にっぽん縦断 こころ旅
正平さん チャリオ君、スタッフの皆さん、毎日楽しくみています。
私の訪ねていただきたい所は、宮城県民の水がめ 七ヶ宿ダムです。
私の生まれ育った七ヶ宿の家は、ダム湖に沈みました。
40年前立ち退き、それから10年後ダムが完成しました。
11年前に亡くなった父は、七ヶ宿で生まれ育ち、戦争でシベリア抑留。
なんとか生きのび、帰ってきて母と結婚し 私達6人姉妹を育ててくれました。朝から晩まで休む暇なく 春、夏は田畑、山の仕事、養蚕、山菜とり。
秋は、きのことり(松たけとり名人で テレビの取材も受けました)
冬は炭焼き(これも何度かテレビの取材 受けています)
母と2人 とても働き者でした。
父が小さな時から ダムの話しはあったそうです。ダムが完成し 水が貯まりはじめ、我家の裏にあった竹林がゆらゆら揺れながら沈んでいくのを眺めていた父、どんなにか、悲しかったと思います。
そんな父が立った場所に行き ダム湖を眺めて下さい。
大正10年に生まれ、戦争、昭和53年の宮城沖地震、2011年東日本大震災を経験しました。
東日本大震災の津波の映像を病院のベッドの上でみた父が、「戦争よりひどいなあー。戦争は、鉄砲玉から逃げればこうやって生きて帰ってこれた」とポツリと言ってました。
それから半年後 亡くなりました。
父の立った場所から故郷をおわれ、水に沈む様子をみて下さい。
宮城県白石市
梶川朝子(私は四女です)
宮城県白石市
梶川朝子さん(66歳)からのお手紙