にっぽん縦断 こころ旅
正平さん、チャリオ君、スタッフの皆様
いつも番組、楽しく拝見させて頂いています。
私のこころに残したい(残っている)風景は、網走市の向陽ヶ丘の坂道に架かる「歩道橋から見える」景色です。
網走には、11年前に自分の転勤に伴い札幌から家族で引っ越しました。
自分は、転勤族でありましたが、妻にとっては、8年間の札幌生活で転勤のある事をすっかり忘れており、子供たちも、小学校5年生、幼稚園の年長さんと育っていたため、妻の築いた札幌での人間関係、子供たちの友人関係が一切消滅することが、彼女には耐え切れ無かったらしく、泣いたり暴れたりするのをどうにか宥め、連れて行きました。
最初の1年間は、札幌に帰る話ばかりしていましたが、子供たちが学校に慣れ、ママ友が出来るに従い、網走の生活に不満も言わなくなっていました。
3年後、自分に網走から留萌への転勤が決まった時には、妻は子供達と網走に残りました。(自分は、単身で留萌に行きました。)
その2年後、長男が札幌の高校を受験したため、妻と子供達は、札幌に転居しました。
結局、妻と子供達にとっては5年間の網走生活でしたが、子供達が一番多感な時期を網走の自然の中で過ごし、全く地縁のない場所だったのですが、息子達は他人に聞かれると、出身地は網走と答えているようです。
(自分も少し遅れましたが、その二ヶ月後、留萌から札幌に転勤となり2年の単身生活を解消する事が出来ました。)
しかし、札幌に来てから1年後、妻の病気が見つかり、1年半の闘病後に亡くなってしまいました。(平成27年11月6日/享年40歳でした。)
現在、長男は道外の大学に在学中で家を出ており、次男の高校生と男2人の味気ない生活を送っています。
今思えば、喧嘩しながらも楽しく暮らした網走時代が、我が家の一番輝いていた時期だと思います。
転勤後は、すっかり訪れる事の無くなってしまった網走の街です、正平さんよろしければ、山(秋田県合川町)育ちの妻が気に入っていた、歩道橋から見えるオホーツク海の景色を、見てきて頂けませんか?
(妻は結構ミーハーで、闘病中も「こころ旅」を見ては、手紙出せば良かったとよく言っていました。今回は思い切って妻の代わりに自分が出させていただきました。)
歩道橋は、本来、中・高生の通学用に作られたものですが、中学、高校の校舎の奥に家族の住む官舎がありましたので、自分もよく通勤に使わせてもらっていました。
網走第2中学校の前坂道から脇道へ階段を降り、歩行者専用の通学路を下がっていくのですが、歩道橋で急に視界が開け、見渡せるオホーツク海はとても綺麗です。
令和元年(2019年)5月30日
札幌市
藤原 三陽(みつはる)52歳
札幌市
藤原三陽さん(52歳)からのお手紙