
初めての戦場としてペリリュー島に送り込まれました。
21歳の田丸はアメリカ軍の空襲に慌てふためきます。
アメリカ軍との戦闘は凄惨を極めました。
兵士たちが表わす素直な喜怒哀楽は、今を生きる私たちと何ら変わりません。
作品は若者から広く共感を呼び、一昨年(2016年)日本漫画家協会賞優秀賞を受賞しました。

原画展に訪れた人
「かわいい絵の中で衝撃的なことがちりばめられているんだなと。」



作者の武田一義さんです。
人を丹念に描くことで、極限状態に置かれた人間の感情を想像してほしいと考えています。

漫画家 武田一義さん
「そこにいたかもしれない人、会ったかもしれない人を想像することができれば、たとえ小さな紛争でもあっていいとは思わないはず。
誰も。
僕が作品で描きたいのもそこなんです。
具体的な人を描いていきたい。
ひとりひとり。」

昭和19年9月、ペリリュー島にアメリカ軍が上陸します。
本土決戦の時間稼ぎのため兵士たちに課せられたのは、玉砕も自決も許されない徹底的な持久戦。
島の日本軍は11月に壊滅状態になりますが、生き残った兵士たちはそれぞれ戦いを続けます。

アメリカ軍は、日本兵が潜む壕(ごう)を火炎放射器で焼き払いました。
兵士たちは次々と倒れ、最後まで戦って生き残ったのは、およそ1万人のうち僅か34人でした。
武田さんは日本兵の潜伏生活を描くに当たり、ある人物を訪ねました。
福岡に住む土田喜代一さん、98歳。
ペリリュー島の戦いを生き抜いた1人です。

土田喜代一さん
「敵兵があちらこちらからバンバン撃ちよるんですね。
私がこうしていると、ちょっとでも動いたら、ババババーと目の前の人が撃たれた。」

土田さんは身を潜めた壕(ごう)の中から見えたアメリカ兵の姿が忘れられられないといいます。

土田喜代一さん
「(アメリカ軍の)司令官が、壕(ごう)の上に腰をおろして指図していた。
世の中おしまいかなと。」

激戦の中、兵士たちはどのように生き延びたのか。
武田さんは身をもって知りたいと、今年(2018年)6月、自らペリリュー島を訪れました。
島には今も、多くの爪痕が残っています。
武田さんは、ペリリュー島に住むNGOのメンバーに案内を依頼しました。
イギリス人のスティーブ・バリンジャーさん。
日米両軍によって残された不発弾を処理する傍ら、戦跡の案内をしています。
島内を知り尽くしているスティーブさんの案内で、日本兵が潜伏していたジャングルへ向かいました。

スティーブ・バリンジャーさん
「壕(ごう)がここに1つ、ここに1つ、こっちに1つ、まっすぐ行くと2つある。」

日本兵は岩陰や木の根元など、見つかりにくい壕(ごう)の中に潜み、アメリカ軍の掃討作戦から身を隠していたといいます。
武田さんはその一つに特別に入らせてもらいました。
壕(ごう)の中は湿度が高く劣悪な環境です。

漫画家 武田一義さん
「人が暮らす環境ではない。
どう考えたって。」

スティーブ・バリンジャーさん
「水の音が聞こえるだろ、したたっている。
日本兵たちは、落ちてくる所に容器を置いて飲み水に使っていたんだ。」

当時の状況を実感したいと、手元の灯りを消すことにしました。

スティーブ・バリンジャーさん
「忘れてはいけないのが、外には敵がいたこと。
音も立ててはいけない。」

暗闇の中、身も心も極限状態だった兵士に思いをはせます。

漫画家 武田一義さん
「怖いですよね。
今日は大丈夫かなと思いながらずっと息をひそめているんだろうなって。」

日本兵をさらに苦しめたのが食糧難でした。
証言などには、兵士たちは夜中にアメリカ軍の備蓄庫から食料を盗んだことが記されています。
壕(ごう)から数キロ離れた所に、備蓄庫の跡がありました。

スティーブ・バリンジャーさん
「彼らはジャングルを抜けてここまで来た。
夜中に動き回るのは昼より難しかっただろう。」

その日の夜。
武田さんは、同じ場所を訪ねました。
ジャングルの中を抜け、備蓄庫まで歩いてみるためです。
植物のトゲなどに阻まれ僅か10m歩くのに、20分もかかりました。

漫画家 武田一義さん
「米兵がどうとか考えないで、目先の一歩先、自分が生きていることを、最優先し歩いていた。
そこは、多分昔の人も変わらなかったと思う。」

漫画家 武田一義さん
「僕が思っていたよりもはるかに大変な思いを、大変な事態を乗り越えて生きてきたんだなと。
だからといって分かった気には全くなれない。
もし、自分が分かったような気になってしまったとしたらば、それは人の心を動かせるような作品にはならないんじゃないかな。」


帰国後。
武田さんが描いていたのはアメリカ軍による掃討作戦の場面です。
島の洞窟の暗闇で体験した恐怖感を表現するため、その上を歩くアメリカ兵の足を大きく描いて強調しました。

漫画家 武田一義さん
「アメリカ兵が自分を探している気配を感じる部分は、足音が一番近いと思うので。
より気持ちをダイレクトに読者に伝わるように。
僕は土田さんや戦争体験者の方々のように自分の体験を語って聞かせることはできないけど、戦争を知らない世代というのは学んだことだったり考えたことだったり、それを僕らは共有する世代として、そういう段階に僕らは来ているのかなと思います。」

戦争を知らない世代は、戦争をどう伝えていくのか。
武田さんは生き続けた兵士の思いと向き合い続けます。


酒井
「スタジオには、取材した熊本放送局の高栁アナウンサーです。
漫画の中にも手に汗を握るような描写がありましたが、私たちも目をそらしてはいけないと感じました。
この漫画若い世代にもうけているということなんですが、実際に読者からどんな反響がありましたか?」

高栁秀平アナウンサー(NHK熊本)
「例えば、『勇ましい兵士を描いた作品もおもしろいがこの作品では気弱な主人公により共感できて自分自身も戦場にいるように感じる』ですとか『私たち若い世代は戦争の悲惨さを身をもって体験はしていません、教科書で学ぶことも大事ですが漫画の方が理解しやすくて良い』といった意見が上がっていました。
今年の秋、武田さんの作品はフランス語にも翻訳される予定なんです。
VTRで紹介したイギリス人のスティーブさんも、武田さんの作品を読んでくれました。
『私は日本語で書かれたセリフは理解できないけれども、主人公の田丸の表情や仕草から彼の感情を理解することができた』と話してくれました。
漫画が描こうとしている普遍的な価値を世界中の人が共有して、作品が言葉の壁を越えて海外の人たちにもメッセージを伝えていく、そんな可能性を取材を通して感じました。」

花澤
「高栁さんもペペリリュー島へ行って現場を見たんですよね。
どんな思い、何を感じましたか?」

高栁アナウンサー
「VTRでもあったように、日本兵が潜んでいた壕(ごう)の中に水筒や武器が今も残っていました。
私もそれを見て戦争の痛々しい爪痕を感じましたが、一方でそうした物や場所は直接私たちに戦争を語りかけてはくれません。
仮に日本兵がどういう状況だったのかを知らずに壕(ごう)の中に入っていったら当時に思いを馳せることは難しかったと思います。
だからこそ武田さんの作品。
1人の兵士の目を通じて戦場を描こうとしています。
そのことに大きな意味があると思います。
実際に私もこの作品をきっかけに、戦争はひと事ではない、もし私が戦場に送り込まれたらどうなってしまうのか、そう思って取材を始めました。
私だけではなくて同じような若い世代にとっても、この作品は戦争を考えるきっかけになるのではないかと感じています。」

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