にっぽん縦断 こころ旅
火野正平さん、スタッフの皆様、いつも楽しく拝見させて頂いています。
余計な事ですが、子供の頃、正平さんと同じ名前の友達がいました。彼は色白でおとなしい人でした。ちょっと思い出しました。
ところで、私の思い出のこころの場所は、宮崎市吾妻町の橘公園の横を走る当時の国鉄、日豊本線の線路の下の道です。
その道は、公園側には観光ホテルがあり中心街へと続きます。反対側は当時旅館や民家があり、我が家もその一角にありました。
毎日のように遊んだ橘公園や、夏は花火大会。三歳年上の兄が泳いでは叱られていた大淀川が流れている、思い出の場所へと続く道です。
私が2年生か3年生だった頃、父は転勤になり、朝早く、宮崎駅から都城まで汽車で通勤していました。
母は当然、朝早く起き父を送り出していました。
その頃、私は子供なりに、多忙な母の姿に「いつ眠るのだろう」と思っていました。父の汽車での通勤のため、なおいっそう早く起きている母に「少しでもゆっくり寝てほしい」との思いで、父が家を出る時間を遅らそうと、やっと乗れるようになった自転車で父を駅まで送っていくことにしたのです。
行きは父と二人乗り。帰りは、大人用の自転車で足の届かない私は、当然三角乗り。
しばらく続いたある日、駅まで父を送って行った別れ際「線路の下の道。公園の反対側で(家のある方)汽車が通るのを待っていなさい」と言うのです。
言われた通りに待っていると、汽車のデッキに父の姿が見えます。
デッキから体を乗り出して、何かを投げてくれました。
草むらをよけ、うまく道路に落ちました。
キャラメル一箱です。
喜び勇んで母に報告しました。
「良かったね。それは一人で食べていいよ」と、母。
我が家には家族みんなで分けて食べるというルールがありましたので、その事も嬉しく、父母の思いと共に大感激です。
その後一人で食べたか、兄弟に分けたのか覚えていません。
五人兄弟の末っ子の私ですが、今は亡き父と母と私と三人の遠い思い出です。
福井県敦賀市 木下 泉(71歳女性)
福井県敦賀市
木下 泉さん(71歳)からのお手紙