にっぽん縦断 こころ旅
和田越(わだごえ)ずい道のさか道
正平さん 毎日 ごくろう様です。
私のなつかしい思い出というと 今から45年も前のことです。
祖父母、両親、きょうだい4人の8人の農家の長女の私は、県立高校の受験に落ちてしまい、思ってもみなかった私立高校に通うことになりました。
なに分、家は、決して金持ちではなく 両親は、農繁期が少しでもあると、二人して、日やといの土木(どぼく)作業へ行き、夜のおかずは、季節のとれる野菜で、一家8人 何とかよりそってくらしていました。
私立高校も月謝が高くて、祖父が、てつやをして、しいたけを、乾燥させて、延岡の町へバスにのり、売りに行ってくれた その資金で、3年間、私立高校へ通えたといっても本当のことです。
本日私がこうしていられるのも 祖父のおかげです。
もちろん、自転車も、うで時計も、買ってもらいました。
私の家から、おんぼろの自転車でもよりの駅に行き、今は廃線になりましたが、延岡から高千穂まで走っていたJRの高千穂線にのり、延岡駅まで行き、そこから学校まで 又、自転車でした。
中学校から おさな友達の美代子ちゃんと、二人で、和田越のずい道の坂道の手前にさしかかると、"さあ、妙ちゃん、今日も 加速して 自転車こいで坂をかけあがるよ!!"
と、心のやさしい美代子ちゃんは、自分の自転車には、ギアがついているのに、私の自転車は、昔式のでついてなくて、私にあわせて 毎日かけごえをかけてくれるのです。
本当に 車だと、何分もかからない坂ですが 高校生の私達は、雨の日も風の日も 3年間きついきつい坂でした。
美代子ちゃんの毎日のあの はげましの言葉で どれだけ助けられたことか・・・・
陸上部にもはいり、一緒に練習させてもらったり 楽しい高校生活が送れました。
その友達、美代子ちゃんも 2年前のさむい日に58歳の若さで旅立っていかれました。
美代子ちゃん、あの時はありがとうね。
いつまでも 私のだいじな大切な友達だよ!!
和田越ずい道の坂 きつかったネ!!
妙子より!!
坂のきらいな正平さん。行かれなくてもよろしいです。 お手紙だけでも、よんで下さい。
これからも 楽しみにみさせて頂きますネ。
乱文 乱筆で失礼致します。
山本妙子(旧姓 柳田・ヤマモトタエコ)61歳
愛知県東郷町
山本妙子さん(61歳)からのお手紙