にっぽん縦断 こころ旅
正平さん、スタッフの皆さん、この度は山口県においで頂きありがとうございます。
今回、私が訪ねて頂きたい場所は、山口県萩市大島赤穂瀬先(あかほせさき)の路地の入口付近です。
なんでもない路地ですが、この路地の中ほどに母の実家が有りました。
私の母方の祖父は、先の大戦でフィリピンのレイテ島で戦死しました。
戦後、家を守るためよくあったことと聞きましたが、祖母が再婚したのは祖父の弟でした。
母は最も多感な時期に父を失い、新しい父に馴染めず、成人して実家から遠く離れた美祢市に嫁ぎました。
母は幸せとは言い難い人生を一生懸命生き、私と妹を育ててくれました。母は「父親が生きていたら・・・」とよく言っていました。
戦争がみんなの人生を変えてしまったのです。
以前、祖父が戦死しなければ母や祖母は幸せな人生が送れたのではなかろうかと妻に話したところ、「おじいちゃんが生きていたら、あなたは生まれていなかったかもしれないよ。」と言いました。
その通りだと思います。
でも、私がこの世に生を受けなくても、母や祖父、祖母に幸せな人生を生きてもらいたかった。
路地に向かって、右手に島一番の漁師さんの網小屋が有り、左手には斜面にしがみついているような家並が見えます。
夏の夕暮れ時に祖母と曾祖母が網小屋の日陰でよく話をしながら涼んでいました。
そこに一緒にいる時間がとても心地良くて、この時間がいつまでも続くと良いのにと思ったものです。
この路地を走って母の実家に駆け込んで「ばあちゃん来たよー」って言っていた幼い自分がまだそこにいるようで、また、その路地を歩いて戦地へ向かった祖父と、その路地を歩いて遠い町へ嫁いだ母がまだそこにいるようで、目頭が熱くなります。
その場所は、私が幼い時、転んで顔に傷が付いた場所、祖母に連れられて大きなマンボウが水揚げされるのを遠目で見た場所、島の子供たちと銀玉鉄砲で遊んだ場所、空き地の角にあった松原商店で祖母と買い物をした場所、何度も何度も駆け抜けた場所、そして、二度と行くことの無い場所です。
帰りの船が出港するまで時間があると思いますので 島の道を走ってみてください。旧道には昭和の風景が残っていて、山に上がると日本海の島なみが眺望できます。
この後の旅の安全を祈念して筆を置きます。
山口県美祢市 宮内 満春(みやうち みちはる)
山口県美祢市
宮内満春さん(58歳)からのお手紙