にっぽん縦断 こころ旅
こんちわーっす!(脳みそ夫さんの真似をする正平さん風に)
私もハマってしまい、会う人にこれで挨拶を試みますが、
未だにわかっている人に出会いません(笑)。
正平さん スタッフの皆さん そしてこの番組を発案された方(お名前を知りたい)、いつも、いつも本当にありがとうございます。
私のずっと残したいふるさとの風景は、
旧 滝川畜産試験場 展望台跡地、
現在の 北海道立 花・野菜技術センターの敷地内にあります。
滝川市と赤平市の間にあった畜産試験場は、そこに勤務する職員の家族数十世帯が住む、良く言えば自然豊かな環境、悪く言えば不便極まりない、特に冬の生活は中々に厳しい片田舎なので、私は子供心に、その田舎風情を恨めしく思い続けた挙げ句、ハタチの時に上京してしまうわけですが、ひとつだけ、心が落着く大変印象的な場所がありました。それが展望台跡地です。
その場所では毎年7月になると、北海道の短い夏を惜しむように、住民総出の野外パーティーが一晩だけ開かれ、皆でバーベキューやキャンプファイアーなどを楽しんでいた場所ですが、私は、雪国育ちで夏への羨望が強かったからでしょうか、毎年新緑の季節になると休日に、誘われるように独りでここに来て展望台に昇り、東のイルムケップ、西の暑寒別岳・ピンネシリ、南の神威岳という山々を遠くに眺め、放牧されている羊、飛び回る様々な鳥や虫の声を聴き、牧草の匂いを嗅ぎながら小一時間を過ごしていました。冬は大雪に覆われて人間の往来を完全に拒む厳しい場所が、こんなにも穏やかで温かい環境に変わるものなのかと、その大きな変化を毎年噛み締めていたのですが、それがなんとも心地良く、何の不安もプレッシャーも無かった子供時代に、自分だけの穏やかなひとときをくれた、それこそ北海道の長閑な放牧風景を象徴する、絵に描いたような場所でした。
私が上京した後、家族は母が生まれ育った街に引っ越し、そして10年ほど前に父が認知症を患います。いまでは毎日、試験場に帰る、帰らなければ、と言っているそうです。父は引っ越してからもう30年にもなりますが、その前に50年間住んでいた場所の方が、やはり潜在意識は強いのでしょうか。 帰れないあの風景を、せめて綺麗な映像で見ることができたら。私のこの願いは、もしかしたら父の願いでもあるのでは?
もし訪ねて頂けたら、せめてもの親孝行になるのでは、などと都合良く勝手に思い、お手紙をさせて戴きました。
いまでは試験場も統廃合され、展望台も取り壊されてしまい、同じ高さであの景色を眺めることは、ドローンでもなければもう叶いません。きっと手入れされていた鮮やかな緑の牧草は、荒れ放題になっているような気がしますが、360度自然の緑に囲まれた私のふるさとは、変わりつつも、あの頃から残っている幼少期の匂いを、画面越しに届けてくれるものと思います。
令和元年5月 埼玉県ふじみ野市 河部吉孝 54歳
埼玉県ふじみ野市
河部吉孝さん(54歳)からのお手紙