にっぽん縦断 こころ旅
正平さん、チャリオ君、スタッフの皆さん、いつも素敵な番組をありがとうございます。主人とふたり、毎回楽しみにしております。
私がずっと大切にしているこころの風景は、身延町常葉にある旧下部小学校と下部中学校に通じる、五条ヶ丘の坂と、その坂を登りきった時に見える、JR身延線の電車が走っている風景です。
私が通った小・中学校は「五条ヶ丘」と呼ばれる丘の上に建ち、4か所ある通学路はどれも子供の足には急な坂道です。
当時は子供の数も多く、朝はいくつもの通学班が登っていきました。
私が登っていた坂は田んぼの脇にあり、学校帰りは友達のミエさんやらん子ちゃんと田んぼ道を通り、タンポポやレンゲの花を摘みながら寄り道をしていました。5年生に進級して間もなく、私はこの坂の下で交通事故に遭い生死の境をさまよいました。
治療とリハビリの為、東京の大学病院に入院し、学校に戻ったのは6年生の2学期でした。留年することもなく元のクラスに戻ることが出来たのは、先生方や友達のお陰だと思っております。
でも松葉杖をついた私があの坂を一人で登れるわけもなく、登下校は担任の先生が車を出してくれました。
坂を登る友達の脇を車で走ることは、先生に感謝しながらも、とてもさみしく悲しかったです。
私はこの坂を「自分で登る」という目標をたて、少しずつ上り下りの練習をし、6年生の終わりには何とか一人で歩いていけるようになりました。
時間をかけて休みながら坂を登りきった後、後ろを振り向くと、山にへばりつくように走る身延線の線路が見えます。しばらく休んでいると8時15分頃の電車が走ってきます。それが合図のようにまた歩き出します。
毎朝この繰り返しでした。でもこの景色を見れることが何よりも嬉しかったのです。大袈裟かもしれませんが「生きてる」ということを実感していました。
私は坂の下で事故に遭ってしまったけれど、その同じ坂の上で「生きていく勇気」をもらいました。何十年経ってもあの時のあの感情は忘れられません。
今は学校も廃校になってしまいましたが、最近、人気アニメに登場したことで若者が訪れ、昔の様にあの坂を大勢の人が登ってくれています。
坂を登りきった後には楽しいことが待っているのは今も昔も同じですね。
それでは、皆様の旅のご無事を心よりお祈りしております。
私が使っていた坂は自動車整備工場の向かいです。
山梨県富士川町 小林 利恵子 52歳
山梨県富士川町
小林利恵子さん(52歳)からのお手紙