にっぽん縦断 こころ旅
私の心に残る風景は、函南町の畑毛温泉から三島大場方面に通じる道の途中にある切通しです。現在、68歳になりますが、18歳高校当時の思い出です。当時、通っていた県立韮山高校に入学して最初の夏休みに急性腎炎にかかってしまい、なかなか、治らず結局、出席日数が不足し留年となりました。翌年、再度、一学年からやり直しましたが、完治しない状態が続き学校には行ったり行かなかったり何もやる気が起きず、いたずらに時を過ごしていました。そんな時、同級生がブラスバンドへ誘ってくれて、思い切って入部することにしました。パートは、パーカッションとなり、その時、指導してくれた女性が私の運命を変えることになりました。今迄に会ったことのないタイプの人でした。周りに気配りの出来る人で、だんだん気が付かないうちにひかれていきました。気が付いたら、惚れていました。その人に会うことを楽しみに学校に行っていましたが、腎臓病が完治しない状態だったので運動はしない方が良いとのことで体育授業は、見学ばかりで、そんな自分を負い目に感じながら、彼女に思いを馳せていました。時は経ち、3年生も後半に入ってきて学校で毎年実施されているマラソン大会が迫ってきました。当然、1、2年ともに走っていません。高校時代最後のマラソン大会です。彼女と話している中で、彼女の口から「マラソンも走れない人なんか魅力ないな」が漏れました。その一言が私の気持ちに火をつけました。悔しくてしょうがなく、よし、走って死んでやろうじやないかと決心し参加することにしました。とにかく、病気はかなり治っては来ていましたが、完治はしていなく、走ることでまた、ぶり返してしまうことが心配でした。マラソン大会は15kmを走るもので、運動部の連中にもきついものでした。いよいよ大会当日になり学校の正門をスタートしました。最初は、自分の体を心配しながら走っていたのですが、兆度中間地点の思い出の場所の切通しへの坂道に差し掛かるころには、妙に体が軽く、走るのが楽しくなってきました。切通しを上り切って下りに入った時に世界がぱっと開けた感じがし、そのまま、気持ちよく完走できました。後日、心配しながらいつもの病院へ行ってチェックした結果、悪化していませんでした。このことが、自分の自信を呼び戻してくれ、病気もこの時点から大きく改善しそれから間もなく完治しました。
彼女の鬼の様な一言には、本当に腹が立ちましたが、わたしの再起へのエネルギーを投入してくれたと今は思っています。人間、時には開き直りが必要なのとその時、学びました。
そのきついお言葉を頂いた彼女とその後、結婚に至りました。今も元気に暮らしております。
その切通しは、たまに車で通りますが、50年たった今でも、その時の記憶が戻り助手席にいる家内の横顔をちらっと見ます。
今、マラソンはしませんが、よく自転車に乗っています。こころ旅の自転車を走らせる正平さんの姿を見ると健康のありがたさと、生きる楽しさを感ずることが出来ます。大変でしょうが、この番組を正平さんで出来るだけ続けて頂けることを願ってお手紙を終わりとします。
静岡県三島市
中村友治さん(68歳)からのお手紙